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集団行動・真部脩一が語る、“Jポップの王道”を目指す理由「僕にとってはこれがスタンダード」

2017年07月17日 14:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 齋藤里菜(Vo)、真部脩一(Gt)、西浦謙助(Dr)による集団行動が、6月28日にデビューアルバム『集団行動』をリリースした。集団行動は、相対性理論のコンポーザーでもあった真部脩一が立ち上げた新バンド。真部が“王道ポップスを作る”と宣言し、活躍の場をメジャーシーンに広げようとするプロジェクトである。今回リアルサウンドでは、前回(「真部脩一が考える、“相対性理論”以降のポップミュージック「やり残したことがあると感じている」)に続き、真部脩一にインタビューを行なった。一口に王道ポップスといっても、真部の構想する音楽は、Jポップの定型的なスタイルとは異なっている。相対性理論からの脱退以降、Vampilliaなどでギタリストとしての才能も発揮してきた真部は、2017年の今、ギターサウンドを軸に据えた新しい音楽を世に問おうとしているように見える。インタビューでは、音楽におけるスタンダードとは何か?という話から、彼自身の意外性のある音楽的バックボーンにまで話は及んだ。(編集部)


・自分がスタンダードだと思うものがどういうふうに扱われるか


ーー前回は2015年9月、真部さんのミュージシャンとして、クリエイターとしてのスタンスを聞くインタビューでした(参考:真部脩一が考える、“相対性理論”以降のポップミュージック「やり残したことがあると感じている」http://realsound.jp/2015/09/post-4481.html)。そのとき語っていた「やり残したことがある」という話も踏まえ、集団行動について聞いていきたいと思うのですが、前回のインタビュー時点で、すでに準備が始まっていたということですね?


真部脩一(以下、真部):そうですね。ただ、その時点ではボーカルは決まっていなくて、いろいろな人と会う機会が増え、自分自身、いろんなことを面白がれるようになってきたところで。「これでメンバーがフィックスできるんじゃないか」というタイミングでインタビューしていただいて、たぶん、そこから半年しないうちに齋藤(里菜)に会ったと思います。


ーーなるほど。ドラムスの西浦(謙助)さんは決まっていました?


真部:正直なところ、西浦さんは決まっていたというより、自然に一緒にやるようになっていた、という感じです。デモ制作で叩いてもらっていたし、「バンドにしたい」という思いが強くなっていったなかで、「この人は一番、バンドメンバーらしい人かもしれないな」と。


ーー齋藤さんのボーカル、とてもいいですね。真部さんが求める「再現性のあるポップミュージック」という部分に合っているのもそうですが、想像していたよりもバンド感、生っぽさがあるサウンドです。


真部:そうですね。再現性という意味では、僕は本当にスタンダードがやりたいんです。要するに「1001」(センイチ。ジャズのスタンダード曲集)や「リアル・ブック 」(有名曲のセッション用譜面をまとめた書籍)に入っているような曲を書きたいし、教科書的に扱われるようなボーカルとやりたい、というのがずっとあって。わりとフレキシブルにいろんな方向性に振れて、どういう歌い方をしても、ある程度聴こえ方が同じになるボーカリストが好きなんですね。要するに、カバーされたとき、オリジナルを聴き返すとすごいサラッとしているけど、「これが一番好きだな」と思われるような。ダイアナ・ロス的な感じですね(笑)。


ーーなるほど。普遍的なものですね。


真部:そうなんです。普遍的なものとして扱われるものが好きで、自分の音楽もそうであってほしい。そういうフォーマットがあるからこそ、自分の趣味だったり、感覚だったりが浮き彫りになる瞬間があって、それがけっこう好きなんですよ。
 相対性理論をやっていたときは、ニッチなものとして扱われることに「それはそうだろうな」とは思いつつも、自分のなかでは不本意な部分もあって。今回は“王道”という旗を掲げることで、自分がスタンダードだと思うものがどういうふうに扱われるか、ということにすごく興味がありました。それに、相対性理論は実験的なバンドだと思われていましたが、わりと苦肉の策がうまくいっていた部分も大きかったんです。例えば、歪んだギターを使うのが得意じゃないから、ギタリストが得意だったUKロックを研究したり、ボーカルがちゃんと聴こえるようにドラムサウンドを抑制したり。それらすべてを必ずしもポジティブにやっていたわけではなかったので、今回のほうが逆にポジティブな気持ちで臨める土壌ではありますね。


