70歳となる2017年、ふたたびサルト・サーキットでレースを戦うことになった寺田陽次郎 1974年の初出場以来、ル・マン24時間耐久レースに日本人最多となる29回出場を果たした寺田陽次郎が、今季ふたたびサルト・サーキットを走ることになった。ル・マン24時間のサポートとして昨年からスタートした『Road to LeMans』に出場するためだ。
1947年生まれの寺田は、1965年のレースデビュー以降、マツダオート東京のドライバーとして国内外で活躍。ル・マンでも1974年に初出場を果たした後、マツダをはじめ多くのマシンで参戦した。
マツダスピード退職後は、1997年にオートエクゼを創設し、マツダ車専用自動車部品の開発・販売に意欲的に取り組んでいる一方、2003年からル・マン24時間を主催するACOフランス西部自動車クラブ理事に就任し、日本および極東地域におけるモータースポーツ文化の架け橋役として活動している。
そんな寺田だが、70歳になる今年、ふたたびサルト・サーキットを走ることになった。ただ、寺田が走るのはル・マン24時間そのものではなく、24時間レースのサポートして行われる『Road to LeMans』だ。このレースはLMP3車両とGT3車両を使って6月17日の決勝スタート前に行われる1時間レースとなる。
今回寺田が乗り込むのは、DKRエンジニアリングが走らせるアデスLMP3。かつて組んだ経験もあるフランス人ドライバーのシルバン・ブーレイとともに、30台が参戦するLMP3で競うことになる。
「私は今年3月に古希を迎えましたが、ル・マンを走りたい意欲は留まるところを知らず、また、速く走るレースカーへの憧れや操りたい情熱を抑えきれず、今回のエントリーとなりました」と寺田。
「レース歴52年のなか、これまで29回ル・マン24時間に出場し、4回のクラス優勝をしていますが、子どものころの夢はいまだに変わらず私の心を占領しています。そしてル・マンとは、生涯をかけて追い求めるに値するレースなのです。走る歓びを通じて自らを高めたいと思いますし、今後もこの湧きいずる情熱を可能なかぎり持ち続けていきたいと思っています」
「今年もル・マンには東日本震災の被災地から中高生9名を招待し、異文化体験を通じて自立支援を育成する『Support Our Kids』プログラムを実施します。私がレースに参戦する姿から彼らが何かをつかんでくれれば幸いです。また、今回のレース参戦にあたり、ご支援をいただきました株式会社ウォックス(高濃度酸素リキッドWOX販売会社)様に心より御礼を申し上げます」