1997年に開業したツインリンクもてぎが、今年2017年、20周年の節目を迎えている。それぞれが完全に独立したロードコースとオーバルコースを持つという、世界的にも稀有なレース場として生まれて早20年。その歴史を彩ってきたドライバーやチーム首脳たちに、もてぎにまつわるエピソードや想いを聞く。
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最初に登場してもらうのは、ツインリンクもてぎで3回もトップフォーミュラ戴冠を決めている本山哲。ツインリンクもてぎの開業より早い1996年に国内トップ戦線デビューを果たしてから現在に至るまで、20年以上にわたって日本を代表するドライバーであり続けている本山にとって、ツインリンクもてぎの歴史は自身栄光の歴史ともほぼそのまま重なるところだ。
本人も「もてぎといえば、やっぱりフォーミュラ・ニッポン(現スーパーフォーミュラ)でチャンピオンが決まったレースのことを思い出しますね」と振り返る。
フォーミュラ・ニッポンで通算4度のタイトル獲得を誇る本山、その2~4回目の戴冠決定地がもてぎだった。2001、03、05年と、いずれも最終戦ひとつ前のもてき戦での年間王座を決めるレース。「もちろん、どれも覚えています」。特に05年の4度目の戴冠は勝って決めた王座であり、ファンの印象にも強く残る一戦となっている。
本山はスーパーGT/GT500クラスでは今も現役第一線で活躍中。3度のタイトル獲得歴を有し、ル・マン遠征による欠場レースの関係で僚友エリック・コマスだけが戴冠した1999年を含めて考えればこちらも実質4冠なのだが、「GT(JGTC~スーパーGT)に関しては、もてぎではいい思い出が多くないんです」と、フォーミュラとは対照的な答えが返ってきた。
その理由は、「ニッサン(の歴代マシン)がもてぎはあまり得意としていない面があったので」。もてぎロードコースでは1998~2016年の全20戦(16年は2戦開催)で、日産5勝、トヨタ~レクサス6勝、ホンダ9勝。ニッサンが不得手というよりは、先代のNSXがMRの利点も活かしつつ強かった印象だ。01~07年とNSXが7連覇、98~09年で12戦9勝。日産も08年以降でこそ10戦4勝、本山も11年にブノワ・トレルイエとのコンビで勝っているが、フォーミュラほどの高い満足感は得られていないようである。
ツインリンクもてぎロードコースを走る上で意識する要素は、「やっぱりブレーキングですね。とにかく全部、強く踏まないといけない、そういうイメージがもてぎにはあります」と本山はコース印象を語る。
さらに「安全性の高い素晴らしいコースだと思いますし、好きなコースでもありますが、ミドルスピードのコーナーがもっとあるといいんですけどね。今度、お願いしようと思っていたところです(笑)」とコース改修依頼(?)も付加え、もし改修できたら「関東圏から近くて行きやすいコースですし、より一層、人気が出ると思うんですよね」と本山。自らのドライビングのみならず、ファン目線でのコメントも”さすが”と思わせる意見だ。
「もう20年というのには、ちょっと驚きました」。近代モータースポーツの世界で20年以上もトップの地位を維持している彼こそが驚きの存在でもあるが、ツインリンクもてぎと本山哲の関係はこれから先も長く続いていくことになる。