6月11日は、世界各地でスボーツイベントが相次いだ。フランスのパリではテニスの四大大会のひとつである全仏オープンの男子シングルス決勝が行われ、元世界ナンバーワンのラファエル・ナダルが3年ぶりに四大大会で優勝。
またアメリカ・テネシー州ナッシュビルでは北米プロアイスホッケーのNHLスタンリー・カップ決勝が行われ、ピッツバーグ・ペンギンズがナッシュビル・ プレデターズを2対0で下し、通算成績を4勝2敗として2連覇を達成。
一夜明けた6月12日の朝刊のスポーツ面はそれらの記事で埋め尽くされていた。それらの新聞に混じって、まったく別のスポーツを一面で扱った新聞がある。それはカナダ・モントリオールの地元紙「モントリオール・ガゼッタ」だ。
取り上げたスポーツは地元モントリオールで開催されたF1カナダGP。ただし、彼らが一面でメインに取り上げたのは優勝したハミルトンではなく、ストロールだった。それはストロールが見事な走りでF1初入賞を母国グランプリで達成したからだ。同紙は「この9位は、優勝にも匹敵する2ポイントだ」と評していた。
事実、この日のストロールの走りは素晴らしかった。17番手からスタートし、1周目のコントロールラインを15番手で通過。さらに1回目のピットストップを行なってコースに復帰した26周目にはなんと最下位までポジションを落としてしまった。この時点でストロールの入賞を想像した者はだれもいなかっただろう。
だが、ストロールはあきらめなかった。25周目にウルトラソフトを見切って、スーパーソフトに交換すると、前ほ走るマシンを1台ずつコース上でオーバーテイクする力強い走りを披露するのである。
27周目にウェーレイン、31周目にエリクソン、38周目にパーマー、41周目にグロージャン、44周目にバンドーン、そして46周目にはアロンソをオーバーテイクして、ついに入賞圏内に突入する。その走りをパディ・ロウ(チーフテクニカルオフィサー)は「あまりにも多くのオーバーテイクをやってのけたので、すべてを覚えてはいないが、とにかくすごい走りだった」と絶賛した。
地元紙「モントリオール・ガゼッタ」が一面でストロールの9位入賞を取り上げたのは、この日のストロールのパフォーマンスが理由だったわけではない。この入賞がカナダ人ドライバーとして、ジャック・ビルヌーブ以来となるポイント獲得だったからだ。そのビルヌーブも地元での入賞は96年の一度だけ。それほど、母国グランプリで入賞するというのは難しい。それをストロールはデビューイヤーでやり遂げた。
カナダ人ドライバーの母国グランプリでの入賞は21年ぶり。しかも、今年カナダは建国から150周年。そのメモリアルイヤーにストロールが成し遂げた快挙を地元紙「モントリオール・ガゼッタ」は祝福していた。