ーー苦肉の策ではなく、やりたいことがそのままできる。


真部:そうですね。その良し悪しを自分で知りたい、というところがありました。特に今回はファーストアルバムということで、自分が王道だと思って投げ込んだものが、どこまで自分の芸風として回収できて、どこまでが余計なものなのか。そういうなかで、バランスがいいアルバムになったなという感覚です。


ーー王道、スタンダードを目指すなかで、おっしゃったように個人のニュアンスが出ていますね。例えば、ギターには相当出ている(笑)。


真部:けっこう出ていますよね(笑)。


ーー「バックシート・フェアウェル」という曲ではギターソロを弾きまくっていて、最初はびっくりしました。


真部:意外に思われることが多いんですけど、僕は趣味としてアメリカンロックがすごく好きなんです。中学のときに聴き狂っていたのがパール・ジャムだったりして。だから、わりと苦肉の策で、実験的にできあがった自分の土壌と、自分の好きなものが、少し対立的になっていたんですよね(笑)。自分の得意なものと、自分の好きなものが乖離しているのが、ひとつの面白さではあって。今回はそれをどこまで接近させられるか、というチャレンジでもあります。


ーーパール・ジャム、確かに。ギターもちょっと男くさいというか、ハードな印象でした。


真部:ブルージーで(笑)。あとはプリンスとか、ショービズとしてのアメリカンロックが好みなんですよね。それをどこまで自分の音楽に落とし込んでいいのか、というのは純粋に僕の興味です。だから今回のアルバムは、わりと趣味性が強いというか、自分を投影している感覚があります。


・言葉にならない魔法みたいなものが生まれてほしい


ーーあらためて、真部さんが考えるスタンダードとはどんな音楽ですか。


真部:ティン・パン・アレー(かつて楽譜屋街だったマンハッタンの一角)で売られていた譜面とか、ジャズ・スタンダードとか、ショービズとしてはマイケル・ジャクソンとか、というところですね。個人の表現というより、ひとつのアンセムのような。


ーーそこを目指すというのは、やはり一貫していますね。


真部:そうですね。そういう意味で、メロディや歌メロをいかにシンプルに、美しくするかということを追求してきました。その上で今回は、許容の幅というか、どこまで自分の趣味性、エッセンスみたいなものを入れても破綻しないか、という試みでした。


ーーエッセンスはすごく出ていますね。アメリカンロックというキーワードを聞いて、また聴き直したら面白そうだと思いました。


真部:僕としても、今回のアルバムを作ることで、自分が過去に抑制していたものを、自分で再評価できるようになったというか。相対性理論の作品に感じていたわだかまりのようなものも少し溶けた感覚なので、次回作の制作がすでに楽しみになっています。


ーー言葉の部分もそうだし、メロについても感情の揺れが増していて、よりエモーショナルになっていますね。前回のインタビューでは、「魔法」という言葉でそうしたエッセンスを説明してもらいましたが。


真部:「スタンダードなものを」と言いつつ、最後は歌い手に歌を託さないと作品として完結しないこともあって。なるべく誰が歌っても成立するような世界観を作ろうとしながら、どこかで託すという作業をするときに、エモーショナルな方向に振るのが成功したという感じです。


ーーなるほど。エモーショナルなものに振ることによって、託しやすくなる?


