近年、犯罪件数は減少しているが再犯率は上がっている。その理由のひとつに「刑務所などから出所してもお金や身寄りがない人が多い」ということが挙げられる。所持金がなくなると窃盗などの犯罪を起こしてしまうというのだ。
今回、非行・犯罪歴のある人の雇用を考えている企業の採用支援サービスを行っているヒューマン・コメディ社の三宅晶子社長(46)に、同社の支援状況や出所者の就職事情などを聞いた。
就職しても行方不明になる人、ストレス性胃腸炎で退職する人も
三宅さんは、求職者が再び犯罪に走らないようにするためには「お金を稼いで生活基盤を作っていく必要があります」と話す。非行・犯罪歴のある人の応募を受け付けている企業もあるが、肉体労働の仕事が圧倒的に多い。しかしその仕事をしたがらない人が多いようだ。
「誰だって望んでツラい仕事はしたくないですよね。私も実際に解体現場で10日間働いてみたんですが、高所だし怖いし傷だらけになるし、大変でした。でもまずは生活を安定させることが大切。『選り好みするな!』とは思ってます(笑)」
2016年10月からサービスを提供し始め、現在同社の採用支援に登録している企業は15社。採用に積極的な企業はやはり建築系が多いが、IT、不動産、飲食店なども手をあげている。
これまでに12人の求職者と面談し、5人が採用された。しかしそのうち3人は辞めてしまったという厳しい状況だ。
解体業者に就職が決まったYさん(16歳男性)は出社日前日に自立準備ホームを飛び出し、現在行方不明。プログラマーとして採用されたKさん(26歳男性)は就業5日でストレス性胃腸炎に。2週間の欠勤の後、LINEで「辞めます」と送信して退職した。現在は音信不通だという。
不動産業界で営業をしていたCさん(21歳男性)も、契約を取らなければいけないというプレッシャーからか2か月でストレス性胃腸炎になった。欠勤5日目で社長はクビにすることを決めたが、上司たちが一緒に働きたいと反対し「あと1日だけ待ってやってください」と懇願した。
「そんなやりとりがあったと知って、Cさんに『会社の人たちは君のことを大切に思っているんだよ』と伝えましたが、残念ながら退職することを決めたようです。退職の連絡もKさん同様LINEだったんですよね……」
2人が辞めてしまったことについて、三宅さんは「今まで毎日同じ時間に出社することもなかったから、通勤すらストレスに感じる人は多いです」と述べた上で、
「彼らは自分自身のことを信じてあげられていません。長く働くためには『自分を認めて信頼すること』が必要です。でもそれって、他人に貢献しようとしたり感謝されたり、普通は仕事を通して身につけていくこと。でもこれまでダメと言われ続けてきた人や自分の居場所や心の拠り所がない人は、時間がかかるんです」
と語った。しかし「長い目で寄り添い育ててくれる企業に繋ぐことはもちろんですが、例えば、これからの自分に期待をして『目標を立てる』ことができたら頑張ろうと思えるはずです。今後はそのような教育プログラムを作り、アプローチしていきたい」と前向きだ。
刑務所内での就職状況は芳しくない「専用求人誌を配布する」
半数以上は辞めてしまったが、2人は現在も就職先で働いている。解体業者に就職したTさん(41歳男性)は一度寮を飛び出し、窃盗で捕まったものの同じ会社で勤務を続けている。Hさん(43歳男性)は事務職として採用され、アルバイト・契約社員を経て、今月正社員となった。
現在、採用に繋がりそうな求職者は1人。他にも7人面談したが、自力で自分に合う仕事を見つけた人や、とりあえず日雇いの仕事に就いている人もいる。ただ連絡が取れなくなった人や再犯で逮捕された人もいる。三宅さんは「人材の確保が難しいんです」と語る。
「矯正施設や身寄りや住む場所のない出所者が入所できる法務省管轄の更生保護施設に営業をかけましたが、『民間の一企業に対して便宜を取り図ることはできない』と断られました」
また刑務所内でも就職支援は行われているが、力を入れている刑務所でも年間20人ほどしか採用されていない。中々うまく機能していないようだ。三宅さんは、
「思いつくこと全部やってみようと思って、いまは犯罪・非行歴のある人用の求人誌を制作しています。これを全国の刑務所や保護施設に手渡しする予定です」
と話した。求人は10社掲載予定で、現在も掲載企業を募集している。7月中旬には配布する予定だ。
出所者はやり直しが効かないことに愕然「過去を価値に変える会社を」
なぜ三宅さんはこうした事業を行っているのだろう。これについては「私も中学の頃から不良に憧れて、結構悪いことをしてました。警察のお世話になったこともあります」と話す。
女子高に通っていたころは毎日のように誰かにケンカを売られ、下校時刻になると暴走族仕様のバイクが学校に迎えに来ていたという。高校を約5か月で退学し、アルバイトをして暮らしていたある日、父親にデカルトの『方法序説』を渡される。それをきっかけに勉強するようになり、17歳のとき高校に再入学。フリーターを経て23歳で早稲田大学に入学した。
卒業後は貿易事務、留学、大手企業を経て、「人と関わる仕事がしたい」と思い2014年に退職した。
そのとき「人が体験していないことを体験した人に会ってみよう」と受刑者支援団体や児童養護施設などを訪れた。そこで、出所しても再犯で刑務所に戻ってくる人が多いことを知った。
「やり直しができないのか、とショックを受けました。そんな中、少年院から手紙が届きました。ある自立援助ホームで出会った少女でした。不思議と私に心を開いてくれた女の子です」
彼女は当時17歳で、15年以上施設で暮らしており、戻る場所は自立援助ホームしかない。三宅さんは「帰る選択肢がもう一つあればいいかなと思って身元引受人になりました」と話す。そしてつらい過去を持つ彼女がどうすれば幸せになるかを考えた。
「もし私が犯罪・非行歴のある人たちを支援する会社を立ち上げれば、彼女や彼女と似たような境遇の人も過去を包み隠すことなく働ける、そうした場所なら彼らの過去が価値として輝くと思いました。それで2015年7月、彼女の誕生日に会社を登記しました」
それから約2年。現在、彼女とは別々に生活しているが、家族という思いは変わらないようだ。現状について三宅さんは「最初からうまく行かない、と思ってやってます」と話す。
「この人なら絶対に大丈夫だ!って思った人が辞めていく姿を続けざまに見ると、改めて難しいなと思います。でも想定内といえば想定内ですね。これからも求職者が『これまでの生活だけが人生じゃない』と思えるように種まきをしていきます」