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佐野元春、ネバヤン、Chara、欅坂、ブクガ…“時代の雰囲気”捉えた歌詞の世界に浸る

2017年07月18日 13:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 優れた歌詞は常に時代を照らし出し、リスナーに“自分がいる場所”を知らしめる機能を持っている。ここではないどこかに連れていってくれる歌も魅力的だが、いまの社会の状態を考えると、時代の雰囲気をしっかり捉えた作品にこそ、スポットが当たるべきだと思いう。そこで今回は、社会の空気を感じつつ、歌の世界にどっぷり浸れる新作を紹介したい。


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 もうこんな状況になってしまった以上、“社会的なことは歌わない。音楽と政治は別だから”というのは単なる言い訳にしか聞こえない。優れたシンガーソングライターは常に冷徹なジャーナリストとしての気質を持っていて、2017年を歌おうとすれば、いまの政治にまつわることが含まれるのはどう考えても必然だーーということを、佐野元春の新作を聴いてはっきりと感じた。もちろん一流のビート詩人である佐野は、直情的なプロテストソングを歌っているわけではない。たとえば<あのひとは月影を隠して闇を作るだろう>(「朽ちたスズラン」)というフレーズで現実を浮き彫りにし、<デタラメに散らかったこの世界で/行きたい場所は自分で決めるのさ>(「新しい雨」)という一節で希望の在り処を示してみせるのだ。若い生活者たちをイメージして制作されたという『MANIJU(マニジュ)』、ぜひ10~20代のリスナーに手に取ってほしいと思う。


 若き都市生活者であるnever young beachのメジャーデビュー盤(通算3作目)『A GOOD TIME』は、日常のなかに確実に存在するはずの“いい時間”を豊かに実感できる作品に仕上がっている。<キッチンからは溶けたバターの匂いがして>という何気ない幸せを映像的に描いた「気持ちいい風が吹いたんです」、<僕達が出会ったことは奇跡なんだって思うから>という純度の高い恋愛感情を映し出す「SURELY」など、安部勇磨(Vo/Gt)が紡ぐ歌詞もさらに向上。そのポイントは“君”“僕”という人称をなるべく使わず、より幅広いリスナーに向けて歌を解放していることだろう。そう、トロピカルなバンドサウンドのなかで“気の合う仲間との楽しい時間”を歌ってきた安部は、内側に閉じこもるのを止め、自らの感情を外に向けて放ち始めたのだと思う。


 Kan Sano、岸田繁(くるり)、ケンモチヒデフミ(水曜日のカンパネラ)、mabanuaなどが参加したCharaの新作『Sympathy』は、収録された12曲のすべてに“愛”または“好き”または“LOVE”というワードが入っている、豊かで奥深いラブソング・アルバム。<ずっと見ていたい秘密の勘違い/もう、あるだけ愛しちゃえ>(「Sympathy」)をはじめ、どこを切り取っても愛の本質が溢れ出て来て、浄化と官能が同時に押し寄せてくるような不思議な感覚に包まれてしまう。1991年のデビュー以来、愛という普遍的なテーマを追い求めてきたCharaは本作において、その表現をさらに深めてみせたのだ。残念ながら(どこまで行っても社会性から逃れられない)男である筆者にはおそらく永遠にたどり着けない境地だが、せめてこのアルバムをじっくり聴いて、愛について考えることだけはやめないでいたい。


 阿久悠、安井かずみなど日本のポップスを形作ってきた作詞家たちは、常に世相を見据えつつ、歌詞を通して数多くの歌い手に“時代における役割”を与えてきた。2017年においてもその構図には変わりがなく、秋元康はいまのその優れた担い手のひとりとして存在している、賛否両論はあっても。欅坂46はデビュー以来、“サイレントマジョリティー”に対して“誰よりも高く跳べ!”とか“不協和音”になることを恐れるなといったメッセージを送ってきたわけだが(それを統率の取れたパフォーマンスで表現するアイロニーこそがこのグループのおもしろさなのだろう)、現時点における頂点とも言える楽曲が、本作『真っ白なものは汚したくなる』に収められた「月曜日の朝、スカートを切られた」。<誰もが/何かを/切られながら/生きている>というフレーズは本当にすごいと思う。


 メジャー1stアルバム『image』が音楽メディアなどで高く評価され、アイドルシーンだけではなく、幅広いリスナーにその存在を知らしめた“4人組ニューエイジ・ポップ・ユニット”Maison book girlのニューシングル『412』。リードトラック「rooms」は“ブクガ”の本質をストレートに表現した楽曲だ。中心となるモチーフは、これまでの楽曲でも頻繁に使われてきた“部屋”。現在のような高度な情報社会における“部屋”(≒個人的な空間)の意味を<何もかもがあって、何も無くなるの。>という一節で見事に照射し、すべての人に当てはまるポップスへと結びつけるプロデューサー・サクライケンタの手腕はこの曲においてひとつの高みに達したと言っていい。最新鋭のエレクトロニカと現代史的な言葉の組み合わせも高品質。(森朋之)