インディカー・シリーズ第11戦アイオワ・コーン300ではエリオ・カストロネベス(チーム・ペンスキー)が勝利した。2014年6月のデトロイト・レース2以来だから、3年以上も遠ざかっていた勝利を手にしたということだ。彼が大喜びしたのも当然だ。
現在42歳のカストロネベスだが、まだまだ衰えてはいない。今シーズンは11戦まででポールポジションを3回も獲得している。今年限りでインディカーから引退し、ペンスキーがホンダ(アキュラ)と始めるスポーツカー・チームでレギュラーを務めるという噂もあるが、この勝利で計画は変更になるかもしれない。
カストロネベスがインディカーにデビューしたのは1998年。最初の2年は小さなチームからの出場で、ミスを冒すことも少なくなかったが天性のスピードの持ち主であることは間違いなく、3シーズン目からチーム・ペンスキーで走ることになった。フォンタナでのアクシデントで亡くなったグレッグ・ムーアに代わって、ジル・ド・フェランのチームメイトとなったのだ。
最強チームの一員となったカストロネベスは、今年でインディカー生活20年目を迎えているが、すばらしいキャリアを築き上げてきた。ここまで長くキャリアを続け、ずっとトップレベルにいるのは驚異的だが、同期にトニー・カナーンというライバルがいたことも影響しているのかもしれない。
カストロネベスはインディ500では歴代2位タイの3勝を挙げ、出場レース数(アイオワまでで338戦)、1勝以上を挙げたシーズン数(15回)、1勝以上を挙げた連続シーズン(11年)、リードラップ数(5,947周)、ポールポジション獲得数(50回)は歴代3位。アイオワでの優勝は歴代の単独11位となる通算30勝目だった。
ただし、カストロネベスにはひとつ達成していない目標がある。インディカーのシリーズ・チャンピオンだ。
彼が2000年から走って来ているチーム・ペンスキーは14回もチャンピオンを生み出してきており、カストロネベスと同期だったジル・ド・フェランは2回チャンピオンに輝き、その後にサム・ホーニッシュJr.、ウィル・パワー、シモン・パジェノーと3人の後輩チームメイトがそれぞれ1回ずつチャンピオンになっている。
カストロネベスはシリーズ2位には4回もなっているものの、タイトルには手を届かせることができていない。
トップ・オープンホイールが2シリーズに分裂していた2002年、チーム・ペンスキーはCARTからIRLへとスイッチしたが、その初年度にカストロネベスは15戦2勝でキャリア・ベストのランキング2位になった。チャンピオンは5勝を挙げたサム・ホーニッシュJr.。カストロネベスに20点もの差をつけてのタイトル獲得だった。
次は2008年。17戦で2勝したが、チャンピオンには6勝も記録したスコット・ディクソン(チップ・ガナッシ)が輝いた。
3回目は2013年。19戦で1勝。ベテランらしくしぶとい戦いを続けて549点を稼いだが、またもチャンピオンはディクソン。27点差をつけられてのシリーズ2位となった。
4回目はその翌年の2014年。18戦で1勝。チャンピオンは3勝を挙げたチームメイトのパワーだった。ポイント差は62点もあった。
このようにポイントで2位になったことは4回あるカストロネベスだが、いちばん惜しかったのはランキング3位だった2006年だ。14戦とレース数の少ないシーズンで4勝をマークしながらタイトルが獲れなかったのだ。
チャンピオンはこの年からカストロネベスのチームメイトとなったばかりのホーニッシュJr.。最終戦にカストロネベスはポイントリーダーとして乗り込んだ。ただし、リードはたったの1点。
激しいレースで勝利したのはダン・ウェルドンで、ホーニッシュJr.は3位フィニッシュで同点になった。タイトルは勝利数の多いホーニッシュJr.が手に入れ、4位フィニッシュだったカストロネベスは僅か2点差でランキング3位となった。チームメイトに代わって3位でゴールできていたら、ウェルドンが勝っていたとしても、1点差でカストロネベスがチャンピオンになれていた。
今年のインディ500でカストロネベスは佐藤琢磨(アンドレッティ・オートスポート)に敗れて2位となった。歴代最多タイに並ぶ4勝目を逃した彼は、歴代最多タイに並ぶインディでの3回目の2位を記録した。その前から2位フィニッシュの回数では、マリオ・アンドレッティに次ぐ歴代2位にある。
アイオワで勝った後、カストロネベスは言った。
「僕の目標は毎年変わらない。前の年よりも良い成績を挙げることを目指している。自分が勝ったことのないコースだったら勝利を目指す。まだ手にしていないチャンピオンシップも僕にとっては目標であり続けている」
今年はその年になるのか? 20年目にして念願のタイトル獲得。アイオワ以上に喜ぶカストロネベスを見てみたい気もする。