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Theピーズの日本武道館はハイライトの連続だったーー“生きのばし”てきた30年とこれから

2017年06月18日 10:53  リアルサウンド

リアルサウンド

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 下北沢屋根裏にて初めてライブをやった日からぴったり30年の2017年6月9日金曜日に開催された、Theピーズ『30周年日本武道館』は、本当に、掛け値なしに、「ここまでか!」とか言いたくなるほどの、大成功に終わった。あの時あの場にいた人でそう実感しなかったのは、よっぽどひねくれているか、よっぽどこのバンドに対してめずらしいことを期待していた人だけではないか。


 発売と同時にワッと6000枚くらい売れたが、そのあとは動きが鈍くなっていたチケットは、武道館の週に入ったくらいですごい勢いで伸び始め、日付が6月7日から6月8日に変わったあたりですべてのプレイガイドで「×」が出た。


 翌朝、スタッフはキャンセル分をかき集めるなどして再度発売したが、それも6月8日18時には売り切れ。6月9日、主催のヴィンテージロックは、ステージ設営が完了したあとで当日券用座席を大量確保(つまり、ステージを組んでみるまで見えるかどうかわからないので前売りできなかったスペースということ)。メール予約のシステムも整えて当日券を出したが、それも完売。なんと200枚以上売れたという。「ギリギリまでチケット余ってる」「でも寸前になるとダーッと売れる」というのは、Theピーズに限らずベテランライブハウスバンドあるあるだが(フラワーカンパニーズもそうです)、にしても、当日券200枚というのはかなり常軌を逸している。


 平日にもかかわらず、午後イチあたりから武道館の周囲を大人たちが取り囲み始め、物販に長い長い列ができる。武道館の中の売店はもちろん、近辺のすべてのコンビニでアルコール類が完売。大集結した仲間・後輩のミュージシャンたちは「酒がない!」「ピーズの武道館を酒なしで観ろってか!」「どうすればいいんだ!」とパニックに陥り、たまに持ってる奴がいると周囲からすがりつかれ、1本の缶ビールが大勢のバンドマンの間をひと口ずつ減りながら回っていくという「砂漠かここは」みたいな事態になっていたという。


 と、その1缶を提供したフラワーカンパニーズのギタリスト、竹安堅一さんからききました。自分は武道館前に居酒屋一軒経由した上に、水筒に白ワインを入れて持ち込んでいたので、缶ビールを人にあげる余裕があったそうです。目に余る、用意周到さが。


 まあ、酔いどれ曲だらけのバンド、それがTheピーズだからなあ、と納得するが、でもはるさん、5年くらい前に酒やめてるよ? とも、思わなくもない。


 まず結成から現在までの30年をふり返る映像が流れ、SEで「Brazil」(Oswaldo Pintoの曲。ビールのCMとかで使われているあれです)がかかり、3人がなぜかドリフのヒゲダンスで現れ、そのまましばしステージをウロウロ踊り歩いてしてから、配置につく。


 はるの「いぇいいぇいいぇいいぇいいぇい! (客席を見て)ヤバいねえ! じゃあそろそろいこうか。Theピーズ30周年、おめでとうございまーす! ありがとーう! 30周年祭り始まるよー!」という言葉から「ノロマが走ってく」でスタートした、二度のアンコール合わせて全35曲、3時間弱に及んだステージは、本当に、どこを抜き出して書けばいいか困るほどの、ハイライトの連続だった。


 2曲目「とどめをハデにくれ」で、はるは<最低だ 最低だ 最低だ>を<最低だ 最低だ 最高だ>と変えて歌った。この日に限ったことではなく、日比谷野音なんかの大きなライブではよくこう変えるんだけど、武道館だと格別にリアルに響く。


 続く3曲目、<やっとこんないいとこまで辿り着いてしまった はあ お疲れさんだよ>という歌い出しの「鉄道6号」の前には「たまんないねえ、ヤバいよお」と漏らし、次の「焼めし」のイントロのリフをアビさんが弾き始めると「こういうことするの、この曲だけだからねー」と腕を左右に振りながら歌い始め、オーディエンスもそれに従う。


