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なぜインディ500は世界三大レースのひとつに数えられるのか?

2017年05月17日 20:12  AUTOSPORT web

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2016年に第100回大会を迎えたインディ500
世界三大レースに数えられるのは、F1モナコGP、ル・マン24時間耐久レース、そしてインディアナポリス500マイルレースだ。フェルナンド・アロンソの参戦により例年以上に注目が集まる今年のインディ500。第101回大会を迎える歴史に迫る。

■インディ500は世界最長の歴史のレース?

 答えはYESだ。1911年に初開催、2回の世界大戦中は開催はせず、2016年に第100回大会を迎えた。ちなみにル・マン24時間耐久レースは1923年にスタートし、今年が85回目となる。

■なぜインディアナ州インディアナポリスで開催されるのか?

 それは、アメリカ自動車産業の首都ミシガン州デトロイトの南西300マイルほどに位置。さらにスピードウェイが作られた当時はインディアナ州にも自動車メーカーが数多く存在し、テストコース的な意味合いとエンターテインメントを提供する場として巨大施設インディアナポリス・モータースピードウェイ(IMS)が作られ、インディ500を開催するようになった。

 1周2.5マイル=約4kmのオーバルコース。長いストレート2本と短いストレート2本を4つのバンクのついた90度コーナーで繋いだシンプルなレイアウト。オーバルコースの祖だが、形は角を丸めた長方形。自動車技術の向上のために高いスピードが出せるコースは作られた。

 路面は初年度は舗装されていなかったが、危険と判断されて300万個以上のレンガでコース全面が舗装された。そのため今でもIMSは”ブリックヤード”とニックネームで呼ばれ、スタート/フィニッシュ・ラインには今も9列のレンガの敷かれている。


■最初のレースから500マイルレースだった?

 この答えはNO。初年度は100、200マイルなどのレースを幾つか開催。2年後に500マイルの長距離での一大イベント開催をIMSは決意。耐久性や信頼性を試されるレースは、出場する自動車メーカーにも歓迎された。

■世界最大のスポーツイベント?

 YESといえるだろう。1日に集める観客数は最大だ。スピードウェイから公式発表はないが、少なく見積もっても22万人以上は確実。40万人と言われた時期もあったが、ちょっと大袈裟かもしれない。最大時で30万人ぐらいだろうか。


 決勝翌日にはヴィクトリーセレブレーションが行われ、33人それぞれの賞金を発表するのもインディ500の伝統だ。額の大きさに自信アリということなのだろう。

 昨年のウイナー、アレクサンダー・ロッシは254万8743ドル。2009年に自身の3勝目を挙げたエリオ・カストロネベスは300万ドル越えの賞金を手にした。今の為替レートだとロッシが約2億9000万円以上、カストロネベスは3億4000万円以上だ。


 インディ500は伝統的に5月を丸々1カ月使って行われ、5月最終月曜日の戦没者追悼記念日前日に決勝レースを開催してきた。

 参戦経費抑制を目的に今は日程が短くされているが、それでもプラクティスは予選前に5日間あり、予選は土曜と日曜の2日間行われる。

 ここ数年は予選だけターボのブースト圧が上げられ、ハイパワーになりスピードアップするので、予選を終えた翌月曜日にはノーマルブーストに戻したマシンで練習走行が行われるようになっている。

 さらに、カーブデーと呼ばれる金曜日には最後の走行があり、決勝日にウォーム・アップランはなく、いきなりレースのスタートとなる。

 ルーキーはルーキー・オリエンテーション・プログラム(ROP)への参加が義務付けられる。オーバルコースはなめてかかると危険であり、ほかのドライバーたちに迷惑をかけないためだ。

 1991年、F1ワールドチャンピオンを3度獲得したネルソン・ピケは、プラクティスで大クラッシュした。ROPではスピードを徐々に上げて行き、連続ラップを行う。そこでのマシンのコントロール能力をチェックされる。合格したら他のドライバーたちとの一緒に走るプラクティスへの参加を許される。

 その時、ルーキーのマシンはリヤからそれとわかるよう黄色いラインが装着され、それは初のレースを終えるまで貼っておかなければならない。後方から見えるカーナンバーも黄色。1993年のナイジェル・マンセルも、2012年のジャン・アレジもルーキーストライプを纏って戦い、今年参戦しているフェルナンド・アロンソも同じだ。


 日本人ドライバーは1991年のヒロ松下が最初で、それ以降は松田秀士、服部茂章、中野信治、高木虎之介、ロジャー安川、松浦孝亮、武藤英紀、佐藤琢磨がチャレンジしてきた。

 2003年の高木の5位が最高位。2012年には佐藤が最終ラップを2位で迎え、ターン1でトップのダリオ・フランキッティにアタック。結果はスピン&クラッシュとなったが、これが日本人ドライバーが最も勝利に近づいたレースだった。ルーキー・オブ・ザ・イヤーは03年の高木、04年の松浦が受賞している。

 出場マシンは伝統的に33台。1列3台、11列で切られるローリングスタートはエキサイティング。500マイルの死闘を戦ってウイナーとなった者はビクトリーレーンで牛乳を飲む。これもインディならではの伝統だ。ガレージやピットに入るためのパスが金属製のバッジ…………なんていうユニークさもインディ500にはある。

 15日からスタートした第101回インディ500。世界中が注目するレースをぜひ楽しんでほしい。