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安全地帯がソロアーティスト玉置浩二にもたらした深み ターニングポイントの楽曲から考察

2017年06月20日 18:03  リアルサウンド

リアルサウンド

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 日本屈指のボーカリスト。玉置浩二に関しては、個人的にそういう印象を持っている。ただたんに歌がうまいということではない。声質、声量、安定感、表現力、情感とどこを切り取ってもパーフェクトという印象が強い。よく知られているように、世間では彼のことをゴシップ的に扱うことも多いが、それだけ天才肌だということは彼の音楽を聴きかじるだけでもわかるはずだ。


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 しかし、その印象は最初から抱いていたわけではない。実感したのは、ソロになって「メロディー」、「田園」、「MR.LONELY」といったヒットを連発していた1996年以降だ。これらの楽曲は、間違いなく彼のボーカリストとしての魅力を打ち出していた。しかし、この時点で安全地帯としてデビューしてから10数年経っている。では、安全地帯の頃はどうだったのかというと、もっとカッコつけて斜に構えたシンガーという印象のほうが強い。それは多くのリスナーにとっても同様だろう。しかし、ソロでヒットを飛ばした時も大きな違和感はなかった。それが、玉置浩二という存在のすごさであり、そのヒントは安全地帯時代にすでに現れている。


 おそらく多くの人が、最初に玉置浩二の存在を知ったのが、「ワインレッドの心」だろう。1983年11月に発表されたこの曲は、安全地帯としてデビューして2年近く鳴かず飛ばずだった状態から、一気に誰もが知るアーティストに変貌したきっかけとなっただけでなく、憂いのあるセクシーなボーカリストのいるバンドという位置付けを確立した代表曲でもある。まさに、彼のターニングポイントの一曲といって間違いないだろう。  安全地帯は「ワインレッドの心」をヒットさせてから、『真夜中すぎの恋』、『マスカレード/置き手紙』といったシングルをはさみ、ラブソングとして屈指の名曲「恋の予感」を1984年に発表。玉置はさらに色男ぶりをアピールする。また、翌1985年にはソリッドなロックナンバーの「熱視線」でさらにセクシーさを身にまとい、攻めるイメージを印象付けた。この当時はテレビ出演も多かったため、流行りのソフトスーツに身を包み、メイクを施していたのも印象的だ。音楽的にいえば、その後のソロ作品で感じられる大らかなアメリカン・ロック的なものではなく、湿度の高いUKニューウェーブ的なイメージにこだわっており、その徹底した美学でファンを拡大してきた。


 しかし、ここでまたターニングポイントといえる楽曲が誕生する。それが1985年6月に発表した「悲しみにさよなら」だ。それまで安全地帯のシングルヒットはアップテンポもバラードも、いわゆるマイナーコードであり、翳りのあるサウンドやボーカルが魅力だった。しかし、この曲はこれまでになく外に開かれたイメージを持っており、バンドにとって新境地ともいえる楽曲だった。古くからのファンも、おそらく驚いたのではないだろうか。しかし、これまでの他のシングルを圧倒するくらいの大ヒットとなり、「ワインレッドの心」と並ぶ代表曲となったのだ。その後も、バンドとしては王道であるマイナー調の歌謡ロック的なシングルをメインにしながらも、井上陽水とデュエットした「夏の終りのハーモニー」(1986年)から、「I Love Youからはじめよう」(1988年)、「情熱」(1990年)、そして活動休止直前に発表した「ひとりぼっちのエール」(1993年)と、その後の玉置のソロにつながるポジティブで壮大さを表したナンバーを、タイミングをにらみながら発表していった。


 玉置浩二自身がどのあたりで本格的なソロ活動を意識していたのかはわからない(実は、1987年からソロ活動は始めている)。ただ、安全地帯というバンドで培ってきた繊細で影のある独特の世界観のなかでじっと様子を伺いながら、本来持っていた野生児的な側面や大人の男としての包容力を小出しにしてバランスを図っていたのだろう。その中でのトライの結実が「悲しみにさよなら」であり、前述したその後のシングルナンバーなのではないだろうか。そして、1993年以降にバンドのフロントマンから解放され、ソロ・アーティストとしての自由の身になったことで、「田園」や「メロディー」を歌えるスケール感のあるシンガーへと華麗に転身することができたのも、こういった楽曲を安全地帯のイメージにうまく溶け込ませていったからなのだ。


 こうして考えると、安全地帯のボーカリストとしてだけの活動であれば、玉置浩二はただたんに器用な歌い手というイメージで終わっていたかもしれない。かといって、ソロだけのキャリアであれば今のような深みのある表現力を持つアーティストにはなっていなかっただろう。彼は、安全地帯というイメージを大切にするバンドのフロントに立ちながらも、そのパブリックイメージに呑み込まれず、自身の個性を絶妙にバンドの個性へと落とし込み、いずれも両立させてヒットを飛ばすことができた。それこそが、玉置浩二のすごさであり、彼にとって安全地帯というバンドが重要である理由なのだ。(栗本 斉)