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Have a Nice Day!とは一体何なのか? 石井恵梨子が“切実で異様なライブ”について浅見北斗に訊く

2017年06月21日 19:03  リアルサウンド

リアルサウンド

 当サイトでも以前から取り上げられていたバンドであり、近年は台風の目とも言われてきた。ただ、私自身は普段ロックをメインに書いている身で、その噂はほとんど聞こえてこなかった。たぶん、ロック/パンクのシーンを前提にして言えば、今もまだ無名に近いバンドなのだと思う。


 5月30日、Have a Nice Day!のワンマンライブを渋谷クアトロで見た。


 通称ハバナイ。ドラムス/ギター/シンセサイザー/ボーカル兼サンプラーという4人編成で(以前はボーカル兼ダンサーの強烈キャラがいたが今は不在)、音はいわゆるディスコ・パンク。こう書くとthe telephonesのような音を想像する方もいるだろうが、そこからアタックの強さを差し引き、ロマンティックなシンセの音を増幅させた感じ。アグレッシブな成分は薄く、より煌めいたディスコのフロアへ向かおうとするエレクトロ・サウンドである。軽佻浮薄、つまりチープと言ってもいい。それ自体が新しいとは思えず、生演奏に特別迫力があるわけでもない。楽曲の起伏は案外乏しく、キラキラなシンセと、ラップと歌唱の間を行くようなボーカルが、延々リフレインしている状態だ。


 それなのに、だ。フロアはすさまじいモッシュピット。全員タガが外れたように暴れていて、どのタイミングで、というきっかけもないまま次々とクラウドサーファーが湧いてくる。肉と肉がぶつかりあい、相手の首を締めるように絡まりながら床に倒れこむ連中がいる。泣き叫ぶように咆哮する者がいて、意味がわからないがパンツ一丁で暴れているオッサンもいる。凶暴といえば凶暴だが、幸せそうといえば猛烈に幸せそう。ただ、全体的に必死な感じがする。リズムにノッているというよりも、普段抑えている欲望や衝動をここでぶちまけるしかないという感じ。要はとてつもなく切実なのだ。絶え間なく体を動かしながら、誰も彼もがシンガロングしている。歌うというより死に物狂いで絶叫している。なぜか中指をおっ立てながら。


 ワンマンだから全員がファンなのは間違いないが、バンドを神格化する様子は微塵もない。曲間には「早くやれ!」と罵声が飛ぶ。それに対してフロントの浅見北斗もまた中指を立てる。ぶつかりあうフラストレーション。互いを煽り立てることで生まれる興奮。素に戻ることを許さないエネルギーの高さに目眩がする。80年代のハードコア・バンドならともかく、今現在のロックシーンでは決して見られない光景だ。客層もライブハウス・キッズとは程遠く、どことなくオタク風の人たちが目立つ。彼らが中指を突き立ててモッシュピットでくんずほぐれつしている様子は、なんというか、異様、の一言だった。


 中盤に披露された「フォーエバーヤング」。昔からある代表曲のひとつで、またしても全員がシンガロング。拳を振り上げて叫ぶ合言葉がすごい。〈ロッケンロッケンロケンロー!〉


 口にしてしまえば言葉は本当になる。そもそもロッケンロールの定義とは、なんていう議論をすっ飛ばし、理性をかなぐり捨ててそれを叫んだ奴の勝ちだという空気が生まれてしまう。何度も目をしばたきながら、これはたぶんアレだ、と思った。相撲でいう座布団投げの瞬間。平幕の力士が横綱を倒してしまう番狂わせ。傍目にはクールでもスタイリッシュでもない連中が、中指を立てながらありえないことを起こしている。王道のロックシーンに与さないバンドと観客が、今この瞬間は確かにロックンロールの渦中にいる。それは革命すら起こると思える、信じられない熱狂だった。


 ロックという音楽ジャンルが今も有効かといえば「そうでもない」と答えざるを得ない現状に、誰よりも意識的なアーティストがおそらく浅見北斗なのだろう。後日、改めて彼に話を訊いた。ハバナイとは、一体何なのか。


ーー今のハバナイのライブでは、どんなハードコア・バンドよりも激しいモッシュが起きています。これは最初から目指していた形なんですか。


浅見:僕、バンドをやる前に〈Less Than TV〉のイベントを見に行って、そこで暴れている人たちを見て「こういうことを自分でもやりたい」と思ったんですよ。あと『Raw Life』を見に行った時も「凄いな!」と思ったし。


