トップへ

萩原みのり×久保田紗友×菊地健雄『ハローグッバイ』鼎談 「友達とは何か」

2017年08月11日 18:52  リアルサウンド

リアルサウンド

写真

 『ディアーディアー』で長編監督デビューを飾った菊地健雄監督の第二作目『ハローグッバイ』が現在ロングラン公開中だ。期待の若手女優、萩原みのりと久保田紗友を主演に迎えた本作は、クラスメイトでありながら全く接点のなかったふたりの女子高校生が、認知症の女性との出会いをきっかけに、“友情”を育んでいく様子が描かれる。リアルサウンド映画部では、菊地健雄監督、萩原みのり、久保田紗友の3名にインタビュー。ふたりが信頼を寄せる菊地監督の意外な一面や、撮影中の裏側、「友情とは何か」という問いまで、たっぷりと語ってもらった。


――ふたりの目から見た菊地健雄監督の印象は?


萩原みのり(以下、萩原):怖かったよねえ(笑)。


久保田紗友(以下、久保田):怖かった(笑)。


萩原:菊地さんとは、助監督をされているころから一緒にお仕事をさせていただいていました。本当に優しくて大好きな方なのですが、映画になるとちょっと頑固なところもあって(笑)、そこがまた好きなんですけど。だから、私が初めて主演を務める映画の監督を、菊地さんが務めると知ったときはすごくうれしかったです。初めて映画に出演したときからずっと知っている方だったので、すべてを委ねられる安心感がありました。


菊地健雄(以下、菊地):助監督と監督の時ではやっぱり違った?


萩原:全然違いました! 助監督のときはちょっと落ち込んでいるときに、「どうなの?」って声をかけてくれていて、さりげない優しさが素敵だったんです。でも、今回は“監督”の菊地さんで、距離を置かれていました。分かりやすく言うと、笑顔が減っていて。でも、お昼に弁当を食べているときとか、ふいに優しいモードが出てくると、ちょっとうれしさがありました(笑)。


久保田:初めて菊地監督にお会いしたときは、すごく優しそうな方だと思いました。でも、私が演じた葵は、孤独を抱えている役だったせいか、監督からはみのりちゃんとはまた違う距離を取られている感覚があって。その距離感はリハーサルでも、本番でも変わらなくて、すごく不安になりました。でも、そのおかげで、葵を演じるときにスッと入ることができたのかなと思っています。


――菊地監督はふたりの役柄にあわせて接し方も変えていたと。


菊地:はづきと葵という、対照的なふたりのキャラクターがいて、これまで一緒にお仕事をしてきた萩原さんと、初めてご一緒する久保田さんがキャスティングされた。ふたりが演じるキャラクターについては、言葉で細かく説明するのではなく、理屈ではない部分で自然と役と一体化してくれたらという思いがありました。今回は撮影の前段階の準備期間もまとまった時間をいただけたので、意識的にふたりへの接し方も変えていた部分はあります。久保田さんとは距離を取っていたので、不安に思わせてしまった部分もあったかもしれません。同世代のふたりが、互いに競い合って、輝きあえる空気を作ることができるようにと意識していました。


――久保田さんは監督から距離を置かれて不安になった部分はありましたか。


久保田:まったく話しかけられなかった、というわけではないのですが、みのりちゃんとの接し方の違いはすごく感じていました。私と全然違うって(笑)。


菊地:すいません(笑)。葵は誰にも頼ることができず、孤独を抱えている役柄だったので、話し合いながら答えを出すのではなく、ある程度突き放したところから生じる不安な心も捉えることができればと思っていました。撮影初日から、ふたりにとって難しいシーンの連続だったのですが、十分な準備期間があったおかげか、それぞれのパーソナルな部分をはづきと葵に落とし込んでくれていて。ふたりが女優として顔付きが変わっていくのを一番近くで見られたことはうれしかったですね。


萩原:クランクイン前に、はづきと関係する人との距離感をすべて探らさせてもらったのが大きかったです。だから、現場でも「はづきだったらこうする」と考えるのではなく、そのままの素の状態に近かったと思います。「萩原みのり」に戻る瞬間もなかったと言えるかもしれません。現場ではいい意味で嘘を付いていなかった。紗友ちゃんが演じる葵を目の前にして、思った気持ちをそのまま出しただけでした。ただ、そこにいるだけでいいという空気感を出すことができたのは、菊地監督のおかげだと思ってます。