 「いやあ……とてもよい! どうしてどうして、もう、ごめんね、30年かかっちゃったよ、ここ来るの。こんないいとこだったらもっと早目に来ればよかったよ」と、最初のMCではるは言った。


 「これ、夢じゃないよね? こんなに気持ちいいと思わなかったよ、1曲目からさあ。すっげえよ。ここに今さ、五体満足で立てたってことだけで大成功だよ!」と、さらに興奮気味のアビさんがそれに続く。


 「あのー、俺だけ武道館二度目です。松田聖子さんが武道館で106回公演してるそうなので、あと104回がんばります」と、ひとりだけ感激を表さなかったシンちゃんは、最後、二度目のアンコールを終えたはるとアビさんが、いつまでも立ち去り難そうにステージをウロウロしているのを待つように見守っていたりして、なんというか、実に「らしい」佇まいで、それもとてもよかった。


 そのたびにビジョンに大映しになったので、あの場にいた方はご記憶だろうが、アビさんは途中で何度も、客席を見渡しながら子供のように喜び露わな表情を見せた。挙句、20曲目「喰えそーもねー」後のMCでは、「こんな思いしたのってさ、ほんとにないよ。五十何年も生きてるけどさ」なんて言う。そこまでストレートに歓喜を表すのは照れくさいタチであろうはるも、押し寄せてくる感情に抗えず、たびたび笑顔になる。


 「脱線」でアビさん、ダックウォーク。「でいーね」では、2Fスタンド上部に4発仕込まれたミラーボールが回る。「死にたい奴は死ね」の前には、はる、「こんなことやったことないけどやっちゃお」と、客席を東・南・西・アリーナに分けて「死にたい奴は死ね」「死にたい時に死ね」と歌わせ、「なんなんだこれ!」と喜んでから曲に入る。


 「Theピーズといえば、ずっと酒呑みバンドっぽい感じでやってきたんですけど、自分だけ勝手に5年ぐらい酒やめてるんですわ」「次の曲は、酒の歌です。お酒やめたおかげでここまで来てるのか、ずっと酒呑んでたおかげでここまで来てるのか、よくわかんないんですけど、とりあえず、お酒、悪くなかったんだなって。これからは脳みそで自分でお酒作れたらいいんじゃないの?って思って作った曲です」というMCから、はるはアコギ、アビさんはセミアコに持ち替えて「温霧島」、そして「異国の扉」を歌う。


 「3度目のキネマ」の前には「今日は最初で最後の武道館だけど、あの、とっても気持ちいいですよ!」と喜びを伝える。そして「絵描き」の前には、音響のSPC西片明人が用意した、武道館の日本国旗の下に吊るされている特製スピーカー(ステージの左右にスピーカーを置くのではなく、この1本で全方位に音が出るという新兵器)を紹介する。


 23曲目「バカになったのに」の後半では、曲がいきなり「短い夏は終わっただよ」になってまた「バカになったのに」に戻る、という最近よくやるやつも披露。


 「日が暮れても彼女と歩いてた」「サイナラ」「ドロ舟」「真空管」と、ピーズ鉄板中の鉄板曲が並んだ後半は、アビさんの乾杯をはさんで、はるの「みなさん、生きのびてくれてありがとう!それだけだ!」という雄叫びからの「生きのばし」で締められた。


 一度目のアンコールは「ちょっとのんびりしゃべりすぎた。9時が近づいてるみたいだ」とあせりながら、「俺たち3人で初めてレコーディングした大事な曲」(※当時シンイチロウがヘルプでレコーディングで叩いた)という紹介からの「底なし」でスタート。


 最近のライブ定番曲「ゴーラン」、いつの間にかアビさんが歌うのが定番化した「デブ・ジャージ」(シンガロングが起こりました)、「もう一回ミラーボール回してもらおうかな」というはるのリクエストで再び4つのミラーボールが輝いた「君は僕を好きかい」を経て、「脳ミソ」でシメる。


