トップへ

『金妻』『失楽園』『昼顔』……不倫ドラマの系譜から見る『あなそれ』の異端ぶり

2017年05月18日 12:13  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)TBS

 「主人公がクズすぎる」「全く共感できない」と稀に見る大バッシングを受けながらも、一方で予想のつかない展開が視聴者を釘付けにしているドラマ『あなたのことはそれほど』(TBS系火曜22:00~)。いくえみ綾が『FEEL YOUNG』誌上で不定期連載している同名コミックを原作にした本作は、中学時代の同級生との不倫に溺れる主人公と、互いの配偶者をめぐる四角関係を描いたラブストーリーだ。


参考:東出昌大、お仕置きタイムに「待ってました」の声 『あなそれ』三者三様の“お天道様”


 ……と、ここまで書いて不安になる。これ、本当にラブストーリーなのか? 確かに“ラブ”要素はある。波留が演じる主人公の美津は、10年来の片思いの相手・有島(鈴木伸之)と再会し、結ばれるところから物語は始まった。また、美津の夫・涼太(東出昌大)も、ある日立ち寄った眼科で美津を見初め、猛アタックの末、晴れて夫婦になっている。一方、有島は妻・麗華(仲里依紗)との間に子供をもうけたばかり。向かった方向こそ違うが、それぞれの間に愛があったのは間違いない。しかし、本作は話数が進むにつれ、愛だの恋はもはや置き去り状態。人間の心の内に潜むどすぐろい感情を浮き彫りにしながら、お互いを傷つけ合うバトトルロワイヤルの様相を呈してきた。リアルといえばリアル、しかし「不倫ドラマ」としては異端。『あなそれ』は一体、どこに向かおうとしているのか。


 古今東西、星の数ほど制作されてきた「不倫ドラマ」。現在も毎クール必ず1本は放送される、いわば人気ジャンルのひとつだ。時代を象徴するような作品もいくつか思い浮かぶ。例えば80年代に人気を博し、“金妻”の流行語も生み出した『金曜日の妻たちへ』は、「不倫」という言葉自体を世に広めた先駆的作品であった。その後、90年代には『失楽園』が登場。原作本、映画、ドラマと多岐にわたるメディアミックスも軒並み大ヒットし、タイトルが「不倫」の代名詞にもなった。ちなみに石田純一が「不倫は文化」発言をしたのもこのころ。近年では『セカンドバージン』や『昼顔』が記憶に新しい。


 これらの作品を見るにつけ、「不倫ドラマ」がテーマとするのは平凡な日常からの脱却、そして結婚しても“男女”であろうとする人間の業だ。“禁断の愛”や“運命”という刺激的な言葉が多用されるのもそれゆえ。毎日の中に運命を感じる出来事はそうそう起こらないし、配偶者以外との関係は不貞行為とみなされ、離婚事由になるほど重い。現実とはかけ離れた世界への妄想。言ってみれば「不倫」は大人のためのファンタジーだ。女子中高生が少女漫画のイケメンとの恋に一喜一憂するのと、構造的には同じである。


 しかし、『あなそれ』が描くのは、そんな憧れの対象としての「不倫」とはどこかズレている。まず、美津の罪悪感のなさ。一般的な「不倫ドラマ」のヒロインは、不倫をしている事実を後ろめたく思いながら、それでも恋心を止められず苦悩するのが定説で、そこに視聴者は共感するものだが、美津の場合は、初恋の有島と結ばれた嬉しさから暴走。挙句、夫にバレても密会をやめようとはしない。一方、有島の美津への感情にも謎が多く、妻や子がいてもどうしても惹かれあってしまう、というような切迫感は皆無。友人に会うレベルの気軽さで関係を続けている。ふたりは、これまで「不倫ドラマ」が描いてきたカップルとは根本的に違う。この関係にはファンタジーが存在しない。むしろ描こうとしているのは、「不倫」をきっかけに暴かれる人間の本性ともいうべきものだ。一見して幸せそうな夫婦の真実。誰からも“いい人”と慕われる人間の心の底に渦巻く闇。周囲の人々の好奇の目。「不倫」というセンセーショナルな出来事に対したとき、それぞれの立場で人がどう動くのかを覗き見ているような感覚に近い。『あなそれ』はもはや美津と有島の「不倫」の成就を追った物語ではないのだ。


 第5話では、美津との再会により、麗華も夫の浮気を疑い始める。一方、すべてを知った涼太は有島夫妻のもとに凸! その行動に恐怖を感じた有島は、美津に「終わりにしよう」と告げる。いよいよ4人がそれぞれの存在を認識し、泥沼にはまる準備ができたような回だった。涼太の登場シーンの演出がいちいちスティーブン・キングのホラー映画のようで面喰らうが、エスカレートしていく狂気は存分に伝わって来る。「お天道様は見ている」というセリフが象徴するように、今後、天は彼らにどのような裁きを下すのか。「不倫」を描かない「不倫ドラマ」に寄せられる期待は大きい。(渡部あきこ)