1997年の開業から今年で20周年を迎えたツインリンクもてぎ。その歴史に縁深いドライバー、そしてライダーたちに、ツインリンクもてぎにまつわるエピソードや想いを聞く短期集中連載企画、第6回は伊藤真一の登場だ。
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1988年に全日本ロードレース選手権GP500クラスに突如登場した伊藤真一。所属したチームもホンダのワークスチームで当時は『シンデレラボーイ』と騒がれていた。現在は、8年ぶりに現役復帰し、全日本ロードレース選手権のJSB1000クラスにホンダのチームからフル参戦している。
そんな伊藤は20周年を迎えたツインリンクもてぎの印象を次のように語った。
「もう20年なんですね。まだ新しいサーキットだと思っていましたが、日本を代表するサーキットとしてすっかり定着した感じです」
ツインリンクもてぎでのレースに関する思い出は「いい思い出も悪い思いでも、両方あります」と語る伊藤。いい思い出は東日本大震災があった2011年にスポット参戦したMotoGP日本グランプリだという。
「レースでは結局ビリになってしまいましたが、2011年、震災のあとにみんなの思いが形になって、MotoGPに参戦したのは、今でもすばらしい思い出です。自分がレースを続けてきたからこそ実現したグランプリ参戦ですし、多くの方の辛い思い、悲しい思いを、自分が走ることで少しでも和らげることができればと思い、走りました。自分の店も、そしてサーキットも被災しているんです。そんなときに、ぶっつけ本番的な体制でしたが、MotoGPに参戦させてもらえました。あれは特別な体験でした」
一方、悪い思い出に関しては、ツインリンクもてぎで開催された全日本ロードレースの事前テストを挙げた伊藤。このテストで伊藤はレース人生最大のケガを負う。
「2007年のシーズン前にツインリンクもてぎの90度コーナーで転倒して、左足の股関節と骨盤を折る大クラッシュも経験しています。人工関節などの大手術をして1カ月半の入院でした。そのあとリハビリをして夏の8耐に参戦、優勝することができました。しかしあのケガは自分のレース人生の中で最大のケガでした。ダウンヒルストレートに左足を置いてきた感じですね」
最後に伊藤のツインリンクもてぎのコースで好きなポイントを聞いた。
「オーバルコースのある風景は独特の雰囲気があって大好きです。S字の上に行くと、周遊路の両側からコースが見えます。ツインリンクもてぎに行くとだいたいはあそこの土手まで行って、あの風景を眺めています」