開業20周年を迎えたツインリンクもてぎ。その歴史に縁深いライダーたちに、もてぎにまつわるエピソードや想いを聞く短期集中連載企画、第8回は玉田誠の登場だ。
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1994年に九州選手権でチャンピオンを獲得し、1995年から全日本ロードレース選手権でデビューした玉田誠。2003年から5年間、ロードレース世界選手権MotoGPに参戦し、2004年のMotoGP日本GPではバレンティーノ・ロッシを下し、ポール・トゥ・ウイン。世界のトップライダーの仲間入りを果たした。
そんな玉田がもっとも印象に残っているツインリンクもてぎでのレースは、ロッシとの対決ではなく、2000年の全日本ロード最終戦だった。
「もてぎのレースで一番思い出に残っているのは、2000年の全日本最終戦、スーパーバイクで岡田(忠之)さんに勝ったレースです。自分は九州のRSCホンダのサテライト、岡田さんはラッキーストライクホンダのファクトリーチームでした。GPライダーに勝ったことで、自信がつきました。それと、大きなバイクのアクセルの開け方がそのレースで分かったんです。バイクはRVFでした。もてぎのコースの特徴的な低速コーナーからの直線という状況で、理解できたことがありました。自分にとって、あのレースは大きなターニングポイントでしたね」
一方、ツインリンクもてぎでロッシを下したことについては、勝った喜びよりもホームレースで勝たなければならないというプレッシャーの方が強かったようだ。
「もちろん、グランプリでの優勝も素晴らしい思い出です。ロッシに勝ったと周りには言われますが、自分としてはロッシとバトルした訳ではないので、そういう思いよりも、そこまでの自分とマシンとタイヤの調子よさとホームコースでのレースで『勝たない訳にはいかない』、『ここで勝たなくてどこで勝つんだ?」という気持ちでした。ロッシのことは序盤に抜いてそれからは離れてしまったので、勝った感じはしませんでしたね。接近戦での勝利の方が、勝った気分は強いですね」
現在は東南アジアでライダーの育成に関わっている玉田。最後に次のような言葉を残した。
「初めてのもてぎのレースは全日本の250ccクラスでした。S字でハイサイド転倒してしまったのを覚えています。あれから20年、早いですね。今は、東南アジアのライダーを育てる立場でレースに関わっています。若い東南アジアのライダーがもてぎで活躍できるように頑張ります」