今年で20周年を迎えるツインリンクもてぎ。関東圏だけでなく、日本のモータースポーツにとって大きな役割を担ってきたツインリンクもてぎについて、ドライバー自身の記憶と思い出と共ともに振り返る短期集中連載企画。最終回となる15回目はメルセデスF1で活躍中、3度のF1ワールドチャンピオンに輝いたルイス・ハミルトンに聞いた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
昨年F1ワールドチャンピオンとなったニコ・ロズベルグと、3度のF1チャンピオンに輝いているルイス・ハミルトンがメルセデスの育成ドライバーとしてカート時代にチームメイトだったのはよく知られた話だ。
そのハミルトン、実はツインリンクもてぎとの関係は古くて深い。ロズベルグと切磋琢磨していたカート時代、ハミルトンはロズベルグとともに2000年のCIK-FIA ワールドカップで来日し、ツインリンクもてぎで見事、タイトルを決める勝利を挙げているのだ。
「ツインリンクもてぎが今年で20周年を迎えたんだって? 懐かしいなあ。20周年ということは、僕がもてぎでカートのレースをしたのは、もう20年も前のことになるんだね」
F1カナダGPの現場でツインリンクもてぎのことを聞くと、ハミルトンは懐かしそうに当時を回顧しはじめた。
「ツインリンクもてぎで一番印象に残っているのは、とても美しい場所だったということ。それから、コース(北ショートコース)がとてもアグレッシブで攻め甲斐があった。僕は2000年にワールドカップに出場するためにもてぎに行ったんだけど、そのレースは忘れられないものになった」
「予選第1ヒートでは誰かにぶつけられてサイドホッドが外れて、エンジンが止まってしまった。それで最後尾から予選第2ヒートを戦わなければならなくなった。おそらく接触がなければ、予選第1ヒートはトップ3に入るぐらいの速さはあったから、ものすごく残念で、予選第1ヒート直後は『もうこの週末は終わったな』と思っていたけど、練習走行でマシンは速かったから、できる限りのことはやってみようと気持ちを切り替えたんだ」
「というのも、ワールドカップはそのあと予選第2ヒート、レース1(プレファイナル)、レース2(ファイナル)と3つもあったから、まだ挽回できるチャンスはあったんだ」
「予選第2ヒートはとにかく無事に走りきることに徹して、21番手ぐらいでフィニッシュしたと思う(正確には19番手)。そのあとのレース1はできるだけスムーズに走って、エンジンとタイヤをセーブすることにした。それがレース2で功を奏して、終盤に逆転することができたんだ」
「あの週末は、いまでも僕のベストレースのひとつ。しかも、僕にとって初めての世界タイトル。ツインリンクもてぎでの週末は、20年経ったいまも僕の心の中で、素晴らしい記憶として残っているよ」
20年前のレースの記憶が一気に溢れ出したハミルトン。世界のトップになった今も、ツインリンクもてぎの思い出はハミルトンの心の中に深く刻まれていたのだった。