 なお「脳ミソ」、「ハマんのはゴメンだ 脳ミソがジャマだ」を、ここ数年、いやもっと前からかな、「ハマんのはゴメンだ ハメんのはコーマンだ」と変えて歌っていたが、この日は元のとおりだった。武道館だから下ネタは遠慮したのかな、それとも最近いつもこうだったのかな、1月9日にリキッドでやった時はどうだったけ……と、ちょっと考える。


 そして二度目のアンコール、「じゃますんなボケ(何様ランド)」に続き、「じゃあまたどこかでえ!」というはるの絶叫から始まったラストは「グライダー」。2003年リリースの活動再開後の最初のアルバム、『Theピーズ』収録のこの曲を全35曲の最後に持ってきたはるは、歌詞の「10年前も10年先も 同じ真青な空を行くよ」を、「30年前も30年先も」と変えて歌った。


 この曲だけ、客電が点いてホール内が明るくなる。というのはよくある演出だが、それも相まって、大きな、ほんとに手で触れるんじゃないかってくらいの感動が、武道館を包んだ。


 曲が終わり、さっきも書いたように、いつまでもステージを去りがたい風情のふたり、それを待つひとりーーという構図になる。はるがふたりの手を取ったので、客席に向かって腕を挙げるのかと思ったら、そのまま手をつないで輪になってグルグル踊り始めるという、「アニメ『アルプスの少女ハイジ』の主題歌のハイジとペーターがやるやつ」(とツイートしていた人がいて「そうだあれだ!」と思いました)になる、という意表をつく展開。客席、大笑い&大拍手。


 エンディングSEの「好きなコはできた」が響く中、3人はようやくステージから去ったが、オーディエンスは曲がフルコーラス終わるまで残り、終了と同時に大きな拍手を贈った。


 この日本武道館は、Theピーズにとってふたつの意味で「これで最後」「これで一区切り」であることを、開催発表時からはるは公言していた。僕は二度ほどインタビューする機会があったのだが、こんなことを言っていた。


「でっかい音出せんのは、50すぎの身体にムチ打てんのは、これがいいチャンスだなあと思って。こっから先は、音量を下げていかなきゃ、歌う時の音程もとれなくなってきてるから。でも武道館までは、でかい音でやらしてもらおうかな、なんでもここを区切りにできるチャンスかな、と思ってさ」


「耳とかの問題で、演奏がきっちりやれなくなるから。あと、叩く方も、筋肉の問題とかさ。そんな力まかせな、青春まかせじゃないような音の出し方とかを、改めて3人で……今までは、でかい音を出してたまたまひとつになった時に『気持ちいいね』だったのが、武道館終わってからは、ひとりひとり演奏して『あ、そうきたか、じゃあこっちは……』って、アンサンブルみたいなことを始めていかないと、この先ライブやれねえなと、俺、思うんだよね」


 つまり、この日本武道館を機に、ライブのやり方を変える、ということだ。


 そして、もうひとつの「これで最後」に関して。スタッフと佐藤シンイチロウに仕組まれ、武道館を押さえたあとで提案された時、それまでやるつもりはなかったのに考えを変えた理由を、はるはこう説明してくれた。


 「断らない方が、応援する方も、応援してきた方も、みんなせいせいできるチャンスだな、っていうのはすごく思う」


 「結婚式なのか、生前葬なのかわかんないけど、とりあえず今まで関わった人みんな集まって、30年どうもありがとうって言えるのは、すごくいいことだなと思って」


 「ここで会えるのが最後になるっていう人、いっぱいいると思うんだよ、日本中から集まったとしたら。お客さんも、友達とかも」


 「日が暮れても彼女と歩いてた」の前に、はるはこんなMCをした。


 「だって、会えなかったかもしれなかったからね。やっと会えたね」


 「ほんとは自分らがいっぱい回らなきゃいけなかったんだけど、こんなに1カ所に集まってくれて。今日、冠婚葬祭全部ここで行われてるような感じで、便利ですよ」


 また、二度目のアンコールに応えて出てきた時は、こう言った。


 「そろそろお別れの時間だ。みなさんできるだけ、元気でね。もう充分楽しいことがあったので、僕ももう大丈夫です。あとはみなさんのお葬式に出席するだけです、ははっ。なかなか死ねない、こんなにいっぱいいるんだもんね。ああ、うれしー」


