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現在最高峰の海外ドラマを探しているなら、『ナイト・オブ・キリング』を見ない選択肢はない

2017年06月30日 12:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 「Peak TV」(テレビ全盛期)、または「TV Bubble」なんてホットな新用語が各メディアを賑わせている、現在のドラマシリーズを取り巻く海外の状況。近年は年末になると、当たり前のようにほとんどの主要メディア、そして多くのジャーナリスト/ライターが、映画の年間ベスト10と合わせて、ドラマシリーズの年間ベスト10を発表するようにもなっている。


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 そんな海外における2016年の「ドラマシリーズ年間ベスト企画」で、数多くのメディアやジャーナリスト/ライターが年間ベスト1、もしくは上位にリストアップしていたのが、2016年の6月から8月にかけてHBOで放送されていた本作『ナイト・オブ・キリング 失われた記憶』だ。2017年1月に開催された第74回ゴールデングローブ賞のドラマ・ミニシリーズ部門においても、主演男優賞にジョン・タトゥーロ、リズ・アーメッドの2人(2人で票が割れなければどちらかが受賞していただろう)、そして最優秀作品賞と主要2部門に3つノミネート。ちなみにミニシリーズというのは、人気があれば毎年シーズンが更新されていくのが前提のドラマシリーズ界にあって、1シーズンのみの製作であることを最初から明記している作品のこと。『ナイト・オブ・キリング』は現在の全8エピソードで完結している。


 その『ナイト・オブ・キリング』の配信が、先日、日本のHuluで開始された。既に日本でも一部の海外ドラマファンの間で称賛を集めている本作。「とにかくムチャクチャおもしろいんだよ!」と興奮気味に語ることはいくらでもできるが、作品の中身を簡潔に伝えるのがちょっと難しい作品なのだ。例えば、「弁護士役のジョン・タトゥーロが蕁麻疹持ちでさ。そのせいでいつもサンダルを履いてるんだけど、それが見てるこっちも痒くなってくるくらい迫真に迫った描写でさ!」などと脚本や演出や演技の細部について語ったところで、「?」という感じだろう。でも、本作のすごさが説明しにくいのにはちゃんと理由があるのだ。


 『ハスラー2』、『シー・オブ・ラブ』、『恋に落ちたら…』、『死の接吻』、『身代金』などで知られるリチャード・プライス(本作では企画、製作総指揮、共同脚本を担当)と、『シンドラーのリスト』、『今そこにある危機』、『ミッション:インポッシブル』、『ハンニバル』、『マネーボール』、『ドラゴン・タトゥーの女』などで知られるスティーヴン・ザイリアン(本作では企画、製作総指揮、共同脚本、エピソード4以外のすべての監督を担当)。ここで挙げた彼らのキャリアのごく一部の作品だけでもわかるように、大げさでもなんでもなく、まさにここ30年間以上のアメリカ映画界を代表する2人の名脚本家が手を組んだことによって生み出されたのが、本作『ナイト・オブ・キリング』だ。言うまでもなく、映画には様々なジャンルがある。プライスとザイリアンは、それぞれのジャンルの2時間前後の物語を紡ぐにあたって、これまで世界最高レベルの仕事を積み重ねてきた。


 ところが、『ナイト・オブ・キリング』は一つのジャンルに収まるような作品ではまったくないのだ。舞台は現代。ニューヨークに住む裕福でミステリアスな若い女が殺される夜から始まるこの物語は、まずその真犯人が誰であるかを巡る「ミステリー」である。そして、その容疑者として警察に拘束されるのがリズ・アーメッド(『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』で一躍スターの仲間入り。あるいは、『ナイトクローラー』でジェイク・ギレンホールにこき使われるあの若者と言えば思い当たる人も多いだろう)演じるパキスタン系移民の青年。つまり、本作は移民問題を巡る、現在のアメリカ社会の動向も踏まえると極めてタイムリーな「社会派ヒューマンドラマ」でもある。


 その青年に手を差し伸べる(最初は私利からだが、やがて情が移っていく)、もう一人の主人公である弁護士を演じているのが、コーエン兄弟作品やスパイク・リー作品の常連としても知られる名優ジョン・タトゥーロ。タトゥーロの役は、ある出来事がきっかけとなって物語の半ばからは探偵として真犯人の究明に乗り出していくことになるのだが、そのちょっと疲れた中年男のキャラクターの造形は物語の冒頭から明確に「探偵もの」の数々の映画作品を参照したもの。繰り返し描写される愛猫との絡みなど、まさに「探偵もの」映画の不朽の名作にして、松田優作の名ドラマ『探偵物語』にも多大なる影響を与えた『ロング・グッドバイ』の主人公フィリップ・マーロウそのもの。もっとも、タトゥーロ演じる男は猫アレルギーの持ち主で、それがより哀愁を強めているのだが。


 物語を推進していくのは、パキスタン系移民の若者が収監されることになる刑務所内部におけるゲイやドラッグといった現代的なイシューも含めた人間関係(「刑務所もの」)と、彼が嫌疑をかけられた殺人事件裁判の行方(「法廷もの」)。そして、全編を通して最も印象に残るのは、一連の出来事の中でパキスタン系移民の青年に芽生える変化だ。これは本作の核心の部分に当たるので明言は避けるが、この物語は一人の若者の「成長物語」にして、その感触は限りなく「クライムスリラー」に近い。


 つまりだ。この『ナイト・オブ・キリング』は「ミステリー」であり「社会派ヒューマンドラマ」であり「探偵もの」であり「刑務所もの」であり「法廷もの」であり「成長物語」であり「クライムスリラー」でもあるのだ。しかも、それを手がけているのは長年アメリカ映画界を担ってきた百戦錬磨のリチャード・プライスとスティーヴン・ザイリアンである。各ジャンルの作品の要素を見事にミックスしてみせたとかそういうレベルではなく、全8エピソード、10時間弱(1エピソード1時間だが、最初と最後のエピソードのみ長尺となっている)にわたって、それぞれのジャンル映画における最高峰の作品と比肩するような濃密な物語と、きめ細かで卓越した演出が展開していく。


 本作の原題は邦題の『ナイト・オブ・キリング』から「キリング」の部分が抜け落ちた、“The Night of”という英語の修辞法的にも少々奇妙なもの。前述したように、一つの「殺人」が物語の発端になっているのは事実だから、邦題の『ナイト・オブ・キリング』も決してタイトルとして間違いではない。ただ、製作者たちは原題の“The Night of”に「その先を埋める一つの単語を決めるのは、視聴者それぞれだ」というメッセージを込めているのだろう(ちなみに本作は『ハウス・オブ・カード』などと同様に英国のテレビドラマを原案としているが、そこでのタイトルは“Criminal Justice”というまったく別のものだった)。誰の身にも突然襲いかかるかもしれない、これまでの平穏な人生を一変させてしまう「夜」。本作『ナイト・オブ・キリング』は、人間という生き物の「夜」(=もう一つの顔)についての深い洞察に満ちた、視聴者に一生傷跡を残すほどのヘヴィ級のドラマだ。部屋の明かりを暗くして、テレビの前でどっぷりとその世界に浸ってもらいたい。(宇野維正)