今年で20周年を迎えるツインリンクもてぎ。関東圏だけでなく、日本のモータースポーツにとって大きな役割を担ってきたツインリンクもてぎについて、ドライバー自身の記憶と思い出と共ともに振り返る短期集中連載企画。今回は山本尚貴のコメントをお届けする。
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山本尚貴の初ツインリンクもてぎは、ロードコースではなく北ショートコースだった。
「子どもの頃、カートレースに行っていましたし、2004年のインディ・ジャパンにも父親と観に行ったことを覚えています」
その後、2006年にSRS-F(鈴鹿サーキットレーシングスクール・フォーミュラ)のスカラシップを獲得、待っていたのがツインリンクもてぎでの特訓走行だった。
「SRS-F車両を使い、もてぎでテストをしたんです。(同じくスカラシップを獲得した)中嶋大祐も一緒でした」
フォーミュラカーでの経験値を上げるために走行したツインリンクもてぎはとても刺激に満ち溢れていた。
「今まで自分が観客席から見ていた風景が、急にコースの上から観客席を見ることになって……。レーシングドライバーの視点でサーキットを見て、ものすごく興奮しました。誰もがレーシングカーでコースを走れるわけではないので、なんだか特別な感情みたいなものが芽生えたことを覚えています」
4輪デビューは2007年のFCJ(フォーミュラチャレンジ・ジャパン)。ツインリンクもてぎのグランドスタンドに山本の私設応援団によって応援席が初めて用意されたのも、この年から。
「個人的な話ですが、もてぎと聞けばやっぱり応援席のことを真っ先にイメージします。そこで応援してもらえることが、僕にとって特別なシチュエーションですからね」
気づけば応援席も10年目を過ぎ、山本はその間に全日本F3選手権・Nクラス、そして全日本選手権スーパーフォーミュラでシリーズタイトルを手にする。ドライバーとして大きく成長した傍らには、常にツインリンクもてぎというホームサーキットがあった。
「家族で遊びに来ていた場所でレースをするようになり、育ててくれた場所なのかもしれませんが、どちらかというとそれよりも一緒に育ってきたような感じがするんです。僕はカートからフォーミュラやGTレースをするようになって、その間、もてぎの中にもいろんな施設ができてきて進化していきましたからね」
子供心に描いたもてぎは「すごく華やかな世界だった」という山本。「きれいな施設も多く、迫力があった。その後、震災の影響などもあり大変な時期もあったでしょうが、訪れるお客さんへいつも感動と興奮を与えてくれる場所であってほしいと思います」と、ともに成長してきたサーキットへ思いを寄せる。
ところで、FCJでの初優勝をはじめF3での優勝をツインリンクもてぎで達成している山本だが、実はトップカテゴリーではホームサーキットの勝利は未だ。
「20年という節目の年に、トップカテゴリーでの地元優勝をぜひ成し遂げられたらいいなと思います。20周年に花を添えるという意味でも、ドライバーとしてがんばらないと」
ツインリンクもてぎは、山本にとってこれからも長く付き合っていく“同士”なのだろう。