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『パイレーツ・オブ・カリビアン』新作の裏テーマーー“家族の絆”と“単身者の孤独”を読む

2017年07月11日 11:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 過去のシリーズ作と比較して、意外にも“泣ける”仕上がりになっていたのが印象的だった、『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊』。前作では出番のなかったウィル(オーランド・ブルーム)とエリザベス(キーラ・ナイトレイ)も再び登場し、息子・ヘンリー(ブレントン・スウェイツ)を含めたターナー家と、新たなヒロイン・カリーナ(カヤ・スコデラリオ)のスミス家というふたつの家族の絆にスポットが当てられた。それと対照的に、ラストでは独り身であるジャック(ジョニー・デップ)の孤独も浮かび上がっていたように思う。


 今回ジャックと肩を並べたのは、シリーズ第3作の終盤にも登場した、ウィルとエリザベスの息子・ヘンリーだ。ストーリーも第3作からの流れを引き継いでいて、10年に一度しか陸に上がれない呪いにかかったウィルを救うため、ヘンリーが健闘する様が描かれる。ヘンリーは、幼い頃から何年もずっと健気にウィルの姿を追い求めているのだ。


※以下、ネタバレあり。


 そんなヘンリーと恋仲になるのが、ニューヒロインのカリーナだ。孤児として育った彼女は、幼い頃父が残した“ガリレオの日記”を手掛かりに、隠された宝を探していた。カリーナは、「天文学者だった父は宝の謎を探求していて、その遺志を託すために自分にこの日記を残した」と考え、自身も天文学者の道を歩む。しかし、カリーナが生きる時代には“魔女狩り”が横行していた。男性天文学者にも勝る知性を持ち合わせていた彼女は、魔女疑惑をかけられて死刑を宣告される。しかし、それでも“父の遺志を継ぐ”という夢を諦めず、命がけで宝を探そうとするのだった。ヘンリーがカリーナに「お互い父親を求めてる、僕たちは似てるね」と語ったように、本作では“父親の不在”が物語の源流となっているのだ(カリーナは母親も不在だが、彼女は父親にのみ固執している)。


 終盤では、カリーナの父親が生きていたことが発覚。しかし、その正体は天文学者ではなく、ジャックの宿敵である海賊・バルボッサだった。シリーズ初作から名を連ねるバルボッサがまさかのキーマンだと明かされて驚いたのと同時に、この後待ち受けていた展開にはより心を動かされる。


 自ら娘を捨てておきながら、「(カリーナは自分にとって)宝だ」だなんて、身勝手にも程があるが、観客はそれまでのバルボッサを知っているからこそ、彼の不器用な人となりを憎めない。なおかつ、最後にたった一度だけとった父親らしい行動に胸を打たれて涙してしまうのだ。父親の正体が新たなキャラクターではなく、ファンにとっても馴染み深いバルボッサだったというシナリオは、本当に秀逸であった。


 対してターナー家では、呪いの解けたウィルが陸に戻り、エリザベスとの再開を果たす。そして、晴れて結ばれたヘンリーとカリーナ。熱く抱擁を交わす2組のカップルを横目に、ジャックは顔を歪ませ「ゾッとする」と一言つぶやく。これは本心から言っていたのかもしれないが、この時のジャックの複雑な表情を見るに、幾分か負け惜しみが混じっていたようにも感じられる。その直後に船員たちのフォローがあって、“たとえ独り身でも仲間が家族”という形に丸く収まりはするものの、しばらくの間、ジャックがこぼした「ゾッとする」という一言が頭から離れなかった。


 実話を含む多くの物語において、“家族の絆”は美談とされがちだ。だが、そんな美談を前に、家族を持たない、もしくは家族に縛られていない単身者はどのような顔をすればいいだろうか? もちろん、家族を持たずとも人生を謳歌することはできるだろう。しかし、自身ではそうした生き方を善としていても、家族や愛を重んじる世間の風潮を目の当たりにすれば、どこか後ろめたさや侘しさが生じることだってあるかもしれない。そんな折に生じた一瞬の心の迷いが、「ゾッとする」というジャックの言葉に現れていたように思う。


 愛や家族の絆は素晴らしいものだ。だが、本作のラストシーンでは、そうした“世間一般が善とするもの”の背後に生じる影もチラついていたのではないだろうか。


■まにょ
ライター(元ミージシャン)。1989年、東京生まれ。早大文学部美術史コース卒。インストガールズバンド「虚弱。」でドラムを担当し、2012年には1stアルバムで全国デビュー。現在はカルチャー系ライターとして、各所で執筆中。好物はガンアクションアニメ。