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ル・マンサポートレース参戦のレジェンド寺田陽次郎、厳しい状況のなか完走果たす

2017年06月23日 12:13  AUTOSPORT web

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寺田は東日本大震災の被災地に住む子供たちをル・マンに招待し、子供たちの自立をサポートする活動を行っている
1974年の初出場以来、過去29回のル・マン24時間耐久レース出場経験を持ち、ミスタール・マンとして知られる寺田陽次郎は、第85回大会のサポートレースとして開催された『ロード・トゥ・ル・マン』に参戦した。6月13日に行われたレース1はアクシデントによってリタイアに終わったが、17日のレース2では完走を果たしている。

 1947年生まれで今年70歳となる寺田が挑んだロード・トゥ・ル・マンは、2016年からル・マンのサポートレースとして、LMP3車両とFIA-GT3車両を使って争われるスプリントレースだ。2017年はレース1を本大会の予選前日となる13日に、レース2は17日の本戦決勝前に行われた。

 マツダのレジェンドドライバーであり、ACOフランス西部自動車クラブの理事を務める寺田は、マツダの支援のもと、今年も東日本大震災の被災地に住む中高生をル・マンに招待し、語学研修や異文化交流を通じて子供たちの自立を支援するプログラム『Support Our Kids(SOK)のツアー』を実施。

 岩手県、宮城県、福島県から計9名の子供たちが参加したこの活動は、サルト・サーキットの場内放送や地元の新聞、テレビ番組などでも多数取り上げられた。

 子供たちも見守るなかで迎えた13日(火)のレース1。寺田の駆るDKRエンジニアリングのアデス-03 LMP3はセッティングが定まっておらず、また電気系統にも不安を抱えていたため、決勝まで満足な走り込みを行えなかった。

 最後尾からのスタートとなる決勝。レースの前半パートを担当した寺田はクルマの不安定な挙動に悩まされ、ポルシェコーナーでスピン。マシンを止めてしまう。

「ようやく、マシンの動きをつかめてきたので、少し攻めてみようとトライしたところ、ポルシェカーブでスピンしてしまいました」とアクシデントを振り返った寺田。

「どこにもぶつけずにマシンを止めたのですが、スターターを回してもエンジンは始動しませんでした」

 この結果、寺田の駆る91号車アデスはリタイアとなっている。

■寺田「久しぶりにル・マンのフルコースを走り、とてもワクワクした」
 17日(土)15時からの24時間レース決勝を前に行われたレース2は、11時30分にスタートが切られた。

 ふたたびスタートドライバーとしてレースに挑んだ寺田は力強い走りを披露し、レース中盤、チームメイトでオーナードライバーのシルバン・ブーレイにマシンを託す。代わったブーレイも順調に周回を重ね、91号車アデスはLMP3クラス24位でチェッカーを受けた。

 2レースを戦った寺田は「LMP3車両は面白いマシンですが今回は準備不足で、なんとか走りきれたという感じです」とコメント。

「それでも久しぶりにル・マンのフルコースを走れたことは、僕自身とてもワクワクし、大変楽しい体験でした。古希を迎えた僕がこのレースに集中していることで、子供たちが何かを感じてくれれば良いと思います」