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バスタ・ライムスら出演! EXPGニューヨーク校主宰『HOUSE OF EXILE』現場レポート

2017年06月20日 17:03  リアルサウンド

リアルサウンド

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 5月27日、ニューヨークのクラブStage 48にて“HOUSE OF EXILE”と銘打たれたイベントが行われた。 EXILEが所属するLDH社が設立したダンス&ボーカル、アクト・スクール EXPG(EXILE PROFESSIONAL GYM)のニューヨーク校主宰によるもので、今回で通算3度目の開催。同スクールに3年前から留学中の日本人8人によるJr.EXILE from PROJECT TARO、EXILEの世界を含むダンスユニットFANTASTICS、CRAZYBOY(三代目J Soul BrothersのELLY)の日本勢と、ニューヨークや西海岸のイキの良いストリートダンサーによるショーケース、ダンスバトル、さらにバスタ・ライムス、モブ・ディープ、ティナーシェの特別ゲスト3組のパフォーマンスと中身の濃い一夜となった。(メイン写真はCRAZYBOYのパフォーマンス)


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 4時間以上にわたるショーを楽しく見終わった後にあれこれ思い返すと、出演アーティストのバックグラウンドの多彩さに気付いた。ここで言うバックグラウンドとは世代、人種やエスニック、出身地などを指す。


 最初に踊ったキッズ・ダンサーたちを除けば最年少は2002年生まれのキダ・ザ・グレイト、最年長は1961年生まれのポッピン・ピートだ。ダンサーに限らずアーティストの年齢を細かく語るのは興ざめかもしれないが、アートは世に連れ、世はアートに連れ。世代と時代によってダンスそのもののだけでなく、ダンサーを取り巻く事情も大きく変化している。そこがとても興味深い。


■1970年代~ポッピング世代


 先に挙げたポッピン・ピートと、同世代だがやや若いと思われるブライアン・“フットワーク”・グリーン、イジョー・ウィルソンの3人がダンスバトルの審査員を務め、イベント中盤には3人でステージに上がり、軽快な脚さばきを披露した。


 ピートはカリフォルニア出身。1971年に放映開始され、今や伝説となっているテレビのダンス番組『ソウルトレイン』の熱烈なファンだったピートは、兄が結成したストリートダンス・グループ、エレクトリック・ブーガルーズに1978年に加入。以後、現在に至るまで40年ものキャリアを築き、故マイケル・ジャクソンにすら大きな影響を与えている。ブライアンはニューヨークの黒人地区ハーレムの出身。子供の頃に通っていた教会でさまざまなダンスを見ていたと言う。やがてダンサーとなり、1980年代のニューヨークのクラブ全盛期にローズランドやトンネルといった人気クラブで盛んに踊った。ピートやブライアンが踊っていたロボットやポッピングはやがてハウスとなり、90年代以降はマライア・キャリー、グウェン・ステファニ、ファーギーといった女性アーティストの振り付けを多数手掛けている。イジョーはニューヨークのブロンクス出身。ヒップホップ発祥の地だけあり、ヘヴィD、ジャングル・ブラザーズなどヒップホッパーとの仕事を多く手掛けている。


■1990年代~ヒップホップ黄金期


 特別ゲストとして登場したモブ・ディープのメンバー、ハヴォックとプロディジーはニューヨークで1974年に生まれている。後に90年代ヒップホップ黄金期の立役者となったわけだが、この世代を生んだ親たちはモータウンなど1950~60年代のソウル、R&Bを夢中になって聴いていた層であり、当時はどの家庭でも子供たちも聴かされていた。プロディジーにいたっては母親がザ・クリスタルズという、フィル・スペクターがプロデュースを手掛けたグループのメンバーだった。プロディジーの祖父と大叔父はジャズミュージシャンであり、祖父・母・息子がそれぞれの時代に最も人気のあったジャンルのミュージシャンだったことになる。ギャングスタラッパーの誉れも高いプロディジーには、こうした音楽的バックグラウンドがあったのだ。


 バスタ・ライムスも同じくニューヨークだが、ブルックリンのウェストインディアン・コミュニティで生まれている。ジャマイカ、トリニダード、ハイチなどカリブ海諸国からの移民が暮らす地区だ。バスタの両親もジャマイカからの移民であり、バスタが子供の頃に家庭内や町内で聴いた音楽がカリブ海のものであることは間違いない。バスタは中高生あたりの一時期をイギリスでも過ごしている。ジャマイカはかつて英国領だったことからイギリスにもコミュニティがあり、ジャマイカ人一家は本国ジャマイカ、イギリス、アメリカに分かれて暮すことも少なくない。それぞれの地で様々な音楽的マッシュアップが起こる理由だ。


■カリビアン&アフリカン・コネクション


 10代後半でニューヨークに戻るやいなやアメリカン・ラッパーとして本格的に活動を始めたバスタだが、時にはカリビアン・ネットワークを活用する。2013年のシングル「#Twerkit」ではトリニダード生まれ&ニューヨーク育ちのニッキー・ミナージをフィーチャーし、PVの冒頭に登場するバスタの恋人役にもジャマイカ系のシンガー、トシュを起用。ブルックリンのクラブで撮影されたトワーク・ダンスのシーンは、今回のイベントに自身のクルー、バンジー・トワーク・チームを率いて登場したソラヤ・ランディが振り付けを任されている。


