2017年06月04日 09:13 弁護士ドットコム
「沙織ママ、そのワンピース、ちょっとダサくない?」美咲さん(仮名・23歳)は、岡田沙織さん(44歳)の着ていたワンピースに笑いながらダメだしをする。「ええっ? そうかなぁ、ドットが小さくてかわいいと思うけど、だめ?」
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そんな2人はとても楽しそうで、お互いが信頼し合っていることが分る。けれども、2人に血のつながりはない。美咲さんの実母は中2の時に亡くなっているからだ。しかし、2人は法的には立派な親子関係である。
美咲さんは21歳の時、岡田さんと養子縁組をして養子となったからだ。NPO法人若者メンタルサポート協会理事長の岡田さんは、無償で24時間いつでも若者たちの相談に乗っているカウンセラーだ。
2人はいかにして出会い、そしてなぜ「親子」になったのか。虐待からの救済という視点からその軌跡を追った。(ノンフィクション・ライター 菅野久美子)
岡田さんのもとには、毎日約200通のラインのメッセージが届く。それらはすべて、美咲さんのように親から虐待を受けている子どもや、リストカットや非行に苦しんでいる子どもからのSOSだ。岡田さん自身もアスペルガー症候群で、いじめやネグレクトなどの元当事者でもある。
美咲さんが岡田さんに出会ったのは、18歳の夏だった。
幼少期から、母親による凄まじい虐待を受けた美咲さんは、14歳で母をなくす。その死後、不良仲間と非行に走るようになり、16歳の時には暴力事件を起こし、主犯格として少年院に入れられた。少年院を出るとほぼ同時に、大好きだった祖母はがんで亡くなってしまう。
親類縁者で頼れる人がいなかったため、自立支援施設(正式名称は自立準備ホーム。出所後行き場のない人たちを一時的に受け入れる施設)に入所した。しかし、ほぼ放任状態だったため、美咲さんはそこでも、売春や違法薬物の使用などの問題行動を繰り返すことになる。そして、たまたまその施設で、カウンセラーとして勤務していたのが岡田さんだった。
ひょんな会話の流れから、美咲さんは、少年院にいたことや薬物が今も止められないこと、母親から虐待を受けてきたことなどを岡田さんに喋るようになった。
「頑張ってきたんだね。今まで生きてくれて、ありがとう」
岡田さんは、美咲さんの話をただ黙って聞き、そして最後にこのような言葉をかけた。それを聞いた瞬間、美咲さんは、なぜだか涙が止まらなかった。そして、「まだ私、涙があったんだ……」と驚いたという。そう、もう自分には涙なんて枯れてなくなってしまったと思っていたのだ。
岡田さんは、養子にすることを決意した当時を振り返ってこう話す。
「この子は親がいなくてかわいそうとか、救わなきゃ、という感覚はまったくなかったんです。ただ、かわいいなと思った。ずっと笑顔でいて欲しいと。そのためにはこの子の傍で見守ってあげたいって。幸せになってくれたらいいなと思ったんです。何度か食事をするうちに、養女にしたいなと思うようになったんです」
その夜、岡田さんは、「娘になることを考えてくれる?」と美咲さんにメールを送った。すると、美咲さんは、「美咲も、喜んで。実は、ママが本当にママになる夢を見たんだ。だから起きてからそんなメールがきてびっくりした」と返事をした。
そこから、2人はまるで本当の親子のように一緒に暮らし始めた。岡田さんには息子が2人いるが、美咲さんとすぐに打ち解け、昔からの兄弟同然に接している。
美咲さんは、岡田さんと生活するようになって、気付けば違法薬物に頼らなくなっていた。当時を振り返って美咲さんはこう話す。
「頭ごなしに否定されていたら、今も薬物を続けていたと思う。でも沙織ママは、『美咲が薬物をやったら私が悲しいよ』と言ってくれたんです。
その言葉を聞いたときに、『悲しい』って感情の中身って何なのかなって、一生懸命理解しようとした。そうか、愛があるから、悲しんでくれるんだ。この人、お母さんなんだ、ということにハッと気付いたんです。だからこの人を傷付けちゃいけないんだって思えた。沙織ママにお母さんの愛を感じて、今までの私が浄化されたような気がしたんです」
