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『キンプラ』はなぜ「応援上映」が好まれる? ファンが共有する刹那のきらめき

2017年07月03日 12:12  リアルサウンド

リアルサウンド

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 「すごくカルチャーショックでした。“アニメ”とか“映画”とかの常識を越えていて、終わった後は放心状態でした。上映中はずっと笑っちゃっていたんですが、隣の席の女性は泣いており、その差にびっくりしました」。『キンプラ』を若い女性編集者に勧めたところ、映画畑である彼女には相当の衝撃を与えたらしい。


参考:映画は自由でいいーー『KING OF PRISM -PRIDE the HERO-』が示す、常識の向こう側


 現在、『KING OF PRISM -PRIDE the HERO-』通称『キンプラ』が熱狂的なファンをつけて絶賛上映中だ。前作『KING OF PRISM by PrettyRhythm』(『キンプリ』)は、「裸の男の子が笑いながら無数に飛び出してくる」「尻からはちみつが飛び出す」などの不思議シーンと、観客がキャラクターに向かってサイリュームとかけ声でエールを送る「応援上映」も含めて大きな話題になった。


 今作の『キンプラ』は前作以上にパワーアップ。仁王像が立つステージをバックに、アイドルが竜や虎を召喚して対決している。これまでのアニメにはない破天荒なビジュアルを楽しめるところも本作の魅力だろう。けれども、鑑賞した人の言葉には「常識を越えた」「言葉にならない」などの感想が並ぶ。物語の筋は王道の少年成長ドラマだ。そしてドラゴンや虎が出てくるアニメはほかにも多数ある。では一体、言葉にするときに感じる違和感とは何なのだろうか。


■表現方法と観客の認識とのズレが笑いを生む
 私は、友人に連れられて『キンプリ』を観た男性からこんな話を聞いた。「少女マンガ的な世界観なのに、なぜコウジが新天地に向かう時のキラキラした乗り物が、白い馬車ではなくて、電車なんだろう……!?」「少女マンガなら馬車に乗る」という発想もレトロだが、確かに星空を飛ぶ電車は少女漫画の世界ではそうそう登場しない。そこで気がついたのは、“ジャンルの越境”だ。演出段階で、人物の行動や心理を描く際に、“そのジャンルにはない”モチーフが持ち込まれているのだ。アニメを見る際、私たちは“ジャンル”を意識している。「少年マンガ原作ならこういう表現になるだろう」と観る前からある程度予想をしているのだ。ところがキンプリはジャンルを越境してくるので「果たして観ているのはどのジャンルなのか」と脳内で混乱が生じる。


 これには、本作品の複雑な生い立ちと構造という要因がある。本作品は『プリティーリズム・レインボーライブ』のスピンオフ作品。いわゆる“女児向けアニメ”を出発点としている。“女児アニメ”が原作なのに、“少年の成長物語”を描く。さらに構造を複雑にしているのが、菱田正和監督が、サンライズ出身の“少年向けロボットアニメ”を得意とするクリエイターであることだ。そして菱田監督の「観客を楽しませたい」というエンタメ精神が、女性客へのサービスとして過剰に発揮されている。たとえば、“成長したヒロが、ショーで皆を圧倒するシーン”。ヒロが宇宙空間で太陽系惑星をビリヤードで玉突きし、地球がヒロの応援カラーである黄色に染まるのだ。


 たとえて言うなら、お父さんが娘に作ってあげるケーキである。「お祝いのケーキはたくさんデコってほしい」と娘に言われたお父さんは、その意味を要素に分解して考える。「おめでたいもの」「派手なものが好まれる」「たくさん物が乗るとゴージャス」。こうしてできあがったのが、白い生クリームの上にフルーツやチョコレート、金粉など様々なものがこれでもかと盛られた渾身のデコレーションケーキだ。菱田監督の『キンプラ』もまた、そんなお父さんのデコレーションケーキに似ている。白い生クリームの上に大団扇や新幹線、仁王像などがてんこ盛りに乗せられたデコレーションケーキのような作品なのだ。


 『キンプリ』シリーズでは、監督が発案したデコレーションを実現しようと『プリティーリズム』の制作チームがワッショイと加勢した。エンタメ力と躍動感のある絵作りで名高いタツノコプロが作画を担い、女児向け玩具を得意とするタカラトミーアーツ社と、『プリリズ』で「ファッションコーディネート&リズムアクションゲーム」を作ったソフトウェア開発会社のシンソフィアが、ミラクルなステージと技名でショーを盛り上げる。そして『ラブライブ!!』監督の京極尚彦氏が、美少女に加えるようなお色気を少年たちにも容赦なく適用してダンスを演出、CGディレクター乙部善弘氏らCG班がファンタジックでキラッキラなダンスに仕上げ、エイベックスの『EZ DO DANCE』など往年の名曲がステージに流れる。


 女児向けと男児向けと女性向けという、普通は合わさることのないジャンルが混ざり合い、各社の持ち味を活かしきった“デコり”が、よりいっそう説明不可能な複雑な味わいをもたらしている『キンプラ』。まるで、リンゴとハチミツとスパイスの配合で、これまでになかったカレーができあがるようだ。私たち観客は、今観ているシーンが少女マンガなのか、男児向けアニメなのか、はたまたほかの何かなのか……、どのジャンルにも当てはまらないため、途中で考えるのをやめる。ジャンルの垣根を超え、固定概念から解き放たれた観客は、ヒロ様を応援する黄色いバラのひとつになって地球を染めることしかできないのだ。