真部:そういうことですね。今回は王道のバンド、僕の好きなショービズ的なバンドとして、まずロックスターというものを作りたかった。そのためのキャラクターの強化ということが念頭にあったから、“託す”ということが素直にできたんじゃないかなと思います。音楽を続けていくと、自然とどんどん自分が出てくるというか、リリカルになっていくんですけど、その部分に正直でいられるボーカリストだった、ということですね。


ーー歌詞についてはどうですか? こちらもエモーショナルな面が出てきているように感じます。


真部:作詞については意識的に大事にしないようにしてきたんです。というのも、たぶん自分にとって一番得意なことだから、それを大事にすると感情移入しすぎて、客観視できなくなってしまう。だから、歌詞をプライオリティの上位から外そうと、ずっと考えてきて(笑)。


ーーそうなんですね。面白い。


真部:作詞って9割型、修辞でできることなので、ほとんどテクニックの世界なんです。あえて思い入れをなくすことで9割が組み上がり、残り1割の部分に自分の趣味性だったり、感情の部分が出てきて、スパイスになってしまう。そこが大きくなると歌詞が揺れてしまうので、なるべく後回しにしようとしていたんですけど、やっぱり30を過ぎてから、そこも含めてーー感情表現やストーリーテリングも上手になってもいいんじゃないかという気持ちになってきていて。


ーー真部さんはコンセプトメーカー的な面を強くもつ方だと思いますが、それは歌詞からはあえて注意深く排除されている。そのギャップが面白いですね。作品を通じてコンセプトは強く感じるのに、言葉ではまったく説明されない。


真部:僕が音楽に対して感じるものって、コンセプチュアルな言葉で説明できる部分ではないんです。自分が作る音楽においても、最終的な出口として、言葉にならない魔法みたいなものが生まれてほしい。だから、コンセプトというよりもルールだったり、レギュレーションを自分のなかで設定して、いつでもそれを破れるようにしておくこと、実際にそこから逸脱することがずっと目標なんです。例えばF1はルール、レギュレーションがあるから面白いわけで、草レースにはしたくない(笑)。


ーーなるほど。集団行動においても真部さんが引いたレール、レギュレーションがあって、それをどこまで逸脱するか、ということが基準になっていると。


真部:そういう意味では、今回は自分の芸風がある程度、認知された状態でのスタートだったので、逆にやりやすかったですね。「みんなが知っている芸風」という部分と、知らない人にとってスタンダードとして扱われるかどうか、という部分をうまく両立しながらできたらいいなと。


 それに、僕は新しいことをやっても同じように聴こえる部分があるというのは、ものすごい強みだと思っていて。そういうものをずっと作りたかったし、「馴染んでいて、でも新しい」というものができるんだったら、どんどん挑戦していきたいなという気もします。


ーー音の佇まいが日本で流通しているポップスとは違うので、新奇性を感じる人もいると思いますが、繰り返し聴いていると、各曲のスタンダード性みたいなものは伝わってきますね。


真部:ありがとうございます。僕にとってはずっと、これがスタンダードなんです。


・Jポップの文法にどこまで接近できるか


ーー真部さんは、“時代との距離感”みたいなことは考えますか。例えば東京という街の変化だったり、新しく生まれているグルーヴだったり、そういうものが参照点になることはあるのかどうか。


真部:個人としては当然あります。ただ、それを戦略的に取り込もうという気持ちはなくて、ひとつの気分として扱うようにしています。
 例えば、かつて80’sのリバイバルがありましたが、サンプリングされているし、コンセプチュアルで小難しかったから、あまり80’sっぽく感じなかった。その点では、いまの音楽シーンのほうがわかりやすいし、純度の高い、ストレートなものがそのまま評価されるという意味で、すごく80’sっぽいと思うんです。そういった土壌で、2000年代に扱われていた自分の音楽というものが、2010年代にどういう扱いをされるか。時代との距離感ということでは、ただそのことに対する興味がある、というだけですね。意識的に時代に合わせるのではなく、あくまでひとつの気分として、自分のなかに持っておきたい。


