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レジェンドが語る、思い出の鈴鹿1000km、そして今年の1000km/近藤真彦編

2017年08月12日 11:02  AUTOSPORT web

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KONDO RACINGを率いる近藤真彦監督
今年で最後となる鈴鹿の名物レース、鈴鹿1000km。ドライバーとして、そして現在は監督して今年の1000kmに臨む国内モータースポーツ界のレジェンドたちに、当時の思い出と今年の抱負を聞く。

 最終回は1999年の鈴鹿1000kmで3位表彰台を獲得した経験を持ち、現在はスーパーGT500クラスに参戦しているKONDO RACINGを指揮する近藤真彦監督だ。

■近藤真彦(KONDO RACING監督)
・1999年、2000年、2004年に参戦。1999年に3位表彰台獲得

「僕たちがやっていた時の鈴鹿1000kmはちょうど変わり目だったのかな。Cカーみたいなクルマとか、スポーツカーが走っていた頃から、今のGTカーに変わった頃だったので、それもあって自分も1000kmに参戦することができた」

「その前、ニッサンで言うと鈴木利男さんとか鈴木亜久里さんとかがCカー乗って、ブンブン飛ばしながら1000kmを走っていたのを、なにかのサポートレースがあった時に見ていましたね」

「それで『このクルマで1000km走るなんてハンパなレースじゃないな』って思っていたら、翌年か翌々年くらいに自分がスープラで乗ることになった(笑)」

「あの当時はドライバー3人が主流でしたね。ドライバーへの負担は今とは比べものにならないくらい大変だったから、今みたいに2人で走りきるなんて考えられなかった」

「今みたいにエアコンも付いてないからクルマの中も暑いし、クールスーツは壊れやすい。レーシングスーツも分厚くて柔道着みたいな生地だったから暑くて。あの当時の1000kmは本当に過酷だったなあ(苦笑)」

「自分で言うのもなんだけど、自分は耐久向きのドライバーというか、一撃の速さはさすがになかったんだけど、想定されたタイムでクルマを壊さないで自分に与えられた時間を走ってくるのが、割と自分はできました」

「これまでル・マン24時間(1994年)に出て、十勝24時間(5回参戦)でも勝ったり(1999年に総合優勝)、耐久向きというか、自分で目標タイムを決めて、自分のペースで走らせてもらえたら、きっちり結果を出せるタイプでしたね」

「今年の鈴鹿1000kmは優勝を狙いにいきたいけど、ここ何年間、鈴鹿1000kmで成績が出ていないのは、鈴鹿1000kmに合わせたセットアップとタイヤのパッケージの完成度が低いんですよね。だから横浜ゴムとウチのチームは、鈴鹿1000kmに向けては勉強しないと勝てないという話をずっとしています」

「ウチとヨコハマタイヤの相性で行けば、鈴鹿1000kmの前のSUGO、そして鈴鹿後のタイが得意になる。とは言え、今はタイヤを開発中なので、路面コンディションと新しい横浜タイヤがバチッと合う可能性はある」

「そうしたらヨコハマ得意の異次元なロングスティントとか戦略で戦える可能性はある。そこがうまく行かないと1000kmは厳しい戦いになってしまいますね」