ーーアンダーグラウンドで、ジャンルレスで、ぐっちゃぐちゃのモッシュピットがあるようなイメージですね。


浅見:そうです。ただ、ライブを始めた2010年頃は「もうライブハウスでモッシュは起きないだろう」っていうのが定説になってたんですよ。閑散としてて、『Raw Life』の頃の勢いはもうない。あと2011年の3・11もあって、停滞してる印象でしたね。だからイベントを自分でやっても盛り上がるのは転換のDJの時。「DJがかけるアイドルの曲とかみんな知ってるから、その時が一番一体感がある」って友達に言われて(笑)。それはあまりにも虚しいじゃないかよ、と。


ーー確かに(笑)。


浅見:ハバナイの曲がシンガロングできるのは、やっぱりそういう経験があったからですね。最初はもっと速い曲が多くて、それこそ大好きだったデラシネみたいにドワーッとやって一瞬で終わるみたいな。でも曲が強ければシンガロングも起こるし、ちゃんと盛り上がる。それがわかってから曲も長くなってきましたね。瞬間の波じゃなくて、もっと長いピークを起こそうとした結果ディスコっぽい曲が増えてきた感じです。そこは無理に合わせていったわけじゃなくて、僕、もともとポップな音楽が好きなんですよ。それこそ普段はビルボードのトップ40みたいな音楽ばっか聴いてますし。


ーーポップもアンダーグラウンドも隔たりなく聴ける。リスナーとして健全ですよね。ハバナイの客層も、いわゆるロック好きが集まるライブハウス・カルチャーとは違うように見受けられます。


浅見:そうですね。たぶんアイドル好きな人たちが半分くらいいて、残り半分くらいが、いわゆるバンドだけじゃなく音楽全般が好きな人。テクノだったりヒップホップも好きだけどバンドも好き、っていう人たちがいて。まぁ総合的にライブハウスのお客さんとは違うでしょうね。


ーー多くのロック・ファンみたいにバンドを神格化していない。


浅見:ウチの客って面倒くさいことばっか言ってくるんですよ。どいつもこいつも鬱陶しい(笑)。


ーーお互いに尊重しあってない(笑)。歌詞にも出てくるけど、フロアで踊っている人たちを浅見さんは〈ゾンビ〉と表現しますよね。


浅見:うん。感覚的な言葉だけど……生ける屍のような。パーティーピーポーっていう言葉は相応しくないと思いますね。「そんな楽しいもんかな?」と思う。そんなポジティブなものじゃないです。あと屍のように生きていることを受け入れつつ、それをギャグにしたい感覚もあって。自分ではユーモアのつもりもあるんですよ。パーティーピーポーって言っちゃうと楽しんでることが前提になっちゃうけど、そうじゃない。屍のように遊んでる人たち。もちろんお客さんがみんな社会的に虐げられてるとは思わないけど、ホワイトカラーから見たら蔑まれてる人たち……みたいな。根底的にそういう感覚があるのかな。〈ゾンビ〉っていう言葉は、たぶんそういうことだと思う。


ーー〈ディストピア〉という言葉も同じくらい頻繁に出てきます。


浅見:はい。これは、今のこの世界のことですね。やっぱり3・11以降、よりディストピアな感覚が広がってると思う。でも極端なことを言うと、もっと状況が良くてみんなハッピーだったらハバナイみたいな音楽って必要とされなかっただろうし。めちゃくちゃロマンティックなもの、キラキラと明るいものって、普通だったら胡散臭く見えますよね(笑)。でも荒廃したディストピアだからこそ胡散臭いものが美しく見える。それは面白いなと。


ーー〈ディストピア・ロマンス〉ってまさにハバナイですよね。ロマンスだけなら歯が浮いちゃって聴いていられないと思う。


浅見:ほんとですよ(笑)。けっこう今、音楽に対してみんな夢を持ってない、希望がない時代だと思うんです。だからこそ俺はやりやすいかな。もっといい時代だったらハバナイも2年くらいで辞めてたと思う。ここまで続けてこられたのは、音楽が恵まれてない時代だからでしょうね。