 みんな知っていることだが、2002年に復活して以降のTheピーズは、「活動に制限あり」で動いている。アビさんは本業の(はる曰く)「セメント屋さん」の仕事があり、シンちゃんはthe pillowsがある(はるがメンバー紹介の時「佐藤シンイチロウ先輩 from the pillows」と必ず「the pillows」を付けるのは、そこを忘れまいという意識があるからだと思う)。


 だから、ライブもそれ以外も含め、活動は基本的に週末だけ。全国津々浦々を回るような本数のツアーはできない。長くやれても1ツアー10本以内くらい。


 さらに、2005年のアルバム『赤羽39』を最後にメジャーを離れたあとは、定期的にアルバムを出して全国流通させる、というやりかたではなくなる。1年に1枚くらい、3曲か4曲入ったシングルを作ってライブ会場と公式サイトの通販で売る、アルバムは基本的に作らない。『赤羽39』以降のアルバムサイズの作品は、それらのシングルなどを2012年にまとめた『アルキネマ(2007→)』1枚のみ(19曲も入っていますが)。


 というツアーのやりかたにも、リリースのしかたにも、Theピーズを続けていくにはこれしかない、これでいいんだ、と納得しているが、それでも全国各地を回れないことや、わかりやすく情報が伝わる形でコンスタントにリリースしていけないことの、ファンに対する申し訳ない思いを、ずっと抱えていたんだなあーーということが、この武道館で、とてもわかった気がしたのだった。


 かつてTheピーズ大好きだったけど離れてしまったファンのことも、責める気持ちにはなれない。そりゃ離れるよなあ、というか。でもお互い気持ちは残ったまま、「ふぬけた」の歌詞で言うと「好きなまま終わるよ恋」みたいな状態だよなあ、というか。


 そういう人たちと、最後にちゃんと会っておきたい。Theピーズ、ずっとやって来たよ、元気に生きのばして来たよ、きみと離れてからもいっぱい曲を作って来たんだよ、ということを伝えたい。お互い大人だし、いろいろ忙しいし、住んでるところも遠かったりするから会えないね、これが最後かもしれないけど元気でね、という思いを届けたい。


 唯一のそういう機会が、Theピーズにとっての日本武道館だった。だから決行した、ということだ。


 そして、現に、日本全国の元ファンたちにも気持ちが残っていた。


 Theピーズのライブに行かなくなったし、新しい音源も追わなくなった。というか、Theピーズ以前に、年齢や生活環境の変化で、音楽を聴いたりライブに行ったりということ自体をしなくなった、という人も多いだろう。


 でも、Theピーズから受けた衝撃を憶えていたし、Theピーズの音楽と共に生きた時期が自分に確かにあったことを忘れていなかった。そんな元ファンたちが、平日なのに仕事やなんかの都合をつけて、日本武道館に駆けつけて超満員にする程度には、日本各地に存在した、ということだ。


 バンドブームのあと、なので90年代の半ば頃。いろんなバンドのCDがレコファンで安値で叩き売られている中、TheピーズのCDは全然店頭になかったことを思い出した。売らないのだ。生涯持っていたいのだ、たとえ自分が現役のロック・ファンでなくなってしまっても。そういうバンドなのだ。


 ライブで定番になっている休止前の代表曲たちはもちろん、「どっかにいこー」のような、そんなに頻繁にはやらない曲も選ばれていた。メジャー離脱以降に書いて、ずっとライブでやり続けてきた「3度目のキネマ」「絵描き」「真空管」あたりの曲もいっぱいやったし、出たばかりの最新シングルの2曲、「ブラボー」「異国の扉」は両方プレイした。


