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『友だちのパパが好き』山内ケンジ監督が語る、インディーズの方法論 「何かを崩壊させたい」

2017年05月31日 12:13  リアルサウンド

リアルサウンド

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 ソフトバンク「白戸家」シリーズなど数々のヒットCMを手がけ、演劇ユニット“城山羊の会”の活動でも知られる、山内ケンジ監督の長編映画第2作『友だちのパパが好き』のDVDが6月7日にリリースされる。2015年に劇場公開された本作は、親友である妙子の父親を好きになってしまった大学生のマヤ(安藤輪子)、長年の愛人と一緒になるため離婚が決まっていながら、娘と同い年の女子大生に好意を寄せられる恭介(吹越満)、親友と父親の間で揺れる妙子(岸井ゆきの)らの関係を描いたラブストーリーだ。リアルサウンド映画部では、DVDリリースを記念して山内監督にインタビューを行い、演劇と映画との違いやインディーズ映画ならではの方法論について語ってもらった。


参考:モルモット吉田の『At the terrace テラスにて』評:多くの観客に観てほしい極上の喜劇


■「コメディを書いている意識はほとんどない」


ーー本作が劇場公開されたのは2015年12月なので、約1年半を経て待望のソフト化となりますね。


山内ケンジ(以下、山内):劇場公開後もこれまで何度か映画館で上映はしていたのですが、「DVD出ないんですか?」という話はお客さんから結構言っていただいていました。それこそ昨年11月に公開された3作目の『At the terrace テラスにて』の舞台挨拶の時とかにも聞かれまして。観たかったけど観れなかった人もたくさんいたので、僕としてもやっとという感じですね。


ーー興行的には監督にとってあまり満足した結果ではなかったいう話も聞きました。


山内:そうなんですよ。僕自身はこれまで撮った3作の中で『友だちのパパが好き』が1番好きで、最もよくできた作品だと思っていて。1作目の『ミツコ感覚』がものすごい変わったマニアックな映画だったので、いや、自分では普通にいいドラマだと思ってはいるんですが、よく人にそう言われるので言いましたが、で、『友だちのパパが好き』はもっと間口を広げてみたつもりなんです。ところが思ったほどではなかった。なので、3作目の『At the terrace テラスにて』は逆に間口を狭めました。どうせ入らないのであればまた戻ろうと(笑)。


ーー確かに『友だちのパパが好き』は、“純愛はヘンタイだ”というコピーもピンクの色調のポスターもキャッチーな印象でしたね。


山内:「騙された」みたいなことも結構言われました。実際はドロドロしたシリアスな内容なのに、タイトルも含めてポップでキラキラ系なイメージにしたので、逆にシネフィル系の人たちから敬遠されたというのもなきにしもあらずというか。「この宣伝は失敗だったんじゃないか」と言う人までいました。でもそれはいろんな人に受け入れられるんじゃないかという希望の表れでもありましたから。


ーー作品はシリアスさとコミカルさのバランスが絶妙だと感じました。


山内:どの作品も基本はすごくシリアスなんです。ただ、あまりにもシリアスなので、会話の中にコミカルな部分が出てきて面白おかしく感じるということなんですよね。だから自分としてはコメディを書いている意識はほとんどない。とにかく何かを崩壊させたいというか。


ーー今回の作品の場合は“家庭”ですよね。


山内:そうそう。なので映画も演劇も普通にハッピーエンドのものを書いたことがない。演劇は特にそうなのですが、現代を描かないといけないと思っているんです。どれだけ現代を反映して長編のストーリーとして描けるか。(ベルトルト・)ブレヒトとかいうと大げさかもだけど、でも、もともと演劇は社会をそのまま反映させるという伝統があるわけですよね? 最近だと、震災や原発、あるいは高齢化社会や介護、もっと広げて世界情勢やテロリズムというような問題をダイレクトにテーマとして描いていくことが多い。とはいえ、僕はそのようなテーマをダイレクトに描くのはあまり好きではなくて。


ーーそれはなぜ?


山内:それが自分の中で、“ネタ”みたいになってしまうのがあまりよくないなと思っていて。具体的な事象はちょっと時間が経つだけで、情報そのものや捉え方も変わってしまうものだと思うんです。それを描くのはドキュメンタリーの世界なんじゃないかなっていう気がしていて。だから自分は、家庭のような半径何百メートルぐらいの範囲の話など、より身近で入り込みやすいものを通して、今の日本を描いていきたいと思っているわけです。そうすると、どう考えてもハートウォームだったり希望みたいな前向きな話に持っていくことはできなくなるんですよね。


■「根底にあるのは“インディーズ”」


ーー確かにこれまでの監督作を振り返るとそのような一貫性が見出せます。1作目の『ミツコ感覚』から2作目の『友だちのパパが好き』までは4年という比較的長い期間が空きましたが、『友だちのパパが好き』はどのような経緯で制作がスタートしたのですか?


