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長瀬智也×吉岡里帆『ごめん、愛してる』韓国版との共通点と違い “因果応報”をいかに描くか?

2017年07月23日 13:52  リアルサウンド

リアルサウンド

 現在TBSの日曜劇場で放送されている『ごめん、愛してる』は、韓国ドラマのリメイクである。


 韓国版の放送は2004年11月。それは日本でちょうど『冬のソナタ』が地上波で放送された時期とも重なる。当時の韓国ドラマには、不治の病や、起伏の激しいストーリー展開のものが多く、日本のドラマとの違いに驚き、続きが気になって仕方ないという状態に陥っていた人も多かった。


 『ごめん、愛してる』も、オリジナルはオーストラリアのシーンから始まり、また、結末の斬新さで良くも悪くも物議をかもした。あらあらしいストーリー展開に疑問を感じる部分もあると評価もされていたが、それ以上に、ヒロインのウンチェと男性主人公のムヒョク、そしてムヒョクと彼の母親との、強くて激しい感情のほうが勝っていて、その力業で涙なしには見られなかったし、このドラマを見た人が「ミサ(『ミアナダ・サランハンダ』という原題の略)廃人」になると言われていたほどであった。


 そんな10年以上も前に作られた作品を、今、日本のドラマで再現するということに、最初はとても驚いたし、どうやって日本の視聴者に見せていくのだろうという興味を持った。


 放送が始まると、オーストラリアだったオープニングのロケ地は韓国に代わっていたし、ムヒョク=律(長瀬智也)はストリートチルドレンとして育ったヒッピーではなく、スーツを着ていたし、裏社会の組織ではあるが、しっかり自分が生きる足場は見つけていた。そして恋人ではなく、自分を慕ってくれた組織の中心人物で兄のように慕ってくれる存在のために、銃弾を受けていた。


 韓国がロケ地であることは、日本で『ごめん、愛してる』を再現するには、とても良い効果をもたらしている気がする。なぜなら、こうしたドラマチックなストーリーでは、日常とは離れたどこかで起こっている感覚を与えたほうが、視聴者をその世界に入り込ませやすい。日本ではない国のカジノやお金持ちのパーティなどを見せられたほうが、頭に銃弾を受けて、余命がいくばくかしかないという状況も信じやすい。これはこのドラマならではの世界だと認識させることに成功しているのではないだろうか。


 一話と二話では、長瀬智也演じる律が母親に捨てられて異国でなんとか暮らしてきた孤独と、吉岡里帆演じる凜華がずっと片思いしていても報われない寂しさ、それが共鳴しているシーンが印象に残る。


 言葉で書いてしまうと陳腐な気がするが、一話で律が幼いころから暮らしてきた粗雑な住処のベッドで二人が横たわる映像を見ると、それだけで二人のなんともいえない寂しさやせつなさが伝わってくる力があった。


 韓国版では、因果応報が大きなテーマになっていた。自分が人にしたことは、必ず返ってきてしまう。それがどんなに残酷であっても。というのが、このドラマの大きな軸になっていたのだが、個人的には、そんな世界観を私は韓国版の『ごめん、愛してる』で初めて意識したし、その後の韓国ドラマや映画を見ていると、かなりの作品で通底しているテーマのように思えた。余談であるが、9月に公開される『新感染 ファイナル・エクスプレス』でもそれを強く感じた。何かをすれば、よくも悪くも報い/酬いがあるのである。


 日本版では、こうした軸となるテーマをどのように設定するのだろうか。また、結末は果たして韓国版と同じなのだろうか。まだまだ先は長いが、見続けていきたいと思う。(西森路代)