2017年06月11日 10:03 弁護士ドットコム
日本の最高学府であり、誰もが一目おくのが「東京大学卒」という肩書きだ。しかし、「東京大学卒業」であることが、重い十字架になってしまう女性たちもいる。前回に続き、東大卒の女性たちが感じる生きづらさの理由は何か、追ってみた。(ルポライター・樋田敦子)
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東大卒業後、現在はIT系企業で勤務する鈴木寛子さん(25歳)=仮名=は、祖父と父も東大卒だ。自身は「東大ではない別の大学に行きたい」という希望を持っていたが、父に「東大を受けないのは逃げだ」と説得されて受験し、東京の国立大学附属高校から東京大学経済学部に入学した。1クラスは40人。そのうちの5人が女子だったという。
「東大女子は、地方出身者よりも、桜蔭など東京出身の子が多く、本当にいろいろな才能を持っていて、なんでもこなしていける人ばかりでした。もちろん陰で努力しているとは思うけれど、挫折を経験していない、完璧な子が多かったです」
寛子さんが抱いた印象は、データでも証明される。東大が実施する「学生生活実態調査」(2015年度、学部、大学院生対象)によれば、実家が東京にある人は、全体の29.8%、特に女子は、東京都出身が40.8%と非常に高い。関東圏まで広げると、実に60.8%となり、圧倒的に関東出身者が多いのだ。また、学部生を対象にした2014年度の同調査では、950万円以上の年収の割合が54.8%になっている。
東大卒は、就職も決まりやすいのだろうか。
「東大生を対象とした説明会は、他大学生よりも早く開催されて早く内定が出るという噂は事実です。しかし、当たり前ですが、東大だからと言ってみんながみんな希望の会社に入れるわけではない。クラスの女子は、日銀などの金融や商社、官庁に入りましたが」
鈴木さんは、就職活動では「どうしても入りたい」とNHKを目指したが、早々に落ちてしまった。最終的に入社したのは、社員が80人ほどの出版社だった。
配属されたのは、企業に新しいマーケティングを提案する部署だった。午前8時からの会議。帰宅時間は遅くはなかったが、残業代はつかない。年収も、大学の同期に比べるとかなり低かったという。それに加え、パワハラがあった。ヒラの社員たちは、上司や社長に取り入りながらイエスマンで仕事をこなした。
「上の人間にすり寄ることも大事なスキルの一つだと思うのですが、私はあいにくそんな器用さを持ち合わせていませんでした。尊敬のできる人が一人もいなかったこともあり、持論を通して譲らなかった。そのため冷遇され、同期の女子社員からは『社長は学歴コンプレックスがあるから、東大卒のあなたに当たるんだよ』と言われました」
営業成績はトップクラスだったが、パワハラに耐えられず、1年10か月で退社。転職先はメディアの営業と決めていた。大手新聞社も候補に入れていたが、「階層構造がある大企業に私は向かない」と考え、比較的、人数の少ない現在の会社を選んだ。前の会社に比べて、給与は倍近くにアップ。残業も月に何時間までと決められていて働きやすいという。
今後、鈴木さんは海外に留学したいという希望がある。結婚もしたい。現在、知人の紹介で知り合った早稲田大学卒の男性と交際中だ。実母からは、「女性の学歴が上だと、トラブルが多い」と言われているが、今のところ恋人は学歴を気にしていない様子で、交際は順調だ。
「東大卒の肩書ですか? 入学試験の点数が足りて入学できただけのこと。それ以下でもそれ以上でもないと思います。プライドが高い人も多いけれど、それだけ努力ができる子という認識でいます」
TOEIC 890点のスコアを誇る山中史恵さん(37歳)=仮名=は、メーカー勤務、家庭教師やカラオケ店でのアルバイト、テレビ番組制作会社などを経て、今春、転職サイトからヘッドハンティングされて女性管理職としてある大企業に迎えられた。
高校は東京の私立女子高の御三家。成績は中の上くらいだったが、私立男子校の御三家に通う兄が東大入学を果たしたことで、ダメもとで受験したところ合格。文学部に進んだ。
「文学部はさして即効性のない学部なので、就活のときも東大の肩書はあまり通用しませんでした。クラスの大多数はマスコミ志望でしたが、私はメーカーを選びました。技術者や工場を抱えて仕事も多岐にわたっているのが強み。社会貢献度も高い。英語力を生かして海外勤務がしたかったのです」