■ファンはなぜ涙するのか? 点と点の間に見える連続性
 ところで、ファンはこうした映像を見てなぜ涙を流すのか? それは、『プリティーリズム』シリーズが、登場人物たちの挫折と再起の成長物語だということに起因する。物語は女児向けにしてはやや泥くさい。同じステージに立つプリズムスタァに嫉妬したり罠に落としたりという描写もある。アップダウンの大きい“大映ドラマ”のようなテイストが混じるのだ。


 『キンプリ』シリーズに直結するエピソードを上げると、母子家庭で育ったヒロは芸能事務所の法月仁に才能を見いだされるが、デビューのために親友・コウジが作った曲を自分が作ったと偽れと強要される。デビューへの野心を持つヒロはその条件を飲み、失意のコウジが事務所を辞めてしまう。このように登場人物たちには超えるべき試練が与えられ、全51話の中で少しずつ自身や相手との関係が変化していく様子が描かれる。抱える問題は1話や2話では解決しないため、私たち観客は登場人物たちの葛藤や立ち直りを長い時間かけて追っていくことになる。


 菱田監督はインタビューなどで、たとえ女児向けの物語であっても、女の子たちがすぐに仲良くなるのではなく、時間をかけて打ち解けていくようなリアリティを持たせたい、と語っている。そこには、人物の心理や行動には必ず因果関係があるという信念が見える。菱田監督にあるのは“連続性”を重視する姿勢だ。『キンプラ』には、『魔神英雄伝ワタル』シリーズ、『激闘!クラッシュギアTURBO』、『陰陽大戦記』など男児向けアニメ作品へのオマージュが入っている。それは、『プリティーリズム』シリーズにも参加していたアニメ演出家・井内秀治氏(故人)に対するリスペクトからだという。井内氏は、これらサンライズ作品を監督・各話演出をした演出家。菱田氏は、井内氏からアニメ演出を学び、『プリティーリズム』でも井内氏の意見を取り入れてきた。


 自分と師の原点とも言えるサンライズらしい演出法が、『キンプリ』シリーズにも見て取れる。そのひとつが画面構成だ。『機動戦士ガンダム』監督の富野由悠季氏が執筆した著書『映像の原則』(キネマ旬報)に詳しいが、ひとつは“上手(かみて)・下手(しもて)理論”。主人公や弱者は、舞台の下手(左側)から、上手(右側)にそびえ立つ強大な者に立ち向かっていくという構図を取る。これは、タイガとアレクサンダーのプリズムショー対決にも見られる。


 どちらが善でどちらが悪か、どちらが勝つのかなどは本編を観ていただければと思うが、応援上映に行くファンであれば、タイガが大団扇を扇ぐ「修羅場返し」の技をきっかけに、紫(アレク)と緑(タイガ)のサイリュームを左右逆に持ち替える場面があることに気づくだろう。


■点と点の間を埋める
 登場人物の心の動きも、演出法も過去から現在の積み重ねにある。そんな“連続性”を重視する思想の元に『キンプリ』シリーズも作られている。けれども劇場版は尺(時間)の制約が大きい。限られた時間の中で、様々な登場人物や設定がハイライト的に描かれることになる。たとえば、ヒロとコウジとカヅキで結成したユニット「Over The Rainbow」(通称オバレ)だが、映像として描かれているのは“結成まで”(プリリズ)と、“活動休止”(キンプリ)と、“卒業”(キンプラ)だけだ。オバレの最盛期は、実はほとんど描かれていない。


 設定についても描かれないものが多くある。たとえば芸能事務所・エーデルローズ主宰の聖と、聖を敵視するシュワルツローズ主宰の仁の生い立ちと関係。映像として描かれたのは、今作の『キンプラ』が初めてだ。作中でなければどこで明かされていたのか? と言えば、これまでのトークイベントやオーディオコメンタリー、アニメ誌などに載る菱田監督のコメントである。


 『プリティーリズム』シリーズからのファンは『キンプラ』で描かれたハイライトな断片情報から、点と点の間にある“空白”を想像で埋めていく。断片情報から「あのキャラクターは、一度は失ってしまったものを取り戻したのだ」と読み取り、涙するのだ。「映画は観客が完成させる」という言葉があるが、『キンプリ』シリーズは、ファンが連続する間を想像することで、真の意味で完成するのである。


■“刹那であること”の共有
 物語のキーフレーズである「きらめき」という言葉をファンが大切にしているのは、それが“刹那である”ことを感じ取っているからだ。本作品は登場人物たちが前に進んでいく成長物語。『プリティーリズム』では、主人公・なるが大好きな親友と別れ、再出発する姿が描かれた。大好きな人がいても“ずっとこのまま”ではいられない。人物たちの時間は決して戻ることなく進んでいく。彼ら彼女らの挫折も再起も見届けてきたファンは、成長を喜びつつも“この瞬間は永遠ではない”ことを感じ取る。


 『キンプリ』シリーズのファンには応援上映が好まれ、上映の週を重ねるごとに振りが統一されていく。サイリュームの光を通じてきらめきという刹那を共有したいのではないだろうか。点と点を解釈で結び物語の“間”を想像すること。それはまるで遠い距離にある恒星同士を結ぶ星座のようでもある。ファンは刹那のきらめきに涙し、サイリュームの光という星座を描くのだ。


■渡辺由美子
アニメジャーナリスト。ビジネスなど異分野同士を繋げることに興味あり。過去、アニメ!アニメ!にて『渡辺由美子のアニメライターの仕事術』 を連載。現在、ASCII.jpにて『誰がためにアニメは生まれる』を連載中。titterID:@watanabe_yumiko