ーー一方で、最近のライブを観ていると、演奏家としての真部さんはダイナミックで、ある意味で身体的であると思います。


真部:そうですね。バンドを辞めてから、プレイヤーエゴが出てきて。これが面白くて、ひとりのバンド運営者として考えると、“そんなチョーキングいらねえだろ”と思うようなものが弾きたくなってしまう(笑)。以前はプレイヤーとしての自分の楽器が何なのかわからなくて、「このパートが見つからないから、自分でやろう」という、永久にベンチ入りしているようなポジションだったんですよ。つまり、音楽を作りたいから自分がプレイヤーとして参加する、ということだったのが、最近は演奏することにすごく意識的になって。それにはいい面も悪い面もあると思いますが、とりあえず僕は、ギターソロを大見得を切って弾いて、それで楽しい自分がいることがすごくうれしいという(笑)。


ーーこれまでにはなかったことですね。


真部:それで、「バックシート・フェアウェル」のソロの話なんですけど、意識のなかでは、バランスをとるためにクオリティをコントロールしなければいけないポジションで、プロデューサーとして作品にかかわるなかで、「ギターレスのアレンジのほうがいいんじゃないか?」という局面があったんです。そこで、何としてでもギター入りのアレンジを、というふうに押し通しちゃったときに、初めて「あ、僕はギターヒーローになりたいんだ」と気づいて。


ーー繰り返し聴いてますよ、あのソロは。


真部:ピアノだけのアレンジもすごいよかったんですけどね(笑)。ピアノももちろん自分で弾いているので、僕はやっぱり、いまはギタリストというところに意識がいっているんだと思います。だから、ここからはライブにしろレコーディングにしろ、ギタリストとしての自分と折り合いをつけていくことになりますね。


ーー例えば、小沢健二さんもギターをバリバリ弾きまくっているときがありますが、でも曲は決してワイルドではなくて、そこが魅力的ですよね。真部さんの今作のギターを聴いて、そのことを思い出しました。


真部:あれは魔法ですね。今後の野望で言うと、各人がもっとプレイヤーコンシャスな部分を強めていって、いろいろ任せながら、自由度の高いかたちで生まれてくるものをジャッジしていきたいなと。集団行動が、それで成立するような骨組みになっていくといいなと思います。実際、今回のアルバムで限界が見えたところもありますが、希望が見えた部分のほうが大きくて。各プレイヤーがスタープレイヤーとして作用できるところが大きくなるんじゃないかと思うし、そこは楽しみですね。


ーー以前、Vampillia(真部がギターで参加)の取材をさせてもらったとき、USヒップホップの話が印象的でした。今のアメリカのシーンはどう見ていますか?


真部:なんだかんだでアメリカはかっこいいものが売れていいなと(笑)。僕の青春期でいうと、例えばザ・ネプチューンズがブリトニー・スピアーズのプロデュースをしていたり、先進的なものが当たり前にチャートに出てくる。実際問題、それを日本でやるには……と感じてはいるので、今回の集団行動に関しては、Jポップの王道として扱われることを目指す、ということに目標を絞っているんですよ。


ーーJポップの王道として、これから成立し得るものに?


真部:そうですね。もっと言うと、ニッチなものとして扱われてきた自分の音楽が、Jポップの文法のようなものにどこまで接近して、融和するかというところへの挑戦だと思っています。いまのアメリカのチャートに対しても感動したり、刺激を受けたりする部分はあって、そういうところがどこまで出るか、というのは僕の趣味の範疇なので、構築の美学というところとのバランスのとり方が、いまは自分のなかではうまくいっているという感覚です。


ーーただ、集団行動の音楽にはJポップのクリシェのようなものは入っていません。あくまでもチャレンジングですね。


真部:もともとのモチベーションが、自分が構築してきたものがまかり間違って王道として扱われないだろうか、というところから始まっていますから。Jポップから始まって、そこで新しいことをやるというより、自分が作り上げたものが、どうやって王道として扱われるようになるか、というプロセスに興味があるんです。逆に、そうやって確立してきた自分の芸風、メロディの構築に対して、どれだけJポップのクリシェがハマるんだろうかと。次回以降は、そういったものへの挑戦にもなるかもしれないですね。(取材=神谷弘一/構成=橋川良寛)