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『パーソナル・ショッパー』オリヴィエ・アサイヤス監督インタビュー「映画の本当の観客は若者だ」

2017年05月14日 14:03  リアルサウンド

リアルサウンド

オリヴィエ・アサイヤス監督

 現代フランス映画界を代表する映画監督のひとり、オリヴィエ・アサイヤスの最新作『パーソナル・ショッパー』が5月12日より公開中だ。ジュリエット・ビノシュが主演を務めた前作『アクトレス ~女たちの舞台~』でもタッグを組んだクリステン・スチュワートを主演に迎えた本作は、セレブに代わって洋服やアクセサリーなどを買い付ける“パーソナル・ショッパー”として働くひとりの女性が、やがて不可解な出来事や思わぬ事件に巻き込まれていく模様を描いたミステリー。リアルサウンド映画部では、来日を果たしたアサイヤス監督にインタビューを行い、再びクリステンとタッグを組むきっかけにもなった前作『アクトレス ~女たちの舞台~』と本作との関係や、映画作りにおいての自身の考えなどを語ってもらった。


参考:「週末映画館でこれ観よう!」今週の編集部オススメ映画は『パーソナル・ショッパー』


■「間違いなく『アクトレス』のエネルギーを引き継いでいる」


ーー前作『アクトレス ~女たちの舞台~』で来日した際、青山真治監督との対談で、あなたが「映画作りにおいては、テーマからスタートする時と役者からスタートする時がある」と言っていたのが印象的でした。今回の『パーソナル・ショッパー』は、やはり前作で一緒に仕事をしたクリステン・スチュワートいう役者からスタートした言えるのでしょうか?


オリヴィエ・アサイヤス(アサイヤス):そうだね……この作品は半分半分かな(笑)。両方当てはまると言えるよ。テーマというかキャラクターを作り上げるところからスタートしてはいるんだけれど、そのキャラクター自体がそもそも部分的にクリステンからインスピレーションを得たキャラクターだったし、脚本を書いている当初から彼女と一緒に作る可能性を持った企画だったからね。実際に、脚本の最初の段階では『アクトレス』の続きのような部分も少しあったんだ。完成した作品を観ればわかる通り、まったく違う内容になったんだけどね。とはいえ、この作品は間違いなく『アクトレス』のエネルギーを引き継いでいると言えるよ。


ーー『アクトレス』があったからこそ、この作品が生まれたと言えると。


アサイヤス:もしも僕自身が『アクトレス』の出来に満足していなかったなら、『パーソナル・ショッパー』の脚本を書くことはできなかっただろうね。『アクトレス』も『パーソナル・ショッパー』も同じセレブリティの世界を舞台にした作品ではあるけれど、そういった表面的なことよりも、むしろ見えざるものや超自然的なものと我々との関係に深い関わりがあるんだ。『アクトレス』では、そういったものが間違いなく存在していて、とても重要な側面でもあった。ただ、それは全面に押し出されていたわけではなく、テーマとして底辺に流れていた。『アクトレス』の中で自分が満足できるかたちでそこに触れることができたからこそ、『パーソナル・ショッパー』では自信を持って見えるものと見えざるものとの繋がりや、我々がそういったものをどう捉えているのかをより表面的に掘り下げることができたと言えるね。


ーー前作『アクトレス』も今回の『パーソナル・ショッパー』もそうですが、あなたの作品はアートだったりエンターテインメントだったり芸術的な世界が舞台のものが多いですよね。あなたにとって映画の中でアートを描く意味とは?


