みなさんには、座右の銘があるだろうか。僕にはない。そういうことを考えるほど高潔でもないし、そんなの考える暇があったら、住民税をどう払っていくか考える。
なので、たまに「私の座右の銘は~」とか言ってくる人に出会うと、「しらねー!」と思ってしまう。みんなきっとそうだろう。ああいうのは自己満足の範疇だ。(文:松本ミゾレ)
「辛うじて読んでいるマンガも有名どころという有り様。実に貧しい」
さて、ここからが本題である。先日、「はてな匿名ダイアリー」に「座右の銘にマンガのセリフを選ばないでほしい」と題された投稿が寄せられた。
そもそもマンガからの引用はかっこよくないとした上で、さらに皆同じのばかり選ぶことが気に入らないという。たとえば「あきらめたらそこで試合終了」や「一番いけないのは自分なんかダメだと思い込むこと」などが、よく座右の銘に選ばれると指摘している。
その上で、「試合終了を挙げたのは10人以上にのぼる。教養がないのは仕方のないことだろうが、辛うじて読んでいるマンガも有名どころという有り様。実に貧しい」とのこと。いいこと言おうとしていて、結局マンガからの引用をしてしまっている人が、きっとこの人物にとっては程度が低く見えているんだろう。まあ、気持ちは分かる。
いいことやろうとしてプルタブ集めたり、いい仕事しようとして残業したり、とにかくよかれと思って逆におかしなことになりがちな人はいるものだ。
あと、この人はこれまで少なくとも10人以上には座右の銘を聞いてるみたいだけど、何の目的があってそんなことしているのだろうか。今時、就職活動でも座右の銘を聞かれることは稀だ。もしかして、自分の趣味で聞いた上で、相手の答えに対して失望しているのだろうか。
座右の銘はかっこいいとか、かっこ悪いという類で選ぶものではない?
この投稿に対しては、実に色んな反応が生じている。賛成の声もあれば、真っ向から否定する意見もある。いくつか紹介していきたい。
「自分の大事な言葉だからなんでもいいんだけど、有名どこをドヤ顔で言うのは恥ずい」
「(座右の銘は)かっこいいとかかっこわるいとか、そんな基準で選ぶべき言葉じゃないだろ」
「てか座右の銘って他の人から聞かれる場面ある? そもそも人の座右の銘興味ないでしょ。自分が文学なり思想に通じていることアピールするツールだよね、座右の銘って」
やっぱりマンガからの引用を座右の銘に位置づけするのはダサいという声もあるけど、それ以上に普段から座右の銘なんかいちいち意識していない人ばかりだろう。
その上で、そもそも座右の銘を他人から聞かれることが少ないことや、他人の座右の銘に興味もないのが当たり前とする意見が光って見えた。いちいち他人に座右の銘を聞いておいて、その答え次第で「教養がない」とけなすのは、そっちの方が、程度が低く感じられる。
大多数の人々は、座右の銘なんか興味もないし、聞かれてから初めてその場で考えるんだろう。だからこういう質問をすることでその人の本質を知ることができる、なんてことはない。……もっとも、はてな匿名ダイアリーなんて個人の意見のメモ書きみたいなものなので、こうして批評する時点で僕も野暮なんだけれども。