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インターネットがない時代のオタク生活 情報不足状態の方がワクワクしていた?

2017年07月25日 11:31  キャリコネニュース

キャリコネニュース

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インターネットの普及で本当に便利になったものだ。買い物も娯楽も、ネット回線一つあればほとんどカバーできる時代になってしまった。

何より売れない物書きの僕にしてみれば、インターネットのお陰でほとんど場所に制限されず、家だろうと出先だろうと関係なく仕事をすることができる。半引きこもりの僕にしてみれば、こんなに嬉しいことなんかない。

となると、思い出すのが難しくなってしまうのが、インターネットが普及する以前のことだ。

ネット回線も、スマホもまだ存在しなかった頃、今とは比較にならないほど、不自由な生活をしていたことになる。(文:松本ミゾレ)

「インターネットがない時代の『博識な人』の価値は今の100倍ぐらいあった」

先日、2ちゃんねるで「インターネットがない時代って分からないことや知りたい情報があるときはどうやって調べてたんだ?」というスレッドを見つけた。本文には「いちいち分厚い百科事典見てたのかよw 」とある。

そうなのだ。思い出した。調べ物の際に、今ほど選択肢も多くなかった頃のこと。詳しい人に聞くか、さもなくば百科事典を開くかという二択なんて、決して珍しいことではなかった。

僕の実家にも、物凄く分厚い百科事典が、ジャンル別に何冊も置かれていた。調べ物の時はいちいちそれらを参考にしていたものだから、本当に手間が掛かったのを覚えている。それでも欲しい情報に出会えなかったら、今度は市立図書館にまで足を運ぶ必要があった。

このスレッドには、まだインターネットが普及する以前のことを覚えている人々の声が寄せられている。いくつか紹介してみたい。

「わからない事を色々貯めといて図書館とか本屋である時出会う感じ」
「インターネットがない時代の『博識な人』の価値は今の100倍ぐらいあった」
「電話だよ電話。いろんなところに電話して聞いてたんだ」

このように、なんとなく当時を覚えている人間の一人として「ああ、分かる。なんか懐かしいなぁ」という気になってしまった。図書館なんて、ネット主流の時代になってからも行くけど、やっぱり本当に本が好きな人とか、日中に行き場のないヒマな老人ぐらいしか見かけなくなったもんなぁ……。

昔のように、日曜日ともなると老若男女様々な人たちでごった返すような盛況ぶりは、今ではなかなか見なくなっている。

欲しい情報を検索一つで探せるのは便利だけど、昔の方が熱量があった

ネット普及前と今とでは、情報そのものの重要性というか、希少性といったものも変動している。昔は良い意味で情報が不足しているのが当たり前だった。

たとえば趣味で集めている物があったとしても、そのジャンルのコレクションをコンプリートするには、一体何が足りないのかが、皆目分からないことも多かった。お気に入りの作家の出している小説なんて、全部集めようと思っても目録がなかったし、「これでコンプリートしただろ」と思ったら、実はまだ全然揃ってなかったことが分かったりしたこともあった。

しかしこれがまた僕のようなコレクターにとっては、なんとも心地よいものであった。情報が出揃わないということは、気に入っているジャンルについて、常に無防備な部分を晒しているということ。

未知の発見は快楽に繋がっていたので、とにかく好きなことについての調べ物をする際には、今よりも確実に熱量があった。「こんなのもあるのか!」というサプライズ。あの瞬間がたまらなかった。

インターネットが普及することで、様々な情報をすぐに手元に引き出せるようにはなった。しかし情報そのものの価値は一気に急落したように感じられる。いつでも、どこでも、欲しい情報をローコストで検索するだけで知れるというのは、非常に素晴らしいことだ。

ただ、あまりにも容易く手に入るようになったため、知った時の喜びは、昔ほど得にくくなってしまった。万人が知識を手軽に得ることができるようになった現代は確かに素晴らしい。だけど一方で、不自由を強いられていたからこそ、欲していた情報を手にしたときの多幸感。あれをなかなか体験できなくなった現状は、どこか寂しい。