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會田茂一の“裏番長”的な仕事ぶり……『ぼくらの勇気 未満都市』を機に多彩なキャリアを辿る

2017年07月23日 10:03  リアルサウンド

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 堂本剛と堂本光一が共演したドラマ『ぼくらの勇気 未満都市』が、KinKi Kidsのデビュー20周年記念の特別企画として20年ぶりに復活した。7月21日に放送された『ぼくらの勇気 未満都市2017』(日本テレビ系)ではかつての「再会の約束」が果たされ、物語のその後が描かれた。そして、過去の連続ドラマと同じく、今回のスペシャルドラマで音楽を担当したのが、會田茂一である。


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 會田によるサウンドトラックは、20年前に使用されていた楽曲も含め、ギター中心のものになっていた。バンド編成で録音されたり、部分的にはピアノとストリングスの曲が流れたりもしていたが、ギターがソロで演奏されるか、それにパーカッションが加わる程度の音数の少ないサウンドが多かった。アコースティックと、歪みの程度を変えたエレクトリックでギターの音色を曲ごとに変化させ、場面ごとの雰囲気の変化を支える形だ。ギタリストである會田らしい職人の技だったと思う。


 アイゴンの愛称でも知られる會田茂一といえば、バンドやソロで自身の音楽活動を展開する一方、様々なアーティストのプロデュースや楽曲提供、演奏参加などで長年、独特な存在感を示してきた人だ。彼が佐藤研二、小松正宏(bloodthirsty butchers)と組んだ3ピース・バンド、FOEは、今年6月21日に『Freedom ep』をリリースした。このEPは、1976年のオープン以来、数多くの作品を生んできた新宿のフリーダムスタジオが昨年末で営業終了したことを惜しみ作られたもの。クローズド後のスタジオにバンドが集結し、久々にレコーディングした新曲「POE」「青が溶ける」は、落ち着いた大人のロックになっている。


 スタジオはこの7月に「フリーダムスタジオインフィニティ」としてリニューアルオープンしたが、もとのフリーダムスタジオへ會田が初めて行ったのは、ACROBAT BUNCHが参加したコンピレーション盤のトラックダウンの時だったという。大学時代からギタリストとして歩み始めた彼は、レゲエ、スカ、ジャングルなどに取り組んだ朝本浩文のRam Jam Worldに参加後、LOW IQ 01や堀江博久とともにACROBAT BUNCHで活動した。ミクスチャー・ロック的だったこのバンドが、「烏合の衆」でコンピ盤『SHAKE A MOVE』に参加したのが1992年のこと。『ぼくらの勇気 未満都市』が20年の時を経て復活したのに対し、『Freedom ep』は25年前へ思いをはせたようなEPなのだ。


 會田は雑誌『PLAYER』5月号の連載原稿において、フリーダムスタジオで編集作業やエフェクターによる実験など、音楽制作でトライ&エラーを繰り返したことを書いていた。同号では「ボクも90年代、エルマロから始まって、参加させてもらった録音の半分以上はフリーダムスタジオにお世話になっています」と語っている。ここで触れられているEL-MALOこそ、會田茂一の存在が知られるきっかけとなったバンドである。


 會田が柚木隆一郎と1991年に結成したEL-MALOは、1993年にミニアルバム『DAGGER TO FOOL』でデビューした。ブルース、サイケデリックの要素を含んだバンド・サウンドをハウス、クラブ・ミュージックと融合した彼らの音楽は、変則的で複雑かつ緻密に構築されていた。一方、ライブでのEL-MALOは、ツインドラムにパーカッションも加わった荒々しい演奏を聴かせ、その中心で會田はリード・ギタリストとしてバリバリ弾いていた。当時のEL-MALOは「渋谷系の裏番長」などと呼ばれていた。(1994年の2ndアルバム『The Worst Universal Jet Set』は小山田圭吾がプロデュースに参加)。


 1990年代後半にEL-MALOが活動休止状態になって以後は、前述のFOEをはじめ、高桑圭(GREAT3)とのユニットであるHONESTY、中村達也率いるLOSALIOSへの参加、プロデュースしていた髭への一時加入など、様々な形態で活動してきた。その間にはEL-MALOの再始動もあったが、會田は2008年に脱退している。


 ここまでの履歴からもわかる通り、會田は、初期の段階からすでにジャンル横断的なアーティストだった。FOEでは正統派の骨太なロックを演奏する一方、いとうせいこうとのユニット、Just A Robberではレゲエ、ダブに寄った音楽性をみせる。1stソロ『SO IT GOES』(2008年)がアコースティックなロックだったかと思えば、2ndソロ『PINK GRENADE』(2010年)ではダンス・ミュージック的な部分を含んでいるといったぐあい。そうした雑食性や柔軟性が、プロデュースや楽曲提供、セッションや他アーティストのツアーへの参加でも活かされている。


 會田は、高橋優「旅人」のほか、BONNIE PINK、Chara、YUKI、黒猫チェルシーのプロデュース、新垣結衣「小さな恋のうた」(MONGOL800のカバーの編曲)、堂本剛や柴咲コウ、東京スカパラダイスオーケーストラのライブツアーへの参加など、数多くのアーティストを様々な形でサポートしてきた。ギタリストとしての録音参加も多く、最近では花澤香菜『Opportunity』(2017年)の「FLOWER MARKET」で弾いていた。


 また、『ぼくらの勇気 未満都市』のほか『池袋ウエストゲートパーク』、『けものがれ、俺らの猿と』、『スクラップヘブン』といったドラマや映画のサウンドトラック、CM音楽なども手がけている。ちょっと変わったところでは、デスメタルを題材にした人気コミック『デトロイトメタルシティ』が映画化された際、KISSのジーン・シモンズが歌った劇中曲「ファッキンガム宮殿」を作曲してもいた。


 そうした彼の代表的な仕事が、木村カエラ「リルラ リルハ」(2005年)だろう。會田が作編曲とプロデュースを担当したこの曲は、ギターリフが印象的なロック・アレンジになっており、木村カエラの陽性で元気なキャラクターによく似合っていた。それまでのモデル活動のイメージが強かった彼女は、メジャー3作目のこのシングルでボーカリストとして認知されたといってよい。楽曲提供やプロデュースだけでなく彼女のツアーにも参加した會田は、木村カエラがロックフェスに出るのが当たり前のことになる過程で、大きな役割を果たしていた。


 會田のプロデュースや編曲は、本人がギタリストであるだけにギターにポイントを置いたものが多いが、幅広いジャンルでの経験、教養を背景にしてポップな方向にもエレクトロニックな方向にもしなやかに対応している。自身の音楽活動では骨太で男くさいロックが一つの軸としてあるが、女性アーティストに関連したものの割合が意外に大きい。ベイビーレイズの編曲、チームしゃちほこでの演奏参加などアイドル方面でも働いている。相手の元気さを引き出したり、優しさに寄り添ったり、場面ごとに感覚を切り換える。


 知る人ぞ知る、信頼できる仕事人というのが、會田茂一なのだ。その意味で彼は、かつてとはまた違った形で「裏番長」的な存在になっている。(円堂都司昭)