2017年06月24日 09:14 弁護士ドットコム
2019年6月までに施行される改正刑事訴訟法では、裁判員裁判対象事件と検察独自捜査事件について、逮捕・勾留された被疑者に対する取り調べの全過程での録音・録画が義務づけられている。この法改正による冤罪防止効果には懐疑的な見方も少なくないが、取り調べの可視化を冤罪防止に生かすにはどうすればいいのだろうか。
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取り調べで被告人が自白した場面のみが録画されていた放火殺人事件の裁判で無罪判決を勝ち取った弁護士に話を聞いた。(ルポライター・片岡健)
話を聞いたのは、広島弁護士会の那須寛弁護士(写真中央)、芥川宏弁護士(同左)、和田森智弁護士(同右)の3人。2012年12月に広島市の老人介護施設で火災が発生し、火元の部屋で寝たきり状態だった80代の女性入所者が焼死した事件で、3人は放火殺人及びこれとは別の窃盗の罪に問われた介護福祉士の女性の弁護人を務めた。
女性は捜査段階に「被害者の布団にライターで火をつけた」と自白していたが、2014年6~7月に広島地裁であった裁判員裁判で無罪を主張。公判中に法廷で再生された取り調べの映像では、女性は自ら積極的に罪を認めていたが、裁判官と裁判員は放火殺人に関する女性の自白について、「信用できると判断するには疑問が残る」として放火殺人につき無罪を宣告し(窃盗については争いはなく有罪)、検察官が控訴せずに第一審のみで確定した。
――取り調べはどの程度、可視化されていたのでしょうか。
芥川「女性は2013年1月17日の早朝に警察に任意同行され、取り調べ開始から1時間16分後に放火殺人を自白し、夜の11時過ぎに逮捕されました。警察はそれから2月1日に女性が鑑定留置されるまで連日取り調べを行っていますが、録画したのは逮捕直後に、弁解録取書をつくった際に17分、自白調書2通をつくった際に6分と5分だけでした。検察官は合計で8時間近く行った5回の取り調べをすべて録画していました」
那須「警察では、彼女が取り調べ中にどんなことを言っていたのかをメモしていましたが、このメモも開示されました。以前だと取り調べメモは開示されませんでしたが、現在は開示されるようになっていて、これも一種の取り調べの可視化ですね」
――女性の自白が嘘だとすぐにわかったのでしょうか。
那須「女性が『本当はやってないんです』と初めて話してくれたのは、大阪で鑑定留置されてからでした。我々弁護人もそれまでは彼女の自白が本当だと思っていました」
和田森「何度も捕まったことがある人は別ですが、そうでない被疑者は警察、検察、弁護人の区別がつかないことがあります。警察も検察も弁護人も自分に聞いてくるのは事件のことばかりだからです。彼女も当初、弁護人のことを捜査機関側とは違う立場の人間だと認識できず、世話係のような人だと思っていたそうです」
那須「そして起訴後に開示された証拠を見ると、布団の燃え方や枚数が自白内容と全然違っていました。本人に『本当はやっていないんです』と言われ、そういう目で証拠を見たからこそ、そういうことに気づいたのです」
芥川「彼女は自白調書で『ライターで布団に火をつけ、犯行後はそのライターを施設内の自動販売機横のゴミ箱に捨てた』と供述していたのですが、そのライターも見つかっていませんでした。火災鑑定の専門家に証拠を見てもらっても、やはり燃え跡や着火方法が自白内容と合わないという意見でした」
――取り調べの映像はどうだったのでしょうか。
和田森「録画は取り調べ中だけではなく、彼女が取り調べ室に入室するところから退室するところまで行われていて、取り調べの前後に取調官と彼女が雑談をする場面も映っていました。脅されて自白しているような場面はありませんでした」
芥川「彼女の自白は大きく分けると3段階で変遷していて、最初は『被害者の部屋のカーテンがどれくらい燃えるかを知りたくて火をつけた』、次に『セクハラをする同僚の男性看護師への腹いせから被害者の布団に火をつけた』、そして最終的に『寝たきりの入所者が1人でもいなくなればいいという思いから被害者の布団に火をつけた』という内容になっていました。取り調べの映像では、彼女は自ら積極的に話し、後の内容のほうが正しいと話していました」
那須「途中、彼女が罪を認めながら涙を流す場面もありました。この映像を最初に観た時は正直、自白の任意性、信用性を否定するのはきついと思いました」
――そんな映像で自白が嘘だと裁判官や裁判員にわかってもらえた要因は?
