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アイドルの「現場重視」と「メジャー回帰」のバランスに新潮流? NGT48の挑戦を読む

2017年05月16日 15:03  リアルサウンド

リアルサウンド

NGT48『青春時計(Type-A)』

 昨年頃から、女性アイドルシーンの傾向について語られる際、ファンの行動に関して「メジャー回帰」というフレーズが時折聞かれた。字義通りに受けとるならば、ライブアイドルや地方アイドルと称される規模のアイドルのファンである層が、より全国区のメジャーなグループへの関心を強くする、あるいは主な消費の場をメジャーグループへ移すことを意味する言葉である。もっとも、そうした語りで想定されている「メジャー」とは多くの場合、乃木坂46・欅坂46の「坂道シリーズ」を指していたし、またファンの消費行動が「回帰」に合致するかどうかも判然とはしないため、「メジャー回帰」という枠組みを素直に採用することは難しい。そもそも、このジャンルが包摂する範囲が広がっている現在、女性アイドルシーン全体を貫くような潮流を見出すことはますます困難になっている。


 その中で、乃木坂46が積み重ねて手にした成熟と、デビューして間もない欅坂46の初速のインパクトが重なり、アイドルファンのみならず世間に向けての坂道シリーズの存在感が巨大なものになったのが2016年だった。そうした状況を女性アイドルシーン内から眺めたときの気分を示すフレーズとして、「メジャー回帰」はあったのだろう。


 ところで、女性アイドルをめぐる2010年代前半の議論の中では、テレビなど既存のマスメディアではなく、ライブイベントなどの「現場」の重要性が語られることが多かった。「現場」で生じる一回性、あるいはSNSを前提としたコミュニケーションなどを代表的な特徴として2010年代のアイドルシーンを捉えることは、今日に至るまである程度適切な見立てといえる。坂道シリーズもまた、その例に漏れるものではない。


 一方で、女性アイドルシーンが順調に社会に定着し、その裾野が広がったことで、「現場」のもつ一回性という性質自体は現在、いわば当たり前のものになった。もちろん、ライブイベントなど毎日どこかで生起している「現場」は、それぞれ複製のできない貴重な瞬間の連続としてある。ただし、その「一回性」を持つ現場が無数に生まれるような環境を、現在のアイドルシーンは有している。これは、グループを中心とした女性アイドルというジャンルが世に根付きはじめたことの副産物でもある。


 その中で、近年の坂道シリーズが「メジャー回帰」というフレーズの象徴になりえたのは、「メジャー」ゆえのグループの体力を、そうした一回性とは異なる方向に注いできたためだ。すなわち、秋元康プロデュースのグループでありながらも「現場」の象徴たる常設劇場を持たない坂道シリーズにとって、映像やCDジャケット等に代表されるプロダクト単位での物語性・世界観の構築は重要な柱になってきた。そして、乃木坂46に始まるその蓄積が対世間的に一気に花開いたのが、欅坂46「サイレントマジョリティー」のMVだった。ジャンルを超えて世の中に届くということは、現場に足を運んで「一回性」を体感する層の外側にまでリーチすることにほかならない。このとき、一貫して視覚表現の機会を多く積み上げてきた坂道シリーズには、一日の長があった。


 その基盤として、坂道シリーズがシングルリリースのたびにメンバー全員分の個人PVを制作し続けていることは、昨今しばしば話題にのぼるようになってきた。とりわけ5年超のキャリアをもつ乃木坂46は、個人PVを通じて映像クリエイターとの関わりを紡ぎ、物語性の高いMV群へと結びつけてきた。「現場」の一回性とはまた対照的な道程からのブランディングがここにきて結実している。


 興味深いのは、AKB48グループの新鋭・NGT48がデビューシングル『青春時計』リリースに際して、坂道シリーズと同様に特典映像としてメンバー全員分の個人PVを制作していることだ。もちろん、NGT48はAKB48グループの一つとして地元・新潟に恒常的に存在する「現場」としての専用劇場を持ち、「一回性」を限りなく生み出していく。他方、個人PVも継続していくのであれば、それはライブ性とは異なる表現の場としてAKB48グループに新しい風をもたらすことになる。


 だとすれば、NGT48は常設劇場と個人PVとを両立して歴史を歩む、初めてのグループになる。


 土地に根づいた劇場公演もシングルCD付属の個人PVも、どちらも年月を重ねてこそ真価がわかるものであるため、1stシングルの段階でその効果の如何を問うことはできない。また、映像による表現に傾斜してきた坂道シリーズにしても、大会場のライブや握手会といった「現場」が大きな核になっていることは変わらないため、大局的にみたファンの消費行動が一変するわけではないだろう。


 ただ、仮にNGT48が48グループとして日々「現場」を持ち、同時に個人PVからも歴史を発展させていくのならば、現在はある意味で過渡期となるのかもしれない。もともと、2010年代前半にアイドルシーンに関する議論において「現場」がことさらに強調されたのは、テレビメディア主体のイメージが強い既存のアイドルのイメージを修正して、新たな時代に適切にチューニングするためでもあった。その環境さえも定着した現在、アイドルシーンの特徴を「現場」やSNSに収斂させるだけではなく、ライブと映像作品とのバランスに目を配った新たな潮流が見出だせるのか。NGT48がこれから紡ぐ歴史は、その意味でも興味深い。(香月孝史)