5月18日の産業構造審議会総会で配布された、「不安な個人、立ちすくむ国家~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~」というタイトルの資料が、ネットで話題を呼んでいる。
パワーポイント65枚にも及ぶ大作で、経産省の事務次官と若手職員30人の有志「次官・若手プロジェクト」メンバーが作成した。
政府は「多様な生き方をしようとする個人の選択を歪めているのでは」と問題提起
資料では、日本社会の変化や職員が感じる課題がまとめられている。日本はかつて、新卒で正社員として入社した場所で定年まで勤めることや、結婚して子供を産み育てる生き方が標準とされてきた。しかし現代は、非正規で働く人や結婚しない人、子供を産まない人も増えるなど、ライフスタイルは多様化している。
にもかかわらず、旧来の生き方モデルを前提にした制度と、それらを当然とみなす価値観が絡み合い、政府の政策は変わる気配は無い。こうした閉塞感を明らかにした上で、
「既に人々の価値観は変化しつつあるにもかかわらず、過去の仕組みに引きずられた 既得権や固定観念が改革を阻んでいる。『シルバー民主主義』を背景に大胆な改革は困難と思い込み、誰もが本質的な課題から逃げているのではないか」
「多様な生き方をしようとする個人の選択を歪めているのではないか」
と、問題を投げかけている。
特に個人の選択を歪めている事象として、次の5つを挙げる。
・居場所のない定年後
・望んだものと違う人生の終末
・母子家庭の貧困
・非正規雇用・教育格差と貧困の連鎖
・活躍の場がない若者
働き続けたくても、年金制度が足かせになって思うように働けないケースや、延命治療をめぐる医療の実態、高齢者世帯に比べ、所得の再分配比率が低い母子家庭の貧困問題など、日本社会の抱える矛盾や問題を、データを使って論理的に説明している。
ネットでは資料を読んだ人から「熱量がすごい」「なんとかしないと感が伝わる」など、その力の入れ様に感嘆の声が上がっている。一般市民が抱える将来へ不安感や危機感を国家公務員と共有できていることに、驚きや喜びを感じている人が多いようだ。
社会学や文化人類学は一から勉強 業務と並行して膨大な時間を投入
プロジェクトメンバーの一人で、当日のプレゼンを担当した、経産省産業政策局産業資金課の須賀千鶴さん(36)がキャリコネニュースの取材に応じた。
プロジェクトは昨年8月に、若手職員が中長期的な政策を検討する場として発足。対象となった幹部候補者のうち、参加を希望した30人で構成される。そこから半年間、3チームに分かれて課題を検討した。発表2か月前の今年3月からは、各チームの研究成果を持ち寄り、1つの成果物に仕上げていったという。
「経済や法律の知識を持つメンバーは多い反面、社会学や歴史学、文化人類学などに詳しい人間は少なく、社会を捉えるためにはこの分野を勉強し直す必要がありました。一人30冊程度文献を購入して回し読みをするなど、勉強にはかなり力を費やしました」
と、検討の様子を振り返る。週1回1~2時間、チームで議論を重ねた。さらに、事務次官室で全員参加の議論も行い、東大教授との勉強会も2か月に一度開催した。かけた時間は膨大だ。須賀さん自身も「プロジェクトに割いたリソースはどのくらいだったか検証しようとしたんですが、あまりに多すぎてまだ算出できていません」と笑う。
「資料の公表はスタート。バズって終わりにしたくない」
経産省の代表電話にも感想や激励が寄せられるなど反響は大きい。須賀さんは「目立たない場所にひっそり掲載されているので、このままスルーされる可能性もあったのに、注目が集まって嬉しいです。かなりの熱量をかけて取り組んだので一同喜んでいます」と語る。
一方で、「バズって終わりにしたくない」のもメンバーの本音だ。
「今回の資料は小石のようなもの。これをきっかけに、批判でもいいから、居酒屋やテレビの討論番組で議論が波紋のように広がっていったら」
と、話題にのぼったことはスタートであり、ゴールではない。
「資料の課題は、誰しもなんとなく要所要所で思っていたことです。でも、言ったら非難されるのでは、とか、そんなことを考えている自分はマイノリティーなのではと、表に出すのを躊躇う人も多かったはずです。今回、役所の公的な資料として掲載したことで、そういった人たちに『議論していいんだ』と思って貰えたのではないかと思います。そして最終的には、社会的な合意の元で『シルバー民主主義』を民主的に乗り越えたいです」