芥川「供述心理学者の村山満明教授(大阪経済大学)に自白を鑑定してもらったのが大きかったです。具体的には、取り調べの映像(DVD)や自白調書、取り調べメモ、それから弁護人が接見の際にとっていたメモを渡し、分析してもらいました」
那須「たとえば、彼女の自白内容の変遷について、検察官は『最初は罪を軽くすべく有利になるように嘘を言い、次第に真実を打ち明けたからだ』と主張しましたが、村山教授の分析によりそうではないとわかりました。
彼女の自白はむしろ不利な内容から有利な内容に変わっていたり、部屋の電気をつけたか否かやカーテンを閉めたか否かなど罪の重さに関係ない部分も変遷していたのです。村山教授は彼女の自白の変遷を『真犯人の自白の変わり方ではない』『迷走している』と評価しましたが、判決でもそう評価してもらえました」
――女性はなぜ、積極的に嘘の自白をしたのでしょうか。
和田森「無実の人は『いま自白しても裁判で真実は明らかになるだろう』という思いがあり、刑罰を受ける未来を現実的に想像できません。そのため、取調官から追及され続ける中、ともかく解放されたいという思いから自白するのです。そして罪を認めると、取調官も機嫌が良くなるため、険悪な雰囲気に戻りたくないという思いから自白を覆せなくなります」
那須「そして無実の人も一度自白してしまうと、取調官にヒントをもらいながら、客観的状況に合うようなストーリーを積極的に供述していきます。取調官が納得する自白をしないと、怒られて振り出しに戻るからです。そういう知識は今回の事件以前からありましたが、彼女の自白を村山教授に分析してもらい、そういうことを改めて強く感じました」
芥川「裁判では、村山教授の証人尋問が認められ、そういう供述心理学的なことを法廷で裁判官や裁判員に直接説明してもらえたのも大きかったです。弁護人が法廷で同じことを語るだけでは、『しょせんは弁護人の主張に過ぎない』としか思ってもらえないですから」
和田森「裁判官や裁判員が村山教授の説明を聞くことなく、あの取り調べの映像を観ていたら、彼女が本当にやったことを自白していると思ったかもしれませんね。『こうだから、こうしました』と理路整然と犯行を供述していましたから」
――改正刑訴法では、対象事件は限られますが、逮捕・勾留された被疑者の取り調べを全面的に録画することが義務づけられています。
那須「取調官が被疑者を自白させるために使ってきたあの手この手が使いにくくなるはずですから、虚偽の自白が減る可能性はあるでしょう。また、我々は今回の事件で彼女の自白内容が変遷した経緯などは取り調べメモからわかりましたが、映像があれば、もっと具体的にわかったと思います。無実の人が虚偽の自白をした場合も発見しやすくなるでしょう」
芥川「ただ、今回の事件でも彼女は逮捕前の任意捜査で、警察官に窃盗罪を追及され、その罪悪感を利用されるなどして虚偽自白をしています。取り調べが全面的に可視化されても、捜査官が見えないところで被疑者に何かをする可能性は永遠につきまといます。それと、取り調べの映像をどう読み解くかという問題も残ります」
和田森「一般の人が裁判員として取り調べの映像を観ることになった場合、映像を額面通りに受け止めてはいけないということは最低限知っておいてもらいたいです。真犯人が本当に自白している場合もあれば、無実の人が色んな経緯があって自白している場合もあります。映像さえ見れば、自白が本当か嘘かは一目瞭然だろうという発想は危険です」
【プロフィール】片岡健(かたおか・けん)ルポライター。1971年生まれ。大学卒業後、フリーのライターに。全国各地で新旧様々な事件を取材している。編著に「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(鹿砦社)。広島市在住。
(弁護士ドットコムニュース)