F1ジャーナリストの今宮純氏が様々な要素を【対決】させていく新企画。第4回はインディ500初挑戦のアロンソを分析する。ルーキーながらインディ500で予選5番手に入ったアロンソ、隣には日本人ドライバーの佐藤琢磨が4番手で入り込み並んでスタートすることに。5/28(日)にはいよいよ『世界3大レース』のひとつであるインディ500の決勝レースが始まる。
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壁との決闘だった。初めて4周アテンプト(予選アタック)に向かったルーキーのフェルナンド・アロンソは、ポールシッターのスコット・ディクソンに0.5793秒差。アロンソは予選5位、33台グリッドの2列目センターポジションを得た。
左隣り(イン側)4位には佐藤琢磨、最前列の右前3位には昨年勝者アレクサンダー・ロッシ、アンドレッティのチームメイト3人がそろった。01年ミナルディからF1デビューのアロンソ、02年ジョーダンからの佐藤、F1ほぼ同期のふたりが第101回インディ500を並んでスタートする。
5月3日、アロンソは異例なアレンジによって“専有走行”から取り組んでいった。88周計測ラップの73周目に最速222.548MPHを記録。ピットストップ練習を含めた110周でルーキー・テストのプログラムをこなした。
その後はF1スペインGP、日曜夜プライベート・ジェットでインディアナポリスへ飛んだ。時差は6時間、翌15日12時から“新人&復帰ドライバー対象のセッション”が開始、不眠不休スケジュールだ。
74年まで、モナコGPとインディ500(5月最終月曜日)は開催日程がずれていた。かけもち出場例としては68年のデニス・ハルム(前年F1王者)、大西洋をまたぎモナコで5位、インディで4位に。
なかでも有名なのは65年にモナコを欠場してインディ500に勝ったジム・クラーク(2度のF1王者)だが、クラークは、63年予選5位/決勝2位、64年にはPP/リタイアと、実は3度目の挑戦であった。偶然にもアロンソは63年初参戦のクラークと同じ予選5位(個人的にその“5位”をターゲットと想定していたらそうなった)。
アロンソは15日から19日までフリー走行を精力的に最多452周、3日の専有走行を含めるとレース距離のおよそ2倍半をこなしたことになる。以前はこのインディ500の1戦に、ほぼ1か月もの事前スケジュールが組まれ、66年のクラークはずっとここに滞在していた。
15日からインディに専念したアロンソ、フリー走行のベストは231.827MPH、38秒8220(5日目)で予選を上回るものだ。全体ベスト1位は予選でクラッシュしたセバスチャン・ブルデー、2位:エド・ジョーンズ、3位:ライアン・ハンターレイ、4位:佐藤琢磨。着実に上位グループにつけ、グループラン(トラフィック)もチームメイトたちとこなした。
アテンプトという予選4周連続アタックで、アロンソは38秒9420 → 38秒8870 → 38秒8811 → 38秒9322。合計タイムは2分35秒6423、平均速度231.300MPHで終えた。
直前にホンダ・エンジン交換を余儀なくされ、2周目にターボ・ブースト異常による症状が出たが冷静にタイムを刻んでいったところに、とっさの対応力を感じた。
最後のフリー走行・金曜ではリヤ・ウイング左右にある“フラップ”を外しているのが視認できた。おそらく予選に備えダウンフォースを削ったのだろう。4位タイムだがリヤが若干不安定、土曜予選初日から左フラップを装着する方向に変えていた。
特有の風が舞うコース、4つのコーナー路面温度がすべて違う、温度や湿度による“エアロ・バランス変動”もF1以上にシビアなのがインディ500。ルーキーらしく彼は謙虚にすべてを学んでいった。
フリー走行から予選になるとターボ・ブースト圧が“10KPA”上げられ、30馬力(推定)パワーアップした仕様で競う。いまのF1に置き換えるなら、Q3になるとメルセデスが“フルパワー・モード”にすることに近い(かもしれない)。
ホンダもシボレーもこれは同じ条件だが今年の流れからは、ホンダ勢が予選上位を占めたのに対しシボレー勢はレース・モードだと対等に近く、単独走行(トーイング無し)のペースは良好。予選後の22日フリー走行にニュー・エンジンを投入したシボレー系チームもある。
昨年ポールポジションのジェームズ・ヒンチクリフ(ホンダ)は230.760MPH、それをディクソンが232.164MPHで更新。5位のアロンソも超えた。21年ぶりのスピードアップが著しい今年、F1王者がルーキーとして挑戦してきたことがインディのドライバーたちに刺激(ショック)をもたらしたのは確かだ。
――第100回大会では新人ロッシがアンドレッティ・チームとともに、予選11位から“8回ストップ戦略”を遂行。メンバーからアシストされ、燃費ぎりぎりでファイナルラップを4.4975秒差で勝ちとった。
僕はメインスタンドにいたが周りの観客は、「ロッシって誰? そうか、マノーF1から来たルーキーなのか(!)」と大騒ぎ。第100回記念大会でシボレーを破り日本のホンダが1-2、F1から来た無名ルーキーがアメリカン・ドリームを叶えたのだ。
真のレーサーならは『世界3大レース』のひとつには挑むだけの価値がある――大観衆40万人の中で思いを新たにした。
きっと彼も2列目グリッドからスタートするとき、今まで見たことがない光景に武者震いするのではないか。栄光への500マイル、最後まで気を付けてアロンソ……。