アサイヤス:もちろんアートに対しての個人的な嗜好はあるけれど、それらの扱い方は作品によって異なる。『アクトレス』は、長年一緒に仕事がしたいと思っていたジュリエット(・ビノシュ)と作った作品だった。これは彼女に限ったことではないけど、その役者の名前があるだけで作品に出資がついたりするのがこの業界なんだ。つまり、僕は彼らのおかげで、映画を作ることができる。役者は作品にそれだけのものを与えてくれるわけだから、逆に僕は彼らに何を与えられるかを常に考えているんだ。『アクトレス』では、ビノシュに対して、彼女がこれまでやったことがないような役柄、彼女自身と似たようなキャラクターを演じてもらえれば彼女にとっても作品にとっても面白くなると思ったし、我々がどうやって時間と付き合っていくかを描きたかったから、顔や肉体の変化がより敏感で重みが生まれる役者という設定にしたんだ。『アクトレス』は僕にとってエイジングの物語。役者の目を通してそのプロセスが描かれるというだけで、中心にあるのは普遍的なテーマだと思う。一方、『パーソナル・ショッパー』では、アートがいかに超越的なものになりうるかという概念が何よりも面白いと思ったんだ。言い換えれば、偉大なる芸術作品は、我々に何か大きなものへの扉を開いてくれるはずだという概念だね。モダンアート、特に抽象的な作品は、スピリチュアリティと深いつながりがある。だから『パーソナル・ショッパー』では、その関係性を代表するかたちで、わかりやすく(ヒルマ・アフ・)クリントという女性画家を登場させているんだ。


■「映画には“答え”ではなく“質問”が必要」


ーージュリット・ビノシュもそうですが、主演女優はあなたの作品において非常に重要な役割を果たす存在だと思います。今回、ハリウッドで活躍する若きスター女優でもあるクリステン・スチュワートを、前作とは違った主役というポジションで迎えたことで、映画作りにおいて何か新しい発見はありましたか?


アサイヤス:僕は映画作りというものは、若者に向けてするべきだと考えている。映画の本当の観客は若者だと思うんだ。若い観客たちとのつながりは、映画作りにおいて失ってはいけないとても重要なものなのに、今のインディペンデント映画の世界では、シニアに向けた作品が多くなってしまっている。だから映画の観客がどんどん失われてしまっているんだ。僕とクリステンは世代こそ違うけれど、いろんなものを共有している。僕と彼女は似ているところがたくさんあるんだ。彼女は僕と一緒に仕事をすることで、ヨーロッパのインディーズシーンのインスピレーションを感じられる自由な活躍の場を得ることができるし、逆に僕は彼女と一緒に仕事をすることによって、彼女の世代の若者たちとつながることができる。クリステンが今の時代精神に僕を繋げてくれるからこそ、僕は彼女に対して映画作りにおいての自由を受け渡したんだ。彼女は、何が正しくて何が正しくないかがきちんとわかる、直感に優れている人間。だから僕はクリステンのことを単なるキャストではなく、一緒に映画を作ったクリエイターだと思っているよ。


ーー昨年のカンヌ国際映画祭であなた自身も発言していたように、今回の作品はあなたにとってもこれまでの型にはまらないような「挑戦的な作品」になったのでは?


アサイヤス:僕は、芸術とは観客との対話だと思っている。映画を作るたびにその考えが強くなっていて、映画は常に観客に何かを問いかけるものでなければいけないと思うんだ。映画には“答え”ではなく“質問”が必要なんだとね。答えを全部明らかにしてくれたほうがスッキリするという観客がいるのももちろんわかるけれど、それはアートとして決して満足できるものではない。確かにカンヌではこの作品を「挑戦的」と言ったけれど、正直、僕はこの作品のことを挑戦的だとは思っていない。ストーリーテリングにおいて、コラージュや夢の世界に近いロジックを使っているから、一見難しく見えてしまうかもしれないけれど、物語としては、すごくシンプルだと思うんだ。僕にとっては、マーベル映画のような超大作のほうが挑戦的だと思えるよ(笑)。


ーーホラー的な要素やストーリーテリングの部分においては、黒沢清監督の作品とものすごく近いものを感じました。


アサイヤス:友人でもある彼の作品にはすごく共感できるし、僕は彼の作品が大好きだ。『パーソナル・ショッパー』も彼の作品の多くも、現実とファンタジーの要素が循環している。それはある意味、そもそも人間が現実と向き合うために使う手法でもある。我々のいる現実こそが、世界をどう体験するのかと想像力の狭間にあるわけなんだ。だからこそ、そのどちらも捉えられている作品は非常に魅力的だと思うし、そういった意味でも、僕自身『パーソナル・ショッパー』と彼の作品には似たところを感じるよ。彼がフランスで撮った『ダゲレオタイプの女』はまだ観ることができていないんだけど、すごく楽しみにしているよ。(宮川翔)