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笹川ひろしと大河原邦男が語る、タツノコプロの歴史と55周年記念作品「Infini-T Force(インフィニティ フォース)」の魅力

2017年07月10日 18:54  アニメ!アニメ!

アニメ!アニメ!

笹川ひろしと大河原邦男が語る、タツノコプロの歴史と55周年記念作品「Infini-T Force(インフィニティ フォース)」の魅力
創立55周年を向かえたタツノコプロが新しい映像作品を生み出した。タイトルは『Infini-T Force(インフィニティ フォース)』。『科学忍者隊ガッチャマン』『新造人間キャシャーン』『破裏拳ポリマー』『宇宙の騎士テッカマン』といった1972年から立て続けに送り出したSFアニメ4作のヒーローが結集し、悪に立ち向かうという意欲作だ。監督は『PSYCHO-PASS サイコパス 2』のシリーズディレクターを務めた鈴木清崇、シリーズ構成に『ガッチャマン クラウズ』などの大野敏哉、キャラクター原案を大暮維人、ヒーローデザイン原案をさとうけいいちが担当。3DCG制作を『GANTZ:O』のデジタル・フロンティアが請け負い、2017年10月より放送がスタートする。
『Infini-T Force(インフィニティ フォース)』の情報発表と、タツノコプロ55周年の記念を合わせ、アニメーション監督の笹川ひろしとメカニックデザイナーの大河原邦男による合同取材が行われた。2人の巨匠がふりかえるタツノコプロ、そしてお互いの仕事について、話をうかがった。
【取材・構成=細川洋平】


■笹川ひろし、タツノコプロ55年をふりかえって

――2017年でタツノコプロは創立55周年を迎えます。笹川さんはこの55年をふりかえってどうお感じでしょうか。

笹川
私はタツノコプロ(創立時「竜の子プロダクション」)の創立から関わっていましたが、55年なんてあっという間なんですね。僕らがはじめた時は手塚(治虫)先生の『鉄腕アトム』のTVシリーズが始まって、「いよいよいろいろな国産アニメができるんだなあ」ということを感激しながら話し合っていました。当時は私も漫画家でしたし、(タツノコプロ創業者の)吉田竜夫さんも、弟の九里一平さん(※)も漫画家でした。それまで私は手塚さんの専属アシスタント第一号をしていて、手塚先生と一緒に一年半近く寝起きを共にしていました。
それから独立して漫画家になりましたが、その時、TVアニメ『鉄腕アトム』がはじまるということで、私も2作だけ絵コンテを手伝わせていただきました。アニメのルールも知らずに漫画家としてやっていたのでずいぶん直されているとは思いますね。吉田竜夫さんとはその頃に知り合うようになって、アニメをやろうかという話になりました。ちょうど東映動画(現・東映アニメーション)から一緒にTVアニメシリーズを合作でやらないかという話もあって、結果その企画は中止になってしまうんですけど、それならウチ(タツノコプロ)だけでやろうと考えました。その時いたのは漫画家の僕らに加えて、吉田さんのアシスタントが7、8名。でもアシスタントの人たちはあくまで漫画家になりたくて吉田さんのアシスタントをやっているから、アニメはやりませんとみんな断られてしまい、全国募集をかけたわけです。30人ぐらい集まりましたかね。拙いなりにもいろいろと経験して、第1作となるモノクロの『宇宙エース』(1965年)の1年間のTVシリーズ放送が始まったんです。試写を見ていて涙がボロボロ出ました。あの感激をいつまでも持っていたいと思いましたね。

※吉田竜夫(よしだ・たつお)/漫画家。タツノコプロ初代社長。著作に『パイロットA』、『少年忍者部隊月光』など。

※九里一平(くり・いっぺい)/漫画家。タツノコプロ第3代社長。著作に『Zボーイ』、『大空のちかい』など。


――1962年の創業から3年後に第一作『宇宙エース』が放送されたわけですね。

笹川
『宇宙エース』は九里一平さんのデザインで手塚先生風でしたが、第2作目の『マッハ GoGoGo』(1967年)は吉田さんのデザインでした。私は「子どもアニメが好きだったのに、どうして吉田さんの絵をマネしなきゃいけないの?」って3年ぐらい悩まされました。でもある時にね、「僕はもう漫画家じゃないんだ」と気づいたんです。自分は映画監督で、吉田さんのキャラクターを役者だと想定すれば、演技をうまく付けて映画をおもしろくすることができるんじゃないか、僕の役目はそれなんだとある日気がつきました。それまでは何度も漫画家に戻ろうかと考えていたこともありましたが、吹っ切れて楽になりました。