ーーどんな音楽もお金にならないし、特にロックなんて主流から遠のくばかりですよね。それをわかっている浅見さんがハバナイであえて〈ロックンロール!〉という言葉を使う理由は何でしょうか。


浅見:……たぶん、ヒップホップやダンスミュージックにもユニティや一体感はありますけど、やっぱりカタルシスを共有できる音楽っていうのはロックンロールだなと思う。The Killersのボーカルの人が「ヒップホップやダンスミュージックにロックは完全に負けてるけど、でも、その場の一体感を生み得るのは自分たちの『Mr.Brightside』だったりオアシスの曲だ」っていうことを言ってて。そうだよな、と思うんですね。たぶん、ロックンロールってある種ルーザーな、負け犬の音楽みたいなところがあると思うんです。根底にものすごく哀しみがあって。それはヒップホップやテクノが持ってないものかなって思う。


ーーパーティーピーポーじゃなくて〈ゾンビ〉のほうがしっくりくる感覚と同じですよね。


浅見:そうです。まさに。完全にルーザーズ・ソング。ハッピーエンドになれないというか。ハバナイはやっぱりダンスミュージックになれないし、ヒップホップにもなれないし、根底的にはロックンロールなのかな。ロックンロールっていう、現状ものすごく負けてる音楽だからこそ(笑)、自分たちだなって気がします。バンドであることもそうですね。究極的に言えば僕一人でPC一台でもライブできますけど、そうなると今みたいなカタルシスは生まれない。やっぱりロックバンドとしての形が必要だろうなって思います。


ーー浅見さんって、無邪気にバンドやってる人に比べても、ロックに対する諦念がすごくあるんだと思います。同時に憧れも。


浅見:ははは。そうですね。めちゃめちゃ諦念があって、憧れもある。


ーー諦念ゆえのナニクソ・パワーもありますよね。「フォーエバーヤング」で全員が〈ロッケンロッケンロケンロー!〉って叫んでる光景も、意味わかんないけど凄まじいエネルギーがあって。


浅見:ははは。死ぬほどダサいですよね! 自分で作ってて思う。歌詞もそうだし、メロディとかアレンジも正直ダサいなと思うんです。でも、フロアにおいて冷静にさせることはいけないと思ってるんですね。ダンスミュージック的な、だんだん高揚していくような起伏じゃなくて、ハバナイの音やライブってどこを取ってもバキバキなエモーションなんです。一歩引いて見たらめちゃめちゃダサいんだけど、そうじゃないとフロアでバキバキのカタルシスは生まれない。自分でもそういう過剰さを求めてますね。じゃないとテンションが上がらないし自分の中にエナジーが生まれない。聴きやすいけど物足りないものじゃなくて、過剰なんだけど常にフィジカルに作用するものを求めてますね。


ーー嬉しくないと思うけど、それって言葉にすると、ロック・スピリットってことになるのではないかと。


浅見:ははは。すげぇ嬉しくない! ロック・スピリットってダサいですね!


 改めて聞いた話は、ファンにとっては、何をいまさら、というものであろう。さらに私の視点や聞き方はロックに偏りすぎていることもわかっている。でも、一見チャラそうなディスコ・パンクが巻き起こすモッシュピットは、とにかく切実で生々しかった。次のサビで盛り上がりますよという予定調和のあるパンクシーンのそれより何百倍も美しかった。リアルだったからだ。


 クアトロでのワンマンライブは、12分にわたる長尺にリアレンジされた「巨大なパーティー」で幕を閉じている。パーティーと言いながら〈おいでよ おいでよ 誰もいない〉と繰り返される歌詞の絶望感と、長いアウトロ部分でじっと客席を見つめて立ち尽くしていた浅見の姿が忘れられない。夢みたいなエレクトロ・サウンドが巻き起こす熱狂は、結局のところ虚構でしかないのかもしれない。バンドと客が共有する過剰なエネルギーは、嘘でもいいから、というディストピア思想のなれの果てかと思う。ゾッとしたし、ゾクゾクした。こんな時代にこんなバンドがいて、こんなにも熱く激しいライブが行われている。肉体で感じるリアリティと、幻想みたいな多幸感。もはや虚実がぐちゃぐちゃ。それこそがHave a Nice Day!の魅力なのだと思う。(取材・文=石井恵梨子)