トップへ

“人の知性”についての物語ーー『ノーゲーム・ノーライフ ゼロ』は知的好奇心を煽る秀作だ

2017年07月18日 11:22  リアルサウンド

リアルサウンド

写真

 『ノーゲーム・ノーライフ』は人間の知性を信じる物語だ。人の力は暴力ではなく、どこまでも知性であると信じる人の話だ。大抵のヒーローは最終的には腕力で事件を解決するが、このシリーズの主人公たちはどこまでも知略で立ち向かう。


映画は自由でいいーー『KING OF PRISM -PRIDE the HERO-』が示す、常識の向こう側


 「人生はクソゲー」と言ってはばからない引きこもりがちな天才ゲーマー兄妹が、ある日全てがゲームの勝敗によって決まる異世界に召喚されたことから、その力を発揮する。非力で魔法のような特殊能力も持たない人間が、異世界のエルフや獣人種たちに対抗する術はその知性のみ。ゲームを極めた兄妹がその知略で巨大な力に打ち勝つ爽快さが、本シリーズの最大のカタルシスだ。


 血の繋がらない兄妹というライトノベルによくある設定かつ、コミカルな作風で、人間の知性がいかに素晴らしいものであるかについて語った作品と言える。


 今回の劇場版『ノーゲーム・ノーライフ ゼロ』は、TVシリーズの内容の前日譚的な位置づけとなる。原作では6巻の内容に相当するが、ゲームで全ての雌雄が決する世界がどのように生まれたのかが描かれる。全てがゲームで決まるというルールで動く世界の、そのルールを決めたのは誰なのかを描く。それも、知性を巡って、極めて今日的な問題提起を含んだ上で。非常に知的好奇心を煽る秀作だ。


 本作はTVシリーズで描かれた時間軸の6000年前が舞台となる。特殊な力を持った種族が覇を競う大戦のさなかであり、非力な人間は絶滅の危機に瀕している。本シリーズの主人公の兄妹はほぼ登場せず、兄の空(そら)によく似た人間・リクと、妹の白(しろ)に似た機械仕掛けのエクスマキナであるシュヴィが主人公となっていて、物語の雰囲気も、コミカルな本筋とは違い、重厚かつ終末感漂うものとなっている。


 雰囲気が一変しているとは言え、「人の知性」についての物語である点は一貫している。本作ではその人の力である知性でもって、暴力が支配する大戦を終わらせる戦いを描いており、知略がより良い未来を作るという希望を、一層強く感じ取れるような内容だ。


 とりわけ本作は、人工知能と人間の知性の関係について着目した作品と言える。人間は地上における最高度の知的生命体だが、人工知能の進化は人の能力を超える段階まで差し掛かろうとしている。このシリーズを象徴するチェスでは、AIが最高ランクの人間のプレイヤーを負かして10年以上が過ぎているが、もはや現行のルールで人間がチェスに勝つことは難しくなってきており、将棋や囲碁の世界でもコンピュータの躍進は大きく注目されている。そうした人工知能がゲーム分野のみならず、今まで人間が担ってきた様々な役割を果たしうるようになった時、人の存在意義とはなんなのかが問われる時代になってきている。


 本作の物語の縦軸は、人間のリクと機械仕掛けのシュヴィが共同作業によって、争いのない世界を創り上げるという話だが、シュヴィが人間の心を理解するために、リクとの交流によって心を獲得していく様が横軸となっている。本作のエクスマキナは厳密には人工知能ではなく、神霊に作られた存在だが、機械仕掛けであり、人知を超えた演算能力によって無限の成長が可能など、AIと似た特徴を有している。そのため、エクスマキナを人工知能的存在として見ることにする。情報処理と計算能力に優れた人工知能と、争いを生む世界の構造ルールそのものを変えようとする人間の意思、そのどちらかが欠けていても最後の成果は果たしえない。人間だけでは到達できない領域に、人工知能の助けを借りて到達する物語だと言える。


 このシリーズの題材であるゲームにおいても、例えば将棋の世界でも人工知能の登場によって、対局の奥深さはさらに進化していると言われる。研究に将棋ソフトを積極的に導入する藤井四段などの新世代の登場がそれを物語る。


 人の力ではたどり着けない地平に、AIの力を借りて到達する。良き意思さえあれば、人工知能は脅威ではなく、人に新しい希望をもたらすことができるのではないか。


 人の知性を前向きに信じたくなる、そんな作品だ。(杉本穂高)