2017年07月09日 13:43 弁護士ドットコム
予期せぬ妊娠や貧困など、諸般の事情で育てられない子どもの命を救おうと、2007年5月、熊本市の慈恵病院に「こうのとりのゆりかご」(通称「赤ちゃんポスト」)が開設された。匿名で子どもを受け入れ、児童相談所を通じて、乳児院や児童養護施設や里親、養子縁組などにつなげる仕組みだ。この10年間での受け入れ数は130人。
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赤ちゃんポストに預けられた子どもたちは、熊本市の児童相談所を通じて乳児院に入所し、その後、それぞれ生活する場所が決まる。熊本市の中期検証によると乳児院ないし児童養護施設が29%、特別養子縁組が29%、里親が19%、実親の引き取りが18%、その他が5%となっている。
慈恵病院の蓮田太二院長と共に、開設から妊娠相談、その後の特別養子縁組につなげるまで尽力した、慈恵病院元看護部長、現・スタディライフ熊本特別顧問の田尻由貴子さんに話を聞いた。(ルポライター・樋田敦子)
ーー慈恵病院を2015年春に定年退職してからも、一般社団法人スタディライフ熊本などで、妊娠SOS相談を続けている田尻さん。この10年は、看護師人生40年以上の中でも感慨深い10年だったのではないだろうか。
「多いとか少ないとかではなく、130人の命がつながったということですね。その事実を重く受け止めています。ゆりかごがなければ、つながらなかった命かもしれないので、それがつながってよかったという思いです」
ーー開設に当たって蓮田院長とは、どんなことを議論されたのですか
「蓮田院長とは、まず匿名で赤ちゃんを預けられることを大切にしました。この点は、反対派からは『捨て子を助長する』『育児放棄につながる』と批判されましたが、院長は『匿名でなければ、赤ちゃんを預けに来られないんだよ。だから匿名性は守ろう』と頑として譲りませんでした。結果的には、熊本で捨て子や育児放棄が助長された事実はなく、ゆりかごに預けに来たお母さんは、圧倒的に県外の大都市からが多かったのです」
ーー田尻さんの中で、心に残る事例はありましたか
「預けた後、実親が引き取りを申し出たため、児童相談所の判断で、子どもを親元に送り返したことがありました。ところが育てられなくなり、親子無理心中になってしまいました。非常に悲しかったです。育てられると判断した行政の責任ですよね。一度は救えた命なのに、残念でなりません。
そしてショッキングだったのは、亡くなった赤ちゃんの遺体が、ゆりかごに入っていたことです。お母さんは逮捕され、死体遺棄罪で懲役1年、執行猶予3年を言い渡されました。熊本県のお母さんでしたし、妊娠中から相談してくれていたら、助けられたのではなかったかと思います。
また130人には入っていませんが、慈恵病院に赤ちゃんを預けに来る途中の車中で出産してしまったお母さんもいました。ゆりかごのすぐ側には、預ける直前の相談用インターフォンがあって、それを鳴らしてくれたので、スタッフがお母さんに接触しました。彼女は赤ちゃんを置いてすぐに帰るといったのですが、体調不良で帰れず、結局母子の今後のことについて相談して支援につながりました」
ーー在籍当時、田尻さんは他2名の相談員の方と、24時間態勢で電話相談に当たり、入浴中も携帯電話を脱衣かごに入れて待機していたそうですね。病院に寄せられる妊娠相談件数は、10年前はわずか501件だったのに、今では6565件(2016年)に上ります。この相談件数の増加は、どのように思いますか。
「『慈恵病院に来たら助かるんだ』という考えが広がり、一定の役割を果たせるようになったのではないでしょうか。
孤立している母親は行政にも民間の相談にも行きません。友人知人にも言えないでいます。誰かに相談できなかった人たちが、ゆりかごを利用しているということが分かっています。
必ずしも祝福されて生まれてくる子どもばかりではないのです。相談してくれたら、いろいろな選択肢があることをわかってほしいです。予期せぬ妊娠をしたら、まず相談して欲しいと思っています」
ーー電話相談を続けて行く中で、田尻さんの考えに変化はありましたか
「予期せぬ妊娠する人に罪はないと思うようになりました。人それぞれに背景がある。そうせざるをえなかった背景があるのです。多くは母親自身の育ち方に問題がありました。
ある風俗の仕事をしていた女性が、出産予定日直前に関東から熊本にやって来ました。親にも友人にも相談できず、思い余って慈恵病院で出産したのです。子どもの出生届を出す段階で住民票がありませんでした。
経緯を聞いていくと、母親は家出し、その親が勝手に手続きをしていたようで住民票や保険証などの登録がないことが判明しました。母親は実母が亡くなり、義父との関係もすでに切れていました。
それを聞いて、子どもを育てられないのは、彼女の責任だけではない、と思いました。育てられない事情があったのです。彼女の子どもは、特別養子縁組で里親に引き取られていきました。彼女は生活保護を受け、職を得て生活を建て直しましたが、結局は続きませんでした。風俗に戻り、今では連絡は付かなくなってしまいました。
私はゆりかごのない社会になることが理想だとは思いますが、そこには厚い壁があるのです」
次回は、10年後だから出て来た、子どもたちの出自を知る権利について言及したいと思う。
【取材協力】田尻由貴子(たじり・ゆきこ)
1950年、熊本県生まれ。看護師の免許を取得し慈恵病院に勤務。その後、保健師、助産師の資格を取得し、熊本県菊水町立保健師、町立病院総婦長を経て、2000年、慈恵病院看護部長に。09年、熊本県立大学アドミニストレーション研究科卒業。慈恵病院を定年退職してスタディライフ熊本で、妊娠SOS相談を実施するほか、全国で性教育等の講演を続けている。著書に「はい赤ちゃん相談室、田尻です」「赤ちゃんポストはそれでも必要です。」
(弁護士ドットコムニュース)