山内:“城山羊の会”の演劇活動でご一緒した役者の方々と映画を撮りたいなと思って書いたのが『ミツコ感覚』だったんです。『友だちのパパが好き』も同じ経緯で、吹越さんのために書きたいなと思ったのが最初ですね。2010年に『微笑の壁』という演劇に出てもらった時から、吹越さんとは何か一緒にやりたいねという話はしていて。


ーー吹越さん以外のキャストも演劇で一緒にやった方々がほとんどですよね。


山内:そうですね。基本的に人ありきで脚本を書いていくので、とにかくその俳優さんをよく知らないとダメなんですよ。それから、その人自身をモチーフに登場人物のキャラクターを作り上げながら脚本を書いていくんです。それは映画も演劇もほぼ同じです。


ーー演出的な部分では映画と演劇で違いはありますか?


山内:演出も基本的には全然変わらないです。映画も演劇もリハーサルをして、ほとんどアドリブなくやっていく感じです。僕の演劇はいわゆる“舞台っぽい芝居”ではなく、ナチュラルな芝居なので、もともとやっていた演劇が映画っぽいところもあったかもしれませんね。映画について言うと、映画にはもうひとつの演出分野があって、それはカット割りや編集などの時間や空間を操作する作業ですよね。僕はこれに関してはまだ……いや、CMでさんざんやってきてはいるんですけど、まだ決まっていないのです。


ーーまだ探っている状況ということでしょうか。


山内:これまで撮った3本の映画も、それぞれスタイルが全然違うんです。まず1本目の『ミツコ感覚』は相当カットを割っている。切り返しのカットをたくさん使っていて、カット数もすごく多い。2本目の『友だちのパパが好き』は基本的に1シーン1カット。3本目の『At the terrace テラスにて』はもともと自分がやっていた演劇が原作なので、映画として見せるためにマルチで複数のカメラでカットも細かく割っていきました。


ーー『友だちのパパが好き』ではなぜ1シーン1カットという手法をとったのですか?


山内:反動というか、どうしてもやってみたかったんです。やっぱり根底にあるのは“インディーズ”ということなんですよね。インディーズ映画だからこそできることってたくさんあって、1シーン1カットもその要素のひとつ。そういうことができるっていうのがインディーズ映画の面白さだと思うんです。ただ、何でもかんでも1シーン1カットにしてしまえばいいということではなく、1シーン1カットにする必要がある脚本でなければいけない。なので、ハネケ、クリスチャン・ムンジウ、ダルデンヌ兄弟、ホン・サンスとか観たりして、ふうんそう書いてるんだ、などと学習し、最初から1シーン1カットを念頭に置いて脚本を書き上げていきました。


ーー何人かの監督の名前が挙がりましたが、山内監督はもともとどのような映画的バックグラウンドを持っているのでしょう?


山内:影響を受けた監督はたくさんいて、ルイス・ブニュエル、イングマール・ベルイマン、ウディ・アレン、ジョン・カサヴェテスとかですね。ブニュエルはちょっと違いますが、やっぱり基本的に演劇や舞台と非常に近い人たちの作品が好きです。


■「もともと映画より演劇をやりたかった」


ーーCMディレクター時代からもともと映画を撮りたいという気持ちはあったんですか?


山内:いや、そうでもないですね。僕は1958年生まれなのですが、僕らが20代の頃は映画を撮ること自体がものすごいハードルが高かったので、そもそもそういう道はないものだと思っていましたから。映画会社も少ない上に、日活ロマンポルノも下火になっていて、大蔵映画とかピンク映画の道に行く人が多少いるぐらいだったと思います。ちょうどスタートしたぐらいのPFF(ぴあフィルムフェスティバル)に関しても、当時は学生の頃から映画研究会とかに入っていて、何が何でも映画の道に行くんだという人が応募する感じでしたから。機材も簡単には手に入らないし、誰でも簡単に映画が撮れるような今の時代とは全然違ったんです。僕自身は当時から映画が好きでよく観てはいましたが、先ほど挙げたようなヨーロッパ映画とかアメリカ映画ばかりで日本映画はほとんど観ていなかったので余計に。ただ、たまたま就職したのがCMプロダクションだったので、結果的に映画づくりに近づいていたという感じですね。撮影から編集まで、方法自体はCMも映画も同じですから。


ーーキャリアを重ねていく中で映画を撮れる環境ができたと。


山内:CMで随分ヒット作を作ったので「映画をやらないか?」みたいな。同時期にCMから映画にいった中島哲也さんや吉田大八さんのように、原作ものの大作みたいな話をいただいたこともあって。でも全然うまくいかなくて、いろいろお断りしてしまった、っていうか、やはりもともと映画より演劇をやりたかったんですよね。で、演劇を何本もやると、俳優の心理や演出のことがずいぶん分かるようになりました。そうしてるうちに、まあ、長年撮影自体はやってきたので、小さくてもいいからオリジナルの映画を撮りたいなという気持ちがふつふつと出てきた感じですね。


ーーやっぱりオリジナル作品であることは重要なんですね。


山内 そうですね。原作が短めの小説だったり、自分にとって本当に魅力的な企画とかであればやることもあるような気がしますが、原作となる長編小説や漫画を2時間の映画としてシナリオ化してくださいみたいなのはできないでしょうね。自分自身そういうことにあまり興味がないし、そもそも自分ができるとも思いませんから。今後も自分が書いたオリジナルでやっていくと思います。(取材・文=宮川翔)