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車だけで完結した世界ーー『カーズ/クロスロード』世代交代のすがすがしさ

2017年07月24日 14:32  リアルサウンド

リアルサウンド

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 車に心を洗われる──本作をまず吹替版で見て、さっぱりとすがすがしい気持ちで映画館を出た。ピクサーの作品中この『カーズ』シリーズがだんとつに好きなのは、人間がいっさい出てこず車だけでみごとに完結した世界だからだ(『ファインディング・ニモ』(03、アンドリュー・スタントン)では、終わり近くなって唐突にグロテスクな人間が前景に出てくる場面がありガッカリさせられたものだ)。


(参考:『カーズ/クロスロード』に見る、次世代に受け継がれるディズニー/ピクサーの精神


 人間であることに倦んだら、車の世界に逃避したい。とくに車好きというわけでなくても、そんな大人のささやかな望みをかなえてくれる本シリーズだが、前作『カーズ2』(11、ジョン・ラセター)は冒頭から大規模な海洋スペクタクルで、全編にわたるスピードの追求にまったくといっていいほどついていくことができなかった。覚えているのは、海を見晴らすレストランのガーデン席で食事をしているシーンだけである。


 3作目にあたる今作『カーズ/クロスロード』(07、ブライアン・フィー)は、激しいレースをあいだに挟みつつ、車の人間らしい表情をじっくり楽しめる落ち着いたものとなった。不安げなまばたき、わずかにひそめた眉、口元の小さな微笑み、指さす前タイヤ。


 もっとも、こうした微細な表情やしぐさがふたたび──1作目の『カーズ』(06、ジョン・ラセター)でのように──余裕をもって感受できるようになるのは序盤もしばらく過ぎてからのことだ。今作は、第1作ほどの完成度はなく、情報をつめこみすぎたままストーリーが展開するのでしばらくは車世界に入り込めない。


 最初にぐっと惹きつけるのは、主人公ライトニング・マックィーンと同世代のレーサー、キャルが引退を表明し、この映画のテーマ「世代交代」を、バツグンのユーモアとペーソスあふれる表情と身ぶりで率直にマックィーンに語ってみせるところだ。ここで、彼の深みのあるセリフの真実味に思わず吹きだしながらも、車と人間のあいだのよそよそしい距離がいっきに取り払われて、彼ら一人一人の寂しい背中や、しんみりしたレース外での走りにシンパシーを注ぐことができるようになる。車世界に入り込むのだ。


 今作では、とくに3人の新しいキャラクターに惹きつけられた。まず、「スモーキー」。第1作でマックィーンの師匠だったドック・ハドソンを師として支えたレジェンド中のレジェンドだという。スモーキーは、とっくにいい年のはずだがまだまだ元気な爺さんで、登場シーンが秀逸だ。一見して、「一杯いこうか」とパブに誘って奢ってくれそうな雰囲気を濃厚に漂わせて、じっさい出会ってすぐにマックィーンらをガレージ・バーにつれていく(バーでは女性ボーカルのバンドがブルージーに演奏中でスティール・ギターまで弾いている)。


 スモーキーに特訓を受ける前にマックィーンは闇の破壊ダービー(demolition derby)に飛び入りで参加する。泥の中でポンコツ改良車らが互いに破壊し合いながら闘う死のダービーだ。いかがわしくも楽しいこのスペクタクルで、バッファローの角のような凶器をおったてた殺人鬼のような黄色いバスの婆さんが「ミス・フリッター」。彼女がスクールバスだと知って開いた口がふさがらなかった。


 3人目が、今作で文字通りトップに躍り出る女性トレーナー「クルーズ・ラミレス」。彼女も車体は黄色だが、若さと陽気な性分をあらわすために選ばれた色だ。若さといっても、じっさいの年齢はよく分からない。興味深いのは、クルーズの印象が吹替版とオリジナル版ではずいぶん変わってくるように思えることだ。吹替版の声(松岡茉優)は若いながらもしっかりしていて人間でいうと27歳から32歳くらいに聞こえる。そのため顔もそのくらいにみえる。一方オリジナル版では声優(クリステラ・アロンゾ)の実年齢に近く40歳前後にみえる。


 吹替版で受けた感銘は、若い女性車がセクハラもうけず立派に男性車たちのトレーナーとして成り立っているという卑近な事実の確認から始まり、さらに、対等かそれ以上の走りをみせるレーサーとしてのポテンシャルをも兼ね備えているという喜ばしき事実の確認、また、魅力的でありながらマックィーンら男性車の恋愛の対象にはならず、彼女自身もマックィーンへのリスペクトを恋愛感情と結び付けることなく友愛に発展させ、自身の能力を伸ばしていくことができるというやはり喜ばしき事実の確認──これらを通して生じたものだろう。


 オリジナル版では、すでに中年にふさわしい貫禄がクルーズにあるため上記の達成──ひじょうに細やかな配慮でなしとげられたものだ──が吹替版ほど新鮮な印象を与えないようにも思える。だが、オリジナル版には別の決定的な感銘もある。エンディングの曲が女性の歌だからだ(ZZ Ward「Ride」)。吹替版のテーマ曲は奥田民生による「エンジン」で、作品はこれまでどおりマックィーンの物語として幕をとじるだろう。だが、オリジナル版の終わりで女性ボーカルが高らかに「自分の歌」を歌いだすとき、「ああ、〈彼女〉の物語だったのだ」と目を開かれる。マックィーンは主人公の座を彼女にゆずったのである。そうであるなら、とりあえず車と人間の年齢の齟齬など今は気にせず、走りださねばならない。テーマ曲も歌っているように。


(田村千穂)