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死体一つで1時間26分! “出オチ”では終わらない『ジェーン・ドウの解剖』の凄さ

2017年05月19日 06:03  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)2016 Autopsy Distribution, LLC. All Rights Reserved

 凄惨な殺人事件の現場で見つかった、傷一つない美しき「名無しの死体」=「ジェーン・ドウ」。彼女はどうして死んだのか? いったい事件現場で何が起きたのか? その謎を解き明かすべく、ジェーン・ドウは遺体安置所での検死に回される。しかし、事件を担当することになった検視官の父子は、解剖が進むに連れて更なる謎に直面する……。


参考:美しすぎる“死体”の謎とは? 『ジェーン・ドウの解剖』本編冒頭映像公開


 この記事でご紹介する『ジェーン・ドウの解剖』の導入をザッと書き出しますと、このような形になります。映画はこの後、ひたすら死体解剖で進んでいきます。……冷静に考えてみてください。死体一つで1時間26分も持たせようなんて、なかなか正気の沙汰ではありません。死体解剖映画と言えば「なんじゃそりゃ?」となるので、掴みとしては十分ですが、何しろ相手は死体なワケでして。


 たとえ腹を裂こうが、頭をパカンと開けようが、終始一貫してノー・リアクション。しかもお話は密室劇。いわゆる“出オチ”になるか、結局は死体そっちのけの話になるのでは? そう危惧する人も多いでしょう。しかし、これが終わってみると……私はただ一言「丁寧」という言葉が浮かびました。そして間違いなく、これは死体が主役の映画であると断言できます。この感覚は、監督のアンドレ・ウーヴレダルが手掛けた『トロール・ハンター』(2010年)と全く一緒です。


 『トロール・ハンター』とは、また出オチ感のある映画が来たなと思われたかもしれませんが、そんなことはありません。この映画は文字通りトロールを狩るハンターを描くファウンド・フッテージもの、いわゆるフェイク・ドキュメンタリーです。この映画でアンドレ監督が見せたのが、トロールという非現実的にも程があるモチーフを「もしかして本当にいるかも?」という領域まで落とし込んでいく優れた演出手腕です。低予算ながら、異様に作り込まれた美術(ただのプラスチック・シート1枚を特別なモノに見せてしまうアイディアの巧みさもあります)。


 そして見せるべき映像(この場合はトロール)を一切出し惜しみしない思い切りの良さ。モンスターが登場するファウンド・フッテージものは大量にありますが、「目撃者が撮った」という設定に甘んじ、肝心のモンスターを殆ど映さないものは多くあります(それで面白い場合もありますが)。しかし、この『トロール・ハンター』は映すべき時にはデーンと映すので、「ちゃんとトロールが出てきた」と強く印象付けることに成功しているのです。その一方で、クライマックスに向かって話が停滞しそうになると、テンポ優先で不要なところはドンドン削ってしまう。足すべき時に足し、引くべき時に引く。当たり前ですがなかなか難しいことです。『トロール・ハンター』の看板に偽りなし……驚くべき傑作でした。


 『ジェーン・ドウの解剖』でも、そういった正攻法で攻める姿勢は健在です。本作は端的に言うなら「トロールで一本!」ならぬ「死体で一本!」の映画。しかし、アンドレ監督はこの難題にも丁寧に応えています。まず巨大な倉庫を借りてスタジオに大改造(!)。カメラの位置を自在にコントロールできる環境を用意し、死体という動かない主役を様々な角度から捉え、飽きさせません。もちろん内臓もバッチリ作り込んでいますが、あくまでジェーン・ドウの謎を解くパズル1ピースとして機能させるため、観客が「思わず目を背ける」ことがないよう、時に軽快な音楽を流しながらテンポよく撮っています。結果、映画の中心には最初から最後まで死体がありました。もちろん検視官の父子のドラマも見ごたえがあるのですが、あくまで主役は死体であったと思えるはずでしょう。


 面白い設定を考えついても、それをきちんと首尾一貫して描き切るのは難しいことです。しかし本作は「死体で一本!」という突飛なアイディアを正攻法で描き切ってしまった。潔さと巧みさが輝く、まさに秀作と言うべき一本でしょう。(加藤よしき)