同期入社は850人。毎晩終電で帰るような激務だったが、女性の管理職も多数いて、何より任されたプロジェクトが楽しく、苦にならなかったという。そして3年目に念願の海外勤務が回ってきた。インドのある都市のソフトウエア会社で、現地の技術者のマネージメントをする仕事だった。
「やってみるかい? ぜひ行かせてくださいという感じで、インドで6か月間勤務。欧米スタイルの仕事の仕方など学ぶことが多くて、何より交渉力が付いたのです。ここでの経験は、私にとってその後の飛躍につながると確信していました」
仕事は順風満帆だったが、恋愛で躓いた。同棲していた恋人から、言葉の暴力にあった。彼に「東大だから何なんだ」といったひがみを聞いたこともある。度重なる心労に、ついには病院に通うほどになった。診断はうつ病。同じ時期に祖母の介護や母親の病気治療が重なり、それを理由に会社を辞めた。
同棲を解消、家に戻った。当初は入院も余儀なくされたが、ほどなく通院治療に。それでも薬は手放せず、どうしても「死にたい」という思いが消えなかった。いつ死んでもいいと、準備はできていたという。
そんな山中さんを救ってくれたのが祖母の介護だった。
「私の存在はいるだけで迷惑なんじゃないかと自問しました。それが私を追い詰め、死のうと何度も思いましたが、親や祖母のために死なずにおこうと、とどまりました。やがて祖母の介護を続けるうちに、こんな私でも役に立つことはあるんだ、と思えるようになってきて。祖母が自信を取り戻してくれたのです」
3年が経って徐々に回復してきた山中さんは、もう一度働くために、アルバイトを始めた。いきなり企業で働く自信はなかったために、週に何回かの家庭教師と、カラオケ店でのバイト。「東大出てカラオケ屋でバイト?」と珍しがられた。「前からやりたかったからーー」と明るく応じ、社会生活にも適応できるようになった。
32歳のとき、通っていた翻訳学校のつてでテレビ番組制作会社に入社。しかしそこは長時間労働、賃金の安さに加え、いろいろな作業がざっくりしていてアバウト。「論理的な思考で仕事ができないから」と退社した。
インドでの経験と英語力を生かして、34歳で電気メーカーに入社。さまざまなアフリカの国を回るセールスの仕事で、東大卒という肩書がものをいい、入社が決まる。上司からは「仕事ができる」と期待され続け、それに応えようと仕事をする山中さん。ところが3人分の仕事を押し付けられ、人員の補充はない。それでも仕事をこなし、中途採用ながら管理職の一歩手前までになった。
「私の中には会社の中で偉くなりたい、出世したいという気持ちはなく、尊敬できる有能な上司の右腕でいたい、というのが望みでした。しかし、この会社では、それがかなえられないことが分かり辞めることにしたのです」
とにかくアグレッシブに前に進んできた半生だ。しかし、次第に「こんな生活をしていては、誰とも結婚できなくなる」という不安がよぎるようになったという。
「結婚したいという願望もありますし、仕事だけではないワークライフ・バランスの必要性を痛烈に感じていました。転職サイトに登録すると、今の勤務先から「うちの会社で女性管理職として働きませんか』とお誘いがあったのです。転職はスムーズに進み、現在は東京の下町で営業をしています。今の働き方が私にとってのベスト。会社から命じられて長時間労働をするような働き方は、もうしないと決めているんです」
山中さんにとって東大卒の肩書は、他人が認めてくれる名刺代わりのようなもの。仕事をしたいと思っている人には有利に働くと考えている。また同じ東大の女性たちが頑張っていれば刺激になり、「私も前に進もう」という気にさせてくれる、と山中さんは言う。
「東大卒ということも含めて、いろいろな経験をさせてもらっている人間は、社会に恩返しをしなければいけない。あとについてくる女性たちのためにしっかりやっていこうと思っています」
自分の人生の価値は自分で決める。輝かしい肩書きを持っていても、自分が満足し、人に恥じないことをする。3人の女性たちから、そんな強さを感じた。
【著者プロフィール】
樋田敦子(ひだ・あつこ)
ルポライター。東京生まれ。明治大学法学部卒業後、新聞記者を経て独立。フリーランスとして女性や子どもたちの問題をテーマに取材、執筆を続けてきた。著書に「女性と子どもの貧困」(大和書房)、「僕らの大きな夢の絵本」(竹書房)など多数。
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