今年で開場20周年のツインリンクもてぎでは、トップフォーミュラの名勝負やメモリアルレースが数多く演じられてきた。その歴史のなかから厳選3レースを紹介する短期連載、第2回は2006年10月のフォーミュラ・ニッポン第8戦、ブノワ・トレルイエ涙の初戴冠レースである。
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フォーミュラ・ニッポン(FN)はこの2006年にワンメイクシャシーが先代のローラB351からローラFN06に切りかわり、エンジン面ではトヨタ対ホンダの戦いが新たに始まった(当時は3000cc V8自然吸気。タイヤはブリヂストンのワンメイク)。そんな激動のシーズン、主導権を握って戦いを進めたのは当時4台体制の“日本一速いチーム”、星野一義監督のインパル(エンジンはトヨタ)だ。
本山哲、星野一樹、ブノワ・トレルイエ、松田次生というのが2006年の“インパル カルテット”。新人の星野以外は、4冠王の本山を筆頭に移籍新加入の松田を含めて3人とも優勝経験者、いずれもチャンピオン候補といえるくらいの豪華メンバーだったが、なかでも好調なシーズンを過ごすことになったのがトレルイエである。
トレルイエは、荒天でセーフティカーランのみの決着となった開幕戦富士でハーフポイントながら先勝を果たすと、9戦中7戦目までに3勝を含む表彰台6回という高い安定感を発揮してシリーズ首位を快走した。
第8戦もてぎを迎える段階で、トレルイエの初戴冠を阻める可能性を残していたのは16点差の僚友松田と20点差のロイック・デュバル(ナカジマレーシング)のふたりのみ。決勝1~6位に10-6-4-3-2-1点の時代なので松田とデュバルはかなり厳しい状況であり、トレルイエ初戴冠が濃厚になっていた。
順当なら王座決定となりそうな第9戦もてぎ、トレルイエは予選で2番手につけた。ポールポジションは、当時ARTA所属で韋駄天ぶりを存分に発揮していた小暮卓史が獲得(シーズン5度目)。ただ、この年の小暮は決勝結果につながらないレースが続いていたため、王座決定を目指すトレルイエにとってまずは順調な出足といってよかっただろう。
そして決勝はサバイバルレースの様相を見せることに。小暮はブレーキトラブルを発症するなどして今回も結果を残せない展開に沈む。参戦22台中、最終的には小暮を含む10台がリタイアし、完走した12台のうち実際にチェッカーを受けたのは10台のみという過酷なレースになっていく(ちなみに当時の決勝レース距離は現在の主流である250kmより50km長く、F1同等の約300kmだった)。
その決勝レースではやはりインパルが最終的に支配権を確立し、本山、トレルイエ、松田のトップ3に。このままいけばトレルイエの王座は決まる。一方、このシーズンは本山にとって流れが良くなく、彼はここまで未勝利だったが、ついにシーズン初勝利達成となりそうな雰囲気が漂ってきていた。しかし、ツキがない年というのはどこまでもそういうものなのか、本山は終盤にエンジンブローに見舞われてリタイア。トレルイエは勝って初戴冠を決めることになったのであった。
レース後、トレルイエは星野一義監督と並んで優勝&チャンピオン獲得会見に臨んだ。2001年に全日本F3チャンピオンとなり、翌年にFNデビュー、2003年からインパルで走ってその素晴らしいスピードを見せていた彼にとっては遅すぎる初戴冠ともいえた。
星野監督はなかなか王座に手が届かないトレルイエに対し、「1位と2位以外はほとんどリタイアじゃないか。もっと安定して走ればチャンピオンになれる。85パーセントの力でやればいいんだ」という、少々“らしくない”助言をしていたと語った。確かにインパル加入から3シーズンの間のトレルイエはレースを無得点で終えることがほぼ2回に1回あり、それが王座を遠ざける要因になっていた。
しかしこの年のトレルイエは違った。これで8戦4勝、表彰台獲得7回、残る1戦(7位)もトップ同一周回で完走しており、ここまで全戦“完全完走”での王座獲得だ。シャシーとエンジンが新しくなり、しかも人車にタフな決勝300kmの時代、このもてぎ戦以外にも完走台数が半分近くまで落ち込むレースが何度かあったなかで、トレルイエは以前の弱点を克服する安定感を見せていたのだ。
そして今回の第8戦もてぎでも、シーズン最低の完走台数となった厳しい戦いのなかをしっかり走りきって優勝。星野監督の薫陶を受けて、速くて強い“ニュー・トレルイエ”が生まれたことを象徴する勝ち方であり、王座決定の仕方であった。
会見でトレルイエは感情を抑えきれず涙を流した。当年のみならず、歴代のチームスタッフたちへの感謝も述べながらの男泣き。大願成就を果たした彼のその姿は大きな感動を呼ぶものだった。星野監督の目にも光るものが……。
実はトレルイエ、人前ではあまり使わなかったが、この頃には日本語も相当な腕前になっていた。会見後、涙顔から笑顔へと転じた彼に日本語で喜びを語ってもらった。
「今日のレースは本当に難しかった。クルマは本当に良かった。リカルド(ディビラ氏、当時の担当エンジニア)は本当にいい仕事をした。私は本当に嬉しい。(ファンの)みなさま、本当にありがとうございます。(チームのみんな)あなたの仕事は本当に良かった。ありがとう!」
星野監督が「日本人以上に日本人らしく、人間として尊敬できる」とも評するフランス生まれの侍、ブノワ・トレルイエ。彼が悲願の頂点を極めたメモリアルレース、2006年FN第8戦もてぎは感動の極みの一戦でもあった。