1997年に開場したツインリンクもてぎが今年、20周年の節目を迎えている。それぞれが完全に独立したロードコースとオーバルコースを持つという、世界的にも稀有なレース場として生まれて早20年。その歴史を彩ってきたドライバーやチーム首脳たちに、ツインリンクもてぎにまつわるエピソードや想いを聞く。
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国内唯一のオーバルトラックを持つツインリンクもてぎで、INDY/CARTでレースに出場できた日本人ドライバーはさほど多くはない。だが、そのレースに多くの思い出を秘めているのが、インディカー・ドライバーとして戦っている佐藤琢磨だ。
2002年から2008年までF1に参戦した琢磨は、2010年にアメリカのインディカー・シリーズに参戦。その年の秋のインディジャパンで初めてツインリンクもてぎのオーバルコースを戦った。
「ツインリンクもてぎはなんと言ってもインディジャパンでしたね。デビューイヤーに帰国してレースに出たけど、最初のプラクティスでオイル漏れでいきなりクラッシュ!」
「ほとんどぶっつけ本番みたいな状態の予選でしたけど、9番手を獲得。本当にドキドキしたけど、スタンドが当時のロータスカラーの緑になって、みんな旗を振って応援してくれました。最後はスパイダーマンになってフェンス登っちゃいましたもんね(笑)」と笑顔で振り返る。
2011年、最後の開催となったインディジャパンはロードコースでのレースとなった。
「その翌年のロードコースはファイアストンのタイヤがうまくマッチしなくて、とても苦労したレースでした。けれど、インディカーのクルマでオーバルとロードコースの両方でレースできたのは良かったと思います」
「今でも日本のファンのみなさんの前でオーバルでレースしたいなあと思ってますよ」と希望を語る。
琢磨は、ホンダのドライバーとして若き頃から活躍してきており、ツインリンクもてぎにあるコレクションホールや毎年オフシーズンに行われるホンダサンクスデイも楽しみのひとつのようだ。
「コレクションホールには、SRS-Fから、F3、F1まで僕がレースをしたクルマのほとんどがあって、思い出が詰まっているクルマを一斉に特別展示してもらったこともありました。本当にうれしかったですね」
「今でも毎年ホンダレーシングのサンクスデイにはツインリンクもてぎに行かせてもらっています。昨年はフェルナンド・アロンソやジェンソン・バトンとカートをやったりして、ファンの人と触れ合う時間があるので、いつも楽しみにしてます」
日本人初のインディ500制覇という歴史的快挙を達成した琢磨。海外で戦うサムライにとってツインリンクもてぎは数少ない心を許せるホームサーキットのひとつになっている。彼が今年のホンダサンクスデーに笑顔で凱旋する姿が今から楽しみだ。