それまでは、睡眠薬や安定剤がないと寝付けなかったが、岡田さんの隣で寝ていると安心できるからか、何も飲まなくても眠れるようになった。常に手元にお金がないと不安で仕方なく売春を繰り返していたが、岡田さんと出会ってからはそんな不安もいつしか消えていった。
そのため、美咲さんの仕事は、岡田さんと出会ったときに働いていた風俗(当時年齢を詐称していた)から、キャバクラ嬢になり、その後紆余曲折あって、現在の勤め先の居酒屋に落ち着くことになった。
「居酒屋のバイトは楽しいですね。風俗はたくさんやったけど、何も得られなかったなと思う。何年もずっと働いてきたのに、今の居酒屋で働いている1カ月半の方が充実してるんです。沙織ママに会ってから、人が好きになれるようになったのが大きいと思いますね。
こんなに人ってあったかいんだと気付きました。人は、自分から関わろうとしたらちゃんと応えてくれるんだな、と。少しずつではあるんですが、どうやったら人に伝わるかな、といったことを考えるようになりましたね」
虐待の後遺症で、美咲さんは未だに暗い場所が苦手だし、たまに自分が嫌いになって「死にたくなる」と岡田さんに告白することもある。それでも、岡田さんは美咲さんを信じ、「何があっても絶対に見捨てない」と断言する。2人は、絆という言葉では言い表せない、とても強い感情でつながっている。
養子縁組は、日本ではいまだ馴染みが薄い。しかし、美咲さんと岡田さんの奇跡のような関係性に触れ、私たちは「家族」と呼ばれているものについて、もう一度真摯に向き合ってみる必要があると思う。
美咲さんは、今の暮らしについてこう語る。
「今の私には、ママがいて、お父さんがいて、兄弟がいる。血はつながってないけど間違いなく自分の家族なんです。みんなでテーブルを囲んでごはんを食べる幸せ、それはなんとも言えない至福のときなんです」
私にそう言うと、美咲さんは目を細めた。虐待の話をしていた時とは、打って変わった笑顔をみせる。この笑顔を岡田さんはずっと見ていたいと思ったのだろう。
世の中には出口がどこにあるかも分からないまま、命を落としてしまったり、自分自身を傷付ける境遇に陥ってしまったりするケースがごまんとある。虐待は、子どもの心に深い傷を作って、その後の人生を破壊してしまう。
今も、この瞬間、親からの虐待にSOSを発している子どもたちがいる。そして、美咲さんのように、その後遺症に苦しみ、社会生活に支障をきたしたり、人間関係を上手に築けなかったりする人も大勢いる。
家族から受けた傷は、家族にしか癒せないという言い方は、月並みな言い方かもしれない。しかし、それはある意味で真実だ。母親の虐待からサバイブした美咲さんは、岡田さんという新しい母親に出会い、救済の手掛かりを掴むことができた。
最後に美咲さんが、岡田さんに宛てたラインのメッセージを引用したい。
〈誰でも消し去りたい過去がある。消したくても消えない深いトラウマがある。だけどその中で皆生きてる。それはそう簡単に消えるものではないけれど、今を笑顔で生きることができたら、過去なんて跳ねのけられる力になる。そう私は信じたい〉
美咲さんの人生は、今、始まったばかりだ。
※前編「死んだ母に『ばかやろー、片耳返せ!』と叫んだ少女、壮絶な虐待からの生還(上)」はこちら https://www.bengo4.com/internet/n_6178/
【著者プロフィール】
菅野久美子(かんの・くみこ)
ノンフィクション・ライター。最新刊は、『孤独死大国 予備軍1000万人時代のリアル』(双葉社)。著書に『大島てるが案内人 事故物件めぐりをしてきました』(彩図社)などがある。孤独死や特殊清掃の現場にスポットを当てた記事を『日刊SPA!』や『週刊実話ザ・タブー』などで執筆している。
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