2017年07月09日 13:43 弁護士ドットコム
2007年、熊本県熊本市の慈恵病院に、親が育てられない子どもを預かる「こうのとりのゆりかご」(通称「赤ちゃんポスト」)が開設されて、10年となる。初期に預けられた子どもたちの中には、中学生になった子もいる。思春期になれば「私の母親はどんな人だったの」と疑問を抱く子も出てくるだろう。
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赤ちゃんポストの設置をめぐっては、子どもの「出自を知る権利」を奪うことになるのではないかという批判が根強く存在している。病院側はこの権利について、どのように考え、対処しているのか。また今後、慈恵病院以外でも赤ちゃんポストの試みは広がっていくのだろうか。慈恵病院元看護部長の田尻由貴子さんに聞いた。(ルポライター・樋田敦子)
ーー出自を知る子の権利については開設前から、議論になっていました
「預ける親の匿名性を尊重することは、ゆりかご(赤ちゃんポスト)のもっとも大切な考え方でした。設立前から、匿名であるがゆえに、その子の出自が分からなくなる問題については、蓮田太二院長と話し合い、まずは命を救うことを優先させようということになりました。
そこで、ゆりかごのベッドの上にはお母さんへのメッセージを託した手紙を置き、それを取らなければ預けられないシステムにしました。命を守るだけではなく、母と子の絆も守りたかったからです」
--田尻さんのもとには、特別養子縁組や里親になった方々からお便りがあるとききます
「ありますね。小学校に入りました。元気で楽しく暮らしています、という手紙をもらったときは、本当に嬉しくなります。養親さんは、実の子どものように大切に育ててくれますが、いつかは真実告知をしなければならないことをご存知です。
預けられた子どもについては、児童相談所を経由して、施設や里親のもので育てられます。このため、私たちは子どもたちがどうしているのかを知ることはできません。
一般的に養子縁組をした養親さんは、子どもが小さい頃から段階を踏んで、実親に関し知りえた情報を告知しています。養親さんや里親さん、愛着が築ける少人数のファミリーホームで育てられているのならいいのですが、1対1で成長することができない児童養護施設にいる子どもたちが、真実にどう反応し、ゆりかごをどう評価するか。それに対して私たちはどうするかが課題でしょう」
ーーゆりかごに預けられた子は、行政の追跡調査などで、居所が分かるケースは多いのですが、それでも約2割の親の身元が不明だといいます。
「生活困窮や未婚、世間体が悪いなどの理由がほとんどで、どうしても育てられなかったのでしょう。特別養子縁組で養親さんに託された、ある男の子は、自分がゆりかごの中に預けられたときの洋服と靴を今でも大切にしています。
もし預けられた子どもたちが私に会いに来てくれたら、ハグして必ず言おうと思っていることがあります。『産んでくれたお母さんは、日本のどこにいるか、どんな人かは分からないけれど、お母さんがゆりかごに預けにきてくれたから、今、あなたはここにいるんだよ。預けに来てくれたから、いま、生きてるの』と。
ゆりかごで命をつなぐ気がなければ、その辺に捨てたり、極端にいえば、穴を掘って埋めたりしたかもしれない。でも命をすくって、子どもに生きていって欲しいから、ゆりかごにやって来た。そんなお母さんの気持ちを分かってあげてほしい」
ーー兵庫県神戸市で2例目の赤ちゃんポスト設置を目指していたNPO「こうのとりのゆりかごin関西」が、今年5月、慈恵病院と同じような赤ちゃんポストの設置を断念しました。24時間常駐できる医師が確保できなかったことが理由でしたが、今後は保護者と対面して預かる対面型で実現を目指すようです。なぜ全国に広がっていかないのでしょう。
「そこには行政の高くて厚い壁あるからです。
当初、ゆりかごも、匿名で子どもを受け入れるという仕組み自体の許可を得ているわけではありませんでした。ゆりかご設置のために、新生児相談室の用途変更をするこという設備面での申請について、熊本市の許可が下りたという形なのです。
開設時、厚生労働省は法的には抵触しないといっていましたが、今でもゆりかごは法で定められているものではありません。国や自治体は児童虐待や育児放棄を防ぐには、親への子育て支援強化がよいという方針です。
育てられない子は児童相談所を通して、乳児院や児童養護施設で養育するという自治体がほとんど。ですから命を助けることに直結していても、なかなか次へ踏み出せないのかもしれません。過去にも虐待防止に取り組むドクターが設置を目指しましたが、様々なハードルを理由に阻まれました。
経済的な問題をクリアし、どうしても子どもたちを助けたいと思う熱い気持ちがあっても、ゆりかご設置を認めない行政の壁が立ちはだかっているのです」
ーー慈恵病院が理想とし、ゆりかごのモデルとなったドイツでは、赤ちゃんポスト制度の廃止が勧告され、代わりに2014年から『内密出産』制度が始まっています。母親となる女性は、妊娠相談所にだけ、本名や素性をあかし、医療機関で仮名で出産することができるようなシステムです。
子ども自身が16歳以上になれば、自分の母親のことを聞けるという。匿名性と出自を知る権利。母子の人権を最大考慮した形です。この内密出産は日本にも広まっていくのでしょうか
「なかなか難しいと思います。法整備されていないことが問題です。妊娠相談は、全国でも30か所に広がりつつありますが、24時間体制ではなく、まだまだ限界があります。自治体レベルではなく、国が指針を示すときがきているようです。
この少子化の時代、小さな命を大切にするためにはどうするかを真剣に考えていくべきでしょう」
匿名性と出自を知る子の権利。一見、相反するような人権ではあるが、そこに何か工夫が出来ないものか。赤ちゃんポストの評価は、預けられた子どもたちにかかっている。
【取材協力】田尻由貴子(たじり・ゆきこ)
1950年、熊本県生まれ。看護師の免許を取得し慈恵病院に勤務。その後、保健師、助産師の資格を取得し、熊本県菊水町立保健師、町立病院総婦長を経て、2000年、慈恵病院看護部長に。09年、熊本県立大学アドミニストレーション研究科卒業。慈恵病院を定年退職してスタディライフ熊本で、妊娠SOS相談を実施するほか、全国で性教育等の講演を続けている。著書に「はい赤ちゃん相談室、田尻です」「赤ちゃんポストはそれでも必要です。」
(弁護士ドットコムニュース)