――アニメはキャラクターデザインの絵を真似なくてはいけませんし、自分の絵を持っているというのは難しいのかもしれませんね。

笹川
吉田さんの絵は難しいんです。『鉄腕アトム』だと車でもぐにゃっと潰れるようなデフォルメができますが、吉田さんの絵はしっかりデザインされているのでそれができない。絵ではありますけど、『絵』として見せないんですよね。だから難しいんですけど、『マッハ GoGoGo』でこういうアニメもありえるという手応えができて、タツノコのハード路線ができあがっていきました。大人の人にも見てもらえるようなもの。それからは『科学忍者隊ガッチャマン』(1972年)や『新造人間キャシャーン』(1973年)といったハード路線のアクションアニメが作られてきたわけです。メカニックでは大河原さんが専門でちゃんと描いてくださって。

――タツノコプロの路線が見えてきたわけですね。

笹川
吉田さんが独立プロを作って世に出したかったのはしっかりしたアクションヒーローだったんじゃないかなと思いますね。もう一面では『昆虫物語みなしごハッチ』(1970年)のような心温まるものもありますし、僕はどっちかというと手塚系でまたちょっと違って『ヤッターマン』(1977年)といったタイムボカンシリーズを続けてきたんですよね。
そんなことで55年が経って、どうなるかなと思っていた矢先に『Infini-T Force(インフィニティ フォース)』が出ました。タツノコが次のステップに辿り着いたなと思いました。ビックリしましたよね。しかもTVシリーズでしょ? 相当インパクトがありますよね。これだけのものを作り上げて、本当に僕は満足ですね。



■タツノコプロの空いたピースが大河原氏で埋まった

――55年の振り返りありがとうございます。大河原さんのお話もうかがわせてください。

大河原
笹川さんは志を持って制作会社を作りあげたとお話されていましたが、わたくしの場合は志無しで、たまたまこの業界に入ってきました(一同笑)。職もないのに結婚することだけが先に決まってしまって、どこに行こうか探していたとき、新聞の求人欄でタツノコプロの求人を見つけたんです。アニメや漫画に興味もなかったのですが、4月2日に入社して、4月11日から1週間は新婚旅行へ行きましたね(一同笑)。

――それが許される時代や社風だったのでしょうか。改めて聞いてもすごいお話です。

大河原
そうですね(笑)。それで、わたしが配属された美術課はポスターカラーで風景画や背景を描くという部署でした。大学はグラフィックで入ってテキスタイル(織物など)で卒業していて、アニメとは全く関係ない勉強をしてきましたし、何よりすぐに描けるものではないので、当時の上司である中村光毅さん(※)が3ヶ月間、絵を見てくれていたんです。その最中に「10月からはじまる新番組のメカデザインをできるか」という話が来たんですね。それが『ガッチャマン』でした。参考にしようと中村さんの設定画を見ると、とても緻密な設定で、「このレベルでデザインしないとマズい」と実感しました。タイトルロゴも初めてデザインしたのですが、出したものがすぐにOKになり、これでおもしろい仕事だなあと思いました。
『科学忍者隊ガッチャマン』ではメイン以外のメカデザインを担当しましたが、昔からメカは好きだったんですよね。楽しい仕事だなあと思いながらやっていました。それでもわたくしのデザインは諸先輩方からは目を付けられましたね。線の多いデザインでしたから、「これを動かすって言うのか?」と直接イヤミを言いに来る人もいました。当時あれだけの緻密なメカを動かしているプロダクションはなかったです。わたしがよく知らずに業界に入ってデザインしていたので、ちょうどジグソーパズルのピースがポーンとハマったんだと思います。
それから45年。わたくしは子どもに夢を持ってもらいたいと思ってやってきました。子どもの脳裏に、夢の種を蒔くように、メカデザインの仕事をずっとやってきました。それから決められたスケジュールを落としたことはない。必ず1日2日前には仕上げます。これだけは自慢できますね(笑)。

※中村光毅(なかむら・みつき)/東映動画を経て、竜の子プロダクションへ入社。美術監督、メカニックデザイナー、イラストレーター。『機動戦士ガンダム』や『風の谷のナウシカ』などでも美術監督を務める。


