トップへ

【都議選】なぜ日本人は「うるさい選挙カー」に無頓着なのか 哲学者・中島義道氏は「公共空間に対する感受性の問題」指摘

2017年06月28日 15:11  キャリコネニュース

キャリコネニュース

写真

投票日を7月2日に控え、都議選の候補者たちが選挙運動に勤しむ中、ネットでは選挙カーに対し、「うるさい」「やめてほしい」などの苦情が多数聞かれている。

選挙運動でよく見られる候補者の名前を連呼する行為は、公職選挙法により、8時から20時の間のみ許可されている。しかし、音量に規制はなく、学校や病院近隣を通る際の音量制限も努力義務だ。

中島義道氏「せめて大きな商店街に限定し、住宅街には入って来ないようにしてほしい」

そのため、周囲の迷惑もお構いなしに声を張り上げる候補者は後を絶たない。ツイッターでも「うち、学校のそばなんですけどね。平日昼間の授業時間帯なのに、スピーカー大音量で使いながら通りすぎる都議選の選挙カーがいくつもあるんですよね……」というぼやきが見られる。

『醜い日本の私』『うるさい日本の私』などの著書で、日本の公共空間における音や色のうるささを訴えてきた、カント哲学者の中島義道氏は、音量を顧みない選挙カーが無くならない理由を「日本人の、公共空間に対する感受性の問題」にあると指摘する。

「日本人は矛盾しているんです。静謐さを好むのは、自分の身の回りの限定。街という公共空間になった瞬間、賑やかでも良い、そういうものだからしょうがないと思っているんです」

中島氏はこれまで、エスカレーターや駅のガイド音声のほか、警官による花火大会などでのマイクを使った注意喚起などに対し、『静かな街を考える会』と共に反対を訴え続けてきた。目の不自由な人たちにとってガイド音声は必要だと思いきや、当事者たちは、街中の様々な種類の音声に困っていると言う。

「政治家も一般の人も、多様性とかなんとか言っても、心の底からは考えていないんです」

30年以上経っても変わらない日本の状況は「絶望的」だと評する。

「ほとんどの人は『街がうるさい』と感じていないのだから、問題意識すら持たない。ガイド音声のように、多くの人が無批判に良いと捉えている音を『うるさい』と言っても、『良いことをしているのに何故批判するのか』と反感を買ったり、嫌われたりすらします。我々のように極めて少人数の、ポピュラリティの無い一部の人間が言っても、社会は動きません」

と、諦めを滲ませる。選挙カーについては、かつて大音量の演説を止めさせる為、車の前に立ち塞がり、「ひいてみろ!」と煽ったこともあったという。しかし今は

「本音を言えば屋内だけにしてもらいたいが、せめて大きな商店街に限定し、住宅街には入って来ないようにしてほしい。それも無理だとは思うが」

とこぼすなど、心中は複雑のようだ。

選挙管理委員会は、「今の公職選挙法での音量規制は無理」

東京都選挙管理委員会のサイトにも「連日、選挙運動用自動車スピーカーにより候補者の名前が連呼され、とてもうるさくてたまりません。何とかならないでしょうか」と、音声に対する意見が寄せられている。しかし、委員会の回答は、

「騒がしいと批判を受けることもありますが、候補者にとっては、法律で限られた範囲内で、精一杯有権者に訴えようとしていることでもあり、選挙運動期間中は有権者の方々にご理解をお願いしたいと思います」

と、にべもない。改めて電話で問い合わせると、

「選挙運動は議論の場でもあります。そのため、選挙運動の音量を控えるようお願いするのは、表現・言論の自由の弾圧とも捉えられかねません。ましてや選挙は日本全国で行われるものですから、自治体独自に規制をするのではなく、国会で議論する必要があります」

とのことで、音量規制をするなら、運動のあり方そのものを変える必要があるとの見方を示した。