菊地:いやいやいや。僕個人というよりも、出演して下さった皆さん、スタッフ、プロデューサー、みんなが同じ方向を向いて作ることができたことが一番大きいと思います。特に印象的だったのは、認知症の悦子(もたいまさこ)さんが昔の友だちである和枝(木野花)さんと蕎麦屋で再会するシーン。キャリアの長いおふたりが、劇中の関係性さながらに控室でも友人として楽しそうに会話をしていて。それを久保田さんと萩原さんも覗いている。カメラはまわっていないんですが、控室の風景が映画の中の関係性と連動していてとてもうれしかったんです。映画を撮るという以前に、ふたりが女優としてかけがえのない時間を過ごしてくれている、それを思ってグッとなるところがありました。


久保田:私も改めて、こんなに素敵な先輩たちと一緒にお芝居できていると思って、すごくうれしかったです。


萩原:先輩たちの話を近くで聞けるだけでも幸せなのに、一緒に作品を作ることができたことが本当にうれしかったです。私たちもおふたりのような関係性になれたらなって。


菊地:僕からふたりに質問していいですか。萩原さんは、好きな葵のシーン、逆に久保田さんは好きなはづきのシーンを教えてもらっていいですか。


久保田:葵がはづきからペットボトルの水を渡されるところが好きです。悦子さんのために3人で出かけて、それまでとは違う関係性の象徴的なシーンになっている気がするので。


萩原:私もそのシーンだと思ってた。


菊地監督:コンビネーションいいな、君ら(笑)。


萩原:それまでしっかりした強い子だった葵が、初めて弱い部分を悦子さんに見せていた。それをちょっと離れたところからはづきは見ている。それまでふたりの間には“友情”と言えるものがあったか分からないですけど、あの水をあげたところで確実に何かが芽生えた。


久保田:初めて葵として、はづきにちょっと身を預けることができた。今までずっと一人だった葵が、はづきに救われた瞬間だったと思います。演技をしていてもすごい安心感がありました。


萩原:そして、何と言っても悦子さんを演じたもたいさん。このシーンで見せてくれた悦子さんの笑顔が本当に素敵で。あのときの悦子さんの顔は、ずっと忘れないと思います。はづきと葵、悦子さんの3人が目を合わせて微笑んでいる瞬間が、すごく特別な時間に感じられました。


――「友達とは何か」という問いが本作にはあります。おふたりは改めてどう考えますか。


久保田:すごく難しい質問ですよね。撮影の前も後も色々考えたんですが、はっきりした答えはずっと出ないと思っています。私にとっての友達は、自分もその子のために無条件で何かしてあげたいって思う子かな。悩んでいたら、最終的な答えを選ぶのはその子だけど、選択肢は一緒に考えたい。一緒にいて楽しい友達と、本当に自分の痛い部分まで話せる友達、それぞれいます。友達について考えるときに思うのは、本当に自分の周りには、支えてくれる人がたくさんいるんだなって(笑)。


萩原:自分が楽しいときって、誰と会っても楽しいと思うんですよね。でも、すごくつらいときにふと思い出せる人、思いを共有できる人が一番大切な存在なのかなって。友達だからこうしないととか、友達だからこうだよね、というのはないと思うし、過ごした時間の長さや共有した思い出の数だけで友達が決まるわけでもない。しばらくずっと会っていなくても、ふとしたときに相手のことを思える、そんな関係性の友達もあるはず。そんな友達の在り方を、この映画を通して教えてもらいましたし、自分自身の心も軽くなりました。できれば中高生の頃に出会いたかったです。でも、出会えなかったからこそ、あのとき感じていた“モヤモヤ”をはづきの中にぶつけることができたのかなと思います。「友達とは何か」、その答えは映画を観ても出るわけではありません。でも、「友達」という言葉に詰まっているいろんなものが、映画を観ていただければ伝わるんじゃないかなと思っています。


菊地:今のところ自分が映画をつくる際には“ドラマ”が必要で、ドラマは人と人との間にしか生まれないと僕は考えています。人と人の関係性の中で生まれるエモーショナルな心の動きを、言葉ではない、映像として、撮っていくところに映画の魅力があるんじゃないかと。そして、映画を作る行為自体も、人と人との関係性から生まれるエモーショナルなものです。決してひとりでは作ることができない。その意味で、映画を作るキャスト・スタッフ、みんなが“友達”になる必要はないんですが、ふとしたときに思い出し合える、再会したときに喜び合える、そんな関係性を毎回作れたらと思っています。「友達とは何か」の答えにはなっていないですが(笑)。(取材・文=石井達也)