――それはすごいですね……。笹川さんと大河原さんが最初にお互いを認識した作品というのは『科学忍者隊ガッチャマン』でしょうか。

大河原
わたくしの印象だとタイムボカンシリーズからですね。メカを全部やりましたから。

――72年に入社されて、すぐに『科学忍者隊ガッチャマン』を手がけるというのはすごいですね。

大河原
上司が太っ腹だったんでしょうね。何より中村光毅さん1人でメカデザインを担当するというのはまず不可能でした。何しろ当時のタツノコ作品の美術は全部中村さんがやっていたので、たぶん半分厄介払いみたいなものがわたしに回ってきたのでしょう(笑)。

笹川
タツノコプロは企画部、演出部、文芸部、美術部まで全部ありましたね。録音はなかったですけど、編集まであって、その中で美術部というのは背景から、ロボットが出てくるならそのデザイン、マッハ号のような車のデザインまで全部請け負ってたんです。マッハ号のデザインも中村さんでした。すごい人だったんです。でもあまりに仕事が重なり過ぎてしまったんです。そんな時に大河原さんという優秀な人が入ってくださって、中村さんも重宝したと思います。「メカ」という名称もなかった時代に、大河原さんがやってくれることで、自分は背景を見られるようになる。僕としてもタツノコとしてもものすごくいい人が来てくれたんだなあと思いましたね。

■巨匠2人も驚いた3DCGアニメーション『Infini-T Force(インフィニティ フォース)』

――大河原さんからご覧になって『Infini-T Force(インフィニティ フォース)』はいかがでしたか?

大河原
わたしは業界に入って、つまり卵からかえった瞬間に『科学忍者隊ガッチャマン』を担当してますから、全部3DCGで、というのは無謀だよなと思っていました。しかしデザインもクオリティーもTVシリーズでやるには異常かもしれませんね。あまりにも格好良すぎるんじゃない? と思います(笑)。昔からアニメが好きな人、それに子どもさんにも楽しんで見てもらえると思うんですけど、お話がどう展開して行くのかは今後の課題になっていくんでしょうね。気になりますね。

――「ヒーローもの」の多くには善と悪が存在しますが、善と悪のデザインをお二人はどのように手がけられているのでしょうか。

笹川
これは技法の話になりますが、悪人に魅力がないと正義が立ちません。ただ暴力をやりたいという悪はあんまり魅力がない。『ガッチャマン』のベルクカッツェや『キャシャーン』のブライキング・ボスなんかはちゃんとした理論があって戦ってるわけでしょ。悪を魅力的に描くと言うことは大事なことですね。今の時代は悪が悪でもない、ということもありますよね。それは時代に合わせて行かないとピントがズレるんじゃないかな。個人的にはね、アニメは小さい子も見てるから、悪い人は悪い顔に描いておいた方がいいですね。見てる人に分かりやすく描きたいなと僕は思います。


大河原
テクニックはたくさんあります。例を挙げると、曲面を使ったデザインは親しみやすい善になります。逆に逆アール(凹みのような曲線)を使うと凶悪になる。コウモリの羽根とかそうですね。こういうテクニックは勧善懲悪作品やコメディータッチのものに使えます。でも『機動戦士ガンダム』は善と悪の戦いじゃないですよね。あれはイデオロギーや立場の違いで戦っている。立場がぜんぜん違うけど同じ人間同士が戦っている。そういう作品をやるときはまた、別の考え方をします。
わたくしは1947年生まれで、2年前まで日本は戦争をやっていました。軍事面の知識を実際に触れて育ってきた世代なんですね。そうしますと、アメリカ軍とドイツ軍、といった考え方をしてデザインしないとダメなんですよ。ガンダムからもう少しで40年が経ちます。ガンダムで育った大人たちがアニメ作りをしているわけで、だから今は単純な善悪を描けない世界に入ってると思います。ただ、わたし自身はどんな仕事であっても、対応できるテクニックはあります。

――ありがとうございます。最後に改めて『Infini-T Force(インフィニティ フォース)』のどんなところを見てほしいかお聞かせください。

笹川
タツノコがついに作りました。新しい映像として本当に満足していただけるんじゃないかと思います。若いクリエイターたちががんばって作っていますので、ぜひ見てください。本当におもしろいと思います。

大河原
『科学忍者隊ガッチャマン』『破裏拳ポリマー』『宇宙の騎士テッカマン』『新造人間キャシャーン』はわたくしがこの業界に入ってすぐに参加した作品で、今回の映像化を知ったときは驚きましたが、実際に作品を見て、これは同業者に嫉妬されるほどの作品になるのではないかと感じました。ぜひ見ていただけたらと思います。