2017年05月20日 10:33 弁護士ドットコム
絵馬に書かれた願い事。夢や希望に溢れたものをイメージしそうですが、なかにはドロドロとしたものも存在します。人と人の縁を切ることを願う「縁切榎」について、ライターの平塚太陽さんによる寄稿レポートと、松本常広弁護士による名誉毀損などについての法律解説をお届けします。
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生きていれば誰しも人間関係の問題に直面する。かく言う私も人間関係の軋轢に耐え兼ね、一時は夜も眠れず、憂鬱と吐き気に苛まれて何も手付かずでいた。今はある程度精神面が安定してきたこともあって、ここで心機一転と、知人に勧められた「縁切榎」へ足を運んでみることにした。どうやら都内有数の縁切りスポットとして名を馳せているらしい。
最寄りの板橋本町駅(都営三田線)を降り、長閑な商店街を歩くこと5分。この辺りだろうと周囲を見回すが「縁切榎」の影はない。どうやら行き過ぎたらしい。注意しながら一つ交差点を戻ると、果たしてそこに「縁切榎」を見つけた。商店街の只中、交差点の片隅に密かに立っている。ふと顔を上げれば、交差点の名前も「縁切榎前」とあった。
「縁切榎」は、小さな社の中に立つ榎の木だ。境内には社殿と絵馬掛が目立つ。他には石碑と腰掛けがあった。絵馬は近くの商店で買うよう張り紙がされている。しかし小心者の私は、いざここまで来て、些かの躊躇いを覚え始めた。そうして数百を超える膨大な数の絵馬に埋め尽くされた絵馬掛を、踏ん切りがつかぬままに呆然と眺めていると、こちらに表を向けて掛かる一つの絵馬が目についた。
「どうかこの悪縁を絶って下さい。この精神的圧迫から救って下さい」こんな言葉が相手の住所氏名と並記されていた。違和感を抱いた私は、他の表向きの絵馬にも目を通す。やはり幾つかの絵馬は氏名を明示して縁切りを願っている。願いを叶える為に特定の誰かを明示したいのは分かるが、しかし実名や住所まで記して良いのだろうか。境内に訪れるのは神だけではないはずだ。
「二人の縁が一日も早く切れますように。あの人と私の縁が深く強く結ばれますように」といった略奪愛の願いや、夫の不倫を止めさせるよう願ったものなど、縁切りとはいえ過激な内容の絵馬も多かった。そうした絵馬を見るうちに、目の前の無数の絵馬、表を向けていない絵馬の数々が、私の不幸な想像力を煽り立て始め、やがては願を立てる気力も失くしてしまった。
斜陽に浮かぶ長閑な商店街の片隅、密かに佇む「縁切榎」の境内は、行き場のない現代人の苛烈な鬱積を抱え込んでいたのだ。心機一転やり直しに来たはずが、気づけば沈鬱な面持ちで帰途に着いていた。畢竟、再び憂鬱を引きずり始めることになったが、境内で抱いた疑問は引きずるまい。このような絵馬は、如何なる法的な問題を生じうるのか。
松本弁護士は「実名や住所を記したうえで(相手を特定できる状態で)、不倫関係を暴露したとなると、刑事責任と民事責任のそれぞれが生じる可能性があります」と指摘する。
「刑法230条1項の名誉毀損罪(3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金)が問題となります。名誉毀損とは、不特定または多数の人が認識し得る状態で、具体的な事実を告げて、相手の社会的評価を低下させるおそれを生じさせる行為です」
内容が真実でなくても、名誉毀損罪にあたるのだろうか。
「ここでいう『事実』はその真否を問いません。名誉毀損罪には、言論の自由との関係で免責規定が置かれているのですが(刑法230条の2)、今回のようなケースで免責されることはないでしょう。
そうすると、絵馬という誰でも見ることができる媒体で、不倫関係という相手の社会的評価を低下させるおそれのある事実を暴露しているわけですから、名誉毀損罪が成立し得るということになります」
民事責任はどうだろうか。
「名誉毀損やプライバシーの侵害として不法行為(民法709条)に該当する可能性があり、絵馬を書いた人は損害賠償責任を負うことになります。名誉毀損については刑事責任とほぼ同様の議論が当てはまります。
一方、プライバシーの侵害といえるためには、暴露された情報が、私生活上の事実または私生活上の事実らしく受け取られる可能性がある事実で、まだそれが他人に知れ渡っておらず、一般人の感覚からすれば公開されたくないようなものであることが必要です。
公然と不倫をしていたような場合を除き、絵馬で不倫関係を暴露することはプライバシー侵害に該当し得るでしょう。賠償額は、様々な事情を考慮して決められるので一概にはいえませんが、絵馬というあまり伝播力・影響力のない媒体によるものであることに鑑みると、数万円から数十万円程度になるのではないでしょうか」
絵馬に「苦しみながら死んで行け」などの呪いの言葉が書かれていた場合はどうだろうか。
「呪いが犯罪(殺人未遂罪など)になるかは、実は『不能犯』というほとんどの刑法の教科書に出てくる論点です。呪いによって人を殺すことは不可能(結果が発生する具体的危険性がない)と考えられており、呪う行為自体に犯罪は成立しません。
ただ、絵馬の例ではありませんが、釘を刺した藁人形を送りつけるような行為だと、危害を加える意思を告知したと解釈され、脅迫罪が成立する場合があります」
(弁護士ドットコムニュース)
【取材協力弁護士】
松本 常広(まつもと・ときひろ)弁護士
弁護士東京弁護士会所属。武蔵小山法律事務所代表弁護士。品川・目黒区を中心に地域密着型の弁護士として活動。地域貢献の一環として地元の消防団にも所属している。
事務所名:武蔵小山法律事務所
事務所URL:http://musakolaw.com/