開業20周年を迎えたツインリンクもてぎ。その歴史に縁深いライダーたちに、もてぎにまつわるエピソードや想いを聞く短期集中連載企画、第12回は中野真矢の登場だ。
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MotoGPやスーパーバイク世界選手権(SBK)など世界の舞台で活躍した中野真矢。ツインリンクもてぎでは「たくさん思い出があります。僕の青春が詰まっている感じです」と、これまでの思い出を振り返った。
1998年に全日本ロードレース選手権にツインリンクもてぎ戦が追加。その当時、中野は全日本ロードGP250クラスに参戦しており、初開催のツインリンクもてぎ戦で優勝を飾った。
「ツインリンクもてぎがオープンした翌年の1998年、全日本の250ccクラスにヤマハのファクトリーライダーとして参戦していました。初めてのコースで開催された全日本で優勝できて、とても嬉しかったのを覚えています。日本でレースをしていると新しいコースを走ることはまずありません。当時はわくわくしましたね。特に、あのオーバルのある風景には感動しました」
そして中野は1999年からロードレース世界選手権の250ccクラスへ参戦を開始。ツインリンクもてぎで開催された日本グランプリで世界選手権初優勝を果たし、自らの実力を示すことができた。
「1999年からグランプリに参戦しましたが、雨のもてぎのレースでグランプリ初優勝。あの1勝は大きかったと思います。チームスタッフが僕のことを認めてくれたのも、あの優勝がきっかけでしたね」
2004年の日本グランプリではMotoGPクラスでカワサキのマシンを駆り、3位表彰台を獲得。これがMotoGPクラスでの初表彰台だった。
「そう、初と言えば、MotoGPで初めて表彰台にあがったのもツインリンクもてぎでした。2004年、カワサキのマシンで3位に入ることができました。あのレースも印象深いレースでしたね」
ツインリンクもてぎでの日本グランプリでは好成績を残している印象の中野だが、攻略が難しいサーキットでもあったようだ。
「ツインリンクもてぎはハードブレーキの多いコースです。それだけに、バイクやタイヤのセットと自分の調子がよくないと攻められない難しいコースです」
中野は2009年に現役引退し、現在は自身のバイク用品ブランドを設立したり、レーシングチームを立ち上げたりするなど、バイク業界に大きく貢献している。また、中野とツインリンクもてぎの関係は引退後も続いており、最後に次のようなコメントを残した。
「引退してからの方が、ツインリンクもてぎへ通う回数が増えています。イベント出演やインストラクター、また最近ではMFJの委員としてレースに関わっています。これまでの20年ばかりでなく、ツインリンクもてぎのこれからの20年も私にとっては重要な場所になるでしょう」