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HARUHIの“底知れない可能性”とはーー新作のサウンドプロダクションから分析

2017年08月06日 10:03  リアルサウンド

リアルサウンド

 HARUHIの1stフルアルバム『INSIDE OUT』は、現在18歳の彼女のこれまでの歩みが凝縮されていると同時に、未来への底知れない可能性を感じさせる、「2017年に聴いておくべき一枚」だと言っていいだろう。


 プロデューサー小林武史のもと、初めて日本語詞を歌うことにチャレンジしたデビューシングル「ひずみ」で、声の持つ圧倒的な記名性を印象付け、続く2ndシングル「BANQUET」、3rdシングル「ソラのパレード」ではプログラミングをフィーチャーしたプロダクションで現代性を示しつつ、日本語と英語を織り交ぜた歌詞で、アメリカ生まれならではの独自性も垣間見せたが、シングルの表題曲というのは幾分J-POPにチューニングされたものだったようにも思う。しかし、アルバムに収録された初出曲は全曲が英語詞で、彼女のありのままの姿がそのまま投影されていると言っていいはずだ。


 そんな「彼女のありのままの姿」というのを微分してみると、過去のカップリング曲に表れていたスタンダードなジャズ/ソウルに対する愛情と、インタビューなどでフェイバリットに挙げているParamore、EVANESCENCE、MY CHEMICAL ROMANCEといったゴシックかつエモーショナルなロックへの憧憬を背景に、アデルから先日のフジロックで来日を果たしたロードに至る、同時代の海外の歌姫とリンクする世界観と言ったところか。


 まずは、レコーディングスタジオでのちょっとしたやりとりを収めたような「Introduction.」に続く、アルバムの実質的なオープニングナンバー「Round and Around」を聴いてみてほしい。トレモロのかかったエレピがメロウな印象を与えるソウルナンバーだが、途中で出てくるギターソロは十分に歪んでいてロックそのもの。3曲目に配置された「ひずみ」よりも前に、この曲を持ってきているところに、彼女の本質を見たように思う。


 そんな彼女の趣向性を支えているのが、バンドTHE GHOSTSの存在だ。後述するメンバーはアルバムで多くの楽曲にプレイヤーとして参加しているだけでなく、現在のHARUHIのクリエイティブ面でのパートナーである彦坂亮とともに、「HARUHI & THE GHOSTS」として、4曲でアレンジにもクレジットされるなど、貢献度は非常に大きい。


 そのメンバーはというと、SuperflyやJUJUをはじめとした様々なアーティストのサポートを務めるギタリストの草刈浩司、同じくBOOM BOOM SATELLITESやくるりといった多くのアーティストから信頼が厚いドラマーの福田洋子、さらには、ソウルやファンクを出自に持つベーシストのなかむらしょーこに、バークリー音大でジャズを学び、Fango Incというピアノトリオでも活動するキーボーディストの渡辺悠太という、揃いも揃った手練れたちが、HARUHIをバックアップしているのだ。


 特に印象的なのが草刈の存在で、「The Man Who Turned Inside Out」でのサイケデリックなアプローチや、キーボードを排して、ソリッドに仕上げた「Trust Me, I Am Fine」でのノイジーなギターソロは、楽曲の大きな特徴となっている。「ひずみ」ではYEN TOWN BANDをはじめ、小林武史ワークスには欠かせない名越由貴夫がざらついたギターサウンドを鳴らしていたが、草刈もまたFOE/EL-MALOのアイゴンこと會田茂一を師と仰ぐ、オルタナ気質の強いギタリストであり、HARUHIとの相性はバッチリ。また、「Disappear」でのダブ的なアプローチや、「Nightmare」のエディットなども含め、全体的にサイケデリックかつアトモスフェリックなサウンドが目立つのは、ポストダブステップやインディR&B以降のプロダクションと言うことも可能で、やはり海外への目線が伝わってくる。


 この原稿はHARUHIの楽曲のサウンド面にスポットを当てることを目的としているが、それでもその中心に常にあるのは、HARUHIの歌声そのものであることに揺るぎはない。よって、彼女自身の演奏によるアコギをフィーチャーした「Friend」や「Lullaby」のような楽曲の存在も、もちろんアルバムの重要なアクセントなっていることは付け加えておこう。


 なお、HARUHIは今年の夏以降、かねてからの念願だったアメリカへの音楽留学が決定しているそう。これまでの人生を詰め込んだ本作を置き土産に、彼女はさらなる成長を遂げて帰ってくることだろう。そして、それは「邦楽と洋楽の架け橋」といったことではなく、最初からそんな区別がない世代ならではの、新たな表現として立ち現れることを、大いに期待したいと思う。(文=金子厚武)