今年で20周年を迎えるツインリンクもてぎ。関東圏だけでなく、日本のモータースポーツにとって大きな役割を担ってきたツインリンクもてぎについて、ドライバー自身の記憶と思い出と共ともに振り返る短期集中連載企画。今回は野尻智紀に聞いた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
現在、国内トップカテゴリーで戦う野尻智紀にとって、ツインリンクもてぎでの一番の思い出は「カートでチャンピオンを獲ったこと」だと振り返る。
今から11年前の2006年、当時高校2年生だった野尻は全日本カート選手権FAクラスに参戦していた。しかし、シーズンの途中でタイヤメーカーを変えるなどして序盤は苦戦、中盤戦から勝負ができるようになったという。
「最終戦がツインリンクもてぎで、チャンピオン争いには残っていましたけど、地力優勝は無理だったんです。だからチャンピオンシップのことは考えずに、気持ち良く走って勝てればいいなと思っていました。そうしたらレースはぶっち切りの優勝、チャンピオンもついてきて、『あれっ!? チャンピオンになっちゃった!! 』って、そんな感じでした(笑)」
状況が状況だったため、チャンピオンへの強いこだわりは持っていなかったというが、これによって野尻のその後のレース人生は大きく変わった。
「2007年はヨーロッパでカートをやったんですが、チャンピオンを獲ったことでそこへ行く流れができたんです。いま僕がこうやってプロとして戦えている一番最初の大きな関門のひとつがそれだったんじゃないかなと思っています」
1999年にツインリンクもてぎで初めてフォーミュラ・ニッポンを観戦し、トップドライバーの勇姿に憧れた少年がプロドライバーとしての一歩を踏み出した瞬間だった。
茨城県出身の野尻にとって、ツインリンクもてぎは『地元』のサーキットとも言える。
「地元の茨城が近いだけあって、友達がよく見に来てくれます。友達の応援は力になりますし、『サーキットに行ってきた』という話が別の誰かに伝わって、もっとたくさんの人がサーキットに来てくれるようになったらいいなと思っています。そのためにもツインリンクもてぎさんとともに北関東のモータースポーツ人気を盛り上げていきたいですし、僕自身もっともっとそういうお手伝いをしたいですね」
国内トップカテゴリーのスーパーフォーミュラおよびスーパーGTにおいて、ツインリンクもてぎでの優勝をまだ果たせていない野尻。地元での初優勝を期待したい。