 ベテラン・ダンサー&コレオグラファーのソラヤはアリシア・キーズ、マドンナ、ドレイクなど多数のアーティストのビデオに登場し、ナイキやリーボックなど大手企業CMの振り付けも手掛けている。同時にニューヨーク生まれのカリビアンであることから同じくカリブ海系のジェニファー・ロペス、リアーナ、多数のレゲトン・アーティストと共演、振り付けの提供を行っている。まさにカリビアン・コネクションである。


 もう一組の特別ゲストとして登場したR&Bシンガー&ダンサーのティナーシェは1993年生まれのLA育ち。本名はティナーシェ・ジョーゲンソン・カチングウェ。ジョーゲンソンは北欧系の母親、カチングウェはアフリカのジンバブエ出身の父親の姓だ。父親はシェークスピアを演じる俳優であり、カリフォルニアの大学で演劇を教える教授でもあったが、アフリカン・ドラムも演奏する。


 ティナーシェは物ごころがつく前からそんな父親といっしょに童謡やブロードウェイソングを歌い、4歳からバレエ、タップ、ジャズダンスを習っている。最新曲「Flame」などセクシーなR&Bソングを歌うティナーシェだが、父親譲りのアフリカ音楽の素養もあるようだ。その一方、この日のティナーシェのバックダンサーは白人と黒人が2人ずつ。黒人ダンサーがいったん引き、白人ダンサーのみと踊るシーンもあった。コレオグラフィ上の偶然かもしれないが、ティナーシェが白人でもあることを思い起こさせた瞬間だった。


■10代の新世代ダンサー


 若い女性客からもっとも歓声を浴びたのが、ミシガン州出身の20歳と17歳の兄弟ラップ&ダンス・デュオ、エイヨー&テオだ。今やシングル「Rolex」がビルボード・ホット100の30位にランクインし、メインストリームを快進撃中だが、そもそもは2011年に14歳と11歳で始めたYouTubeチャンネルで同世代の人気を掴んだ。「Rolex」を作った動機もローレックスの時計が欲しくても当然買ってもらえず、だったらSNSを使って曲をヒットさせて買おうという、この世代ならではの思考だ。今では彼らの左右両手首に“ローリー(Rolex)”が輝いている。今、二人はYouTube78万人、インスタグラムではエイヨー100万人、テオ190万人のフォロワーを持つ。


 同世代ダンサーとしてエイヨー&テオと共演することが多く、この日も共にステージに立った西海岸の15歳がキダ・ザ・グレイトだ。キダも妹2人を従えてのホームメイドのダンスビデオがYouTubeで人気を博し、昨年は公開オーディションのリアリティ番組『So You Think You Can Dance』で優勝して“新世代のダンサー”と呼ばれている。インスタグラムのフォロワーは100万人。


 こうした10代のダンサーたちを大人はほとんど知らないが、小中高生ならYouTubeにより、ほぼ例外なく知っている。それを目敏くキャッチし、かつ育てようとする第一線のアーティストがいる。エイヨー&テオ、キダ・ザ・グレイトは昨年、揃ってアッシャーの「ノー・リミット」、クリス・ブラウンの「パーティ」のPVに出演している。これにより20代以上の層にも一気に認知されることとなった。(「パーティ」には日本人ダンサーのRIEHATAも出演し、日本語のセリフもある)


■世代も国も超えて


 このようにダンサーの多くは幼い時期に家庭、学校、教会、そしてストリートでダンスを覚える。ブライアン・グリーンの母はハッスルやサルサを踊り、兄はBボーイだった。妹と踊るキダも、ダンスを教わったのは年の離れた兄からだと言う。その兄も幼い頃から地元の友だちと踊っていたはずだ。新世代ダンサーの新しいところは、地域それぞれで生み出された特有のダンスをYouTubeによって瞬く間に全米はおろか全世界に広めてしまうこと。ここが以前の世代との大きな違いだ。


 今回のイベント “HOUSE OF EXILE” に日本人はJr.EXILE from PROJECT TARO、EXILEの世界を含むダンス・ユニットFANTASTICS、CRAZYBOY(三代目J Soul BrothersのELLY)が出演した。ダンスの魅力は人種も国籍も年齢も性別も超えて誰もが一体となれることではあるが、アメリカでは個々のダンサーのバックグラウンドがそのダンサーの基礎を形作っている。日本からの出演者の中にもCRAZYBOY(ELLY)のようにミックス(ハーフ)もいたが、一般的には日米の社会背景は大きく異なる。日本人ダンサーにとってニューヨークを訪れ、アメリカのあらゆる世代、あらゆるスタイル、あらゆる地域出身のダンサーと場を共にし、共演したことは「違い」を「個性」と捉え、さらには「武器」として活かすための大きなインスピレーションになったのではないだろうか。


 あらゆる世代、あらゆるスタイル、東海岸/西海岸、そして日本のダンスが凝縮された”HOUSE OF EXILE”。まさに現在のダンスシーンのショーケースとして、非常に価値ある構成だったと言える。(堂本かおる)