 「普段ライブハウスでやっていることをそのままやる」というポリシーのもと、ビジョンもセットもなしで武道館に臨んだフラワーカンパニーズやTHE COLLECTORSとは違い、ステージの作りはシンプルだが、ビジョンを入れたり、最新スピーカーを導入したりと、「より観やすく」「より聴きやすく」「より届きやすく」ということを目指していた。


 そのような選曲と演出も、「最後にちゃんと伝えたい」という意志からだったのだと思う。


 Theピーズの3人と、これを仕組んだスタッフと、「ピーズを武道館に立たせろ」とそのスタッフのケツを叩きまくった仲間のミュージシャンや関係者たちに、「おかげでこんな、生涯忘れられない思いをさせてもらいました」とお礼を言いたい、というのは、まずある。


 が、それ以上に、今のTheピーズになってからもライブハウスに足を運び続けてきた、音源を聴き続けてきた、熱心なコアファンのみなさんにお礼を言いたい、と、強く思った。


Theピーズ日本武道館は、なんのために行われたのか、そしてなにゆえに大成功したのかを考えるの画像14


 Theピーズを支え続けてきたのはあなたたちです、あなたたちがピーズを生きのばさせてくれたおかげで、怠惰なファンである我々も、武道館であんな気持ちを味わうことができました、と。


 って、じゃあおまえは違うのかよ、って話だが、はい、正直、胸を張って「コアファンだ」と言えるほどではない、という自覚はあります。


 リキッドルームや新宿BLAZEには行くけど、新宿紅布とかまでは行っていなかったり、1人ピーズ(はるの弾き語りでライブをやる)までは追っかけていなかったりするので。


 6月16日現在、Theピーズの次のアクションは発表されていない。ライブの予定も1人ピーズだけ。だが、これは、新しいTheピーズのライブの音の出し方を作るための準備期間が必要だからであって、このまま動かなくなるようなことは、まずないだろう。


 「武道館の打ち上げでは、さすがに酒呑みます?」ときいたら、「呑まないと思うよ。俺、もうちょっとやりたいもん、音楽」と言っていたし、はる。で、実際、呑んでなかったし。


 次のTheピーズも楽しみに待ちたい。そして、その日が来たら、武道館にお別れを言いに来た人たちが、なんか何人も戻って来ちゃった、みたいなことになったらとても素敵だなあ、と思う。


 で、それ、あり得るんじゃないか、とも思う。メジャー離脱以降の曲たちを武道館で聴いているお客さんたちの表情を見ていて、そう感じた。


■セットリスト


1 ノロマが走ってく
2 とどめをハデにくれ
3 鉄道6号
4 焼めし
5 ブラボー
6 映画(ゴム焼)
7 脱線
8 でいーね
9 いちゃつく2人
10 死にたい奴は死ね
11 クズんなってGO
12 実験4号
13 トロピカル
14 オナニー禁止令
15 温霧島
16 異国の扉
17 3度目のキネマ
18 絵描き
19 ハニー
20 喰えそうもねー
21 どっかにいこー
22 線香花火大会
23 バカになったのに
24 日が暮れても彼女と歩いてた
25 サイナラ
26 ドロ舟
27 真空管
28 生きのばし
<Encore1>
29 底なし
30 ゴーラン
31 デブ・ジャージ
32 君は僕を好きかい
33 脳ミソ
<Encore2>
34じゃますんなボケ(何様ランド)
35 グライダー
<END SE>
好きなコはできた


注:「死にたい奴は死ね」は、JASRAC登録の曲名は「シニタイヤツハシネ – born to die」ですが、これは当時レコード会社からの「言葉がきつすぎるからせめてカタカナにしてくれ」という指定でこうなったものであり、その後のセットリスト等で本人たちは「死にたい奴は死ね」と記し続けているので、そちらに合わせました。


(文=兵庫慎司)