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日常を生きる高田渡の姿と言葉があるーードキュメンタリー『まるでいつもの夜みたいに』のリアル

2017年05月12日 15:03  リアルサウンド

リアルサウンド

高田渡と監督の間にあった“波長”

 伝説のフォークシンガーとして今も熱狂的なファンを持つ高田渡。すでに他界して10年以上が経つが、この間もトリビュートライブが開催されたり、『高田渡と父・豊の「生活の柄」』といった関連書籍が発売されたりと、その存在は若者を中心にさらに広く知られるようになっている気がする。昨年も彼の歌う「値上げ」が赤城乳業の「ガリガリ君」の値上げに際しての謝罪CMに使われ、若者を中心に大きな話題となったことは記憶に新しい。我々のような映画好きにとっては『タカダワタル的』と『タカダワタル的ゼロ』でお馴染みだろう。


参考:東日本大震災から6年、映画『息の跡』が捉えた“風化”


 こんな具合にあくまで控えめだけども、気づくと我々の前に時折ひょっこりと現れる高田渡。その存在はすべての人を受け入れてくれるような親しみやすさを感じさせる一方で、ヴェールに包まれた神秘性もあって、どこか“仙人”のようにも思えてくる。今回届いたドキュメンタリー映画『まるでいつもの夜みたいに』は、そんな彼の実は『タカダワタル的』でも見ることのできなかったかもしれない“リアル=普段の姿”が収められている気がする。


 まず、本ドキュメンタリーには、2005年3月27日に高円寺パル商店街の路地裏にある居酒屋「タイフーン」で行われた高田渡のライブの模様がまるまる記録されている。北海道へのツアーへと出た彼が亡くなるのは、それから1か月も経たない、4月16日のこと。結果として、この高円寺での夜が東京でのラストライブとなった。しかも、この日は単独でのライブ。晩年、高田は音楽仲間とともにライブすることがほとんどで、ソロでのライブはほんとうに珍しいことだった。それもあってか当日ライブは小さな会場ながら立ち見も出て、ほぼすし詰め状態。立錐の余地もなかった。また、ひとり弾き語りということも大きく影響したのだろう、仲間とのライブではほぼやることのなかった曲を当日はいくつか披露している。そういう意味で、二重にも三重にも貴重なライブで、“よくぞ残してくれた”とおもえる記録映像であることは間違いない。


 ただ、こうなると紹介するにあたっては、通常なら“貴重な超レア映像”“永久保存版”といった見出しが躍ることになるのかも知れない。でも、そういったある種の色眼鏡で見るのは野暮。ありがたがって崇めて見るようでは、それこそ、タカダワタル的ではない。このドキュメンタリーは、高田渡という人間とただ向き合い、彼の奏でる音楽に身をただただ委ねればいい。ここには飾らず、気取らず、素で佇む高田渡と、その彼の素直な心からわきでてきたような言葉と歌が待ってくれている。


 映画は、ライブ会場となる居酒屋のある高円寺へと向かうため、高田が自宅から最寄り駅の三鷹駅へとギターを抱えながらとぼとぼと歩くシーンからスタートする。当時は『タカダワタル的』がヒットして若い世代にも支持されてきたころ。でも、本人は少々戸惑い気味のよう。


 道すがら手掛けた代島治彦監督がこう声をかける。「映画も発表されて、ひっぱりだこじゃないですか」と。それに対し、高田は俯き加減ではにかみながらこう答える。「お断りしてるんだよ、だから。ゆとりがあったほうがいいと思うよ」と。こういっては語弊があるかもしれないが、この会話、かなりぐだぐだ(笑)。取材者及び撮影者と被写体とは思えないぐらい緊張感がなく、だらだらと気ままにしゃべっている。取材する側が高田の言葉が出てくるのをせっつくこともなければ、高田もへんにサービス精神を見せて気の利いたことを答えることもない。なにか立ち話のような、なんの脈絡もない意味のない会話がかわされる。でも、だからこそ、フォークシンガーのレジェンドとしてではない“人間・高田渡”のリアルな本心であり、彼という人間の風情や口調、その人だけが持つ間やしぐさが不思議と立ち上る。とにかく構えていない、特別ではない日常を生きる高田渡の姿と言葉がここにはある。


 それはもしかしたら、そのときの撮影状況もあってのことかもしれない。代島監督はこう振り返る。「当時、僕はいろいろありまして(苦笑)。変な話、今後の身の振り方を考えている時期でした。そんなとき、ひとつ思いが強くなったのが、ドキュメンタリーを撮ってみたいということ。同時に、あるケーブルテレビから吉祥寺を舞台にした音楽ドキュメンタリーの企画の話があって、とりあえずリサーチもかねてご近所で顔見知りでもあった高田渡さんを取材しようと思い立ったんです。そんな感じですから、嘘ではなくカメラを購入したのは高円寺のライブの1週間前。小さなカメラを買って、見よう見まねでカメラを回して、最初に撮ったのがこの日の渡さんでした。こういっては渡さんには失礼かもしれないけど、まだ作品になるかどうかもわからないし、カメラ扱うのも初めてで、こっちとしては試し撮りの気持ち(笑)。とりあえず回しておけばなんとかなるといった具合で。たぶん渡さんもカメラもえらい小さいし、スタッフも僕だけで、拍子抜けしたというか。『タカダワタル的』とはカメラの大きさもスタッフの数も全然違うなと、気楽に構えてくれたのかもしれない」


 こうして迎えるライブだが、こちらはすばらしい形で“フォオークシンガー・高田渡”の姿が収められている。先ほど触れたように、撮影者は代島監督ただひとり、カメラも当然1台しかない。会場は満杯でカメラの移動など許されるわけもなく、撮影は一方向からしか抑えられていない。でも、これが不思議なことに絶妙のアングルとなって、我々は高田渡をじっと見つめ続けることになる。むしろ小細工をしない映像は、ライブがじょじょに熱を帯びていく様子、高田とオーディエンスが呼応していく様を生々しく感じさせ、ギターの音と高田の歌声が心にずんと響き、ぼそぼそと語るトークも鮮明な形で収められている。代島監督はこれは偶然の産物と明かす。


「会場はぎゅうぎゅうで三脚なんかおけない(笑)。自分の席を確保するのが精いっぱいだったから、その位置から撮るしかなかった。もちろん手持ちで。ただ、それが結果的に功を奏した。手持ちで最初から最後まで回したから、なんか感じることがあるとズームしたり、なにか自分なりに渡さんの気持ちに寄り添いながら撮ることができた。これが三脚で固定とかにしていたら、僕はそういった撮影者としてのクリエイト作業をさぼっていたかもしれない。あと、これはもう奇跡としかいいようがないんですけど、たまたまあそこが音声をもっとも取りやすい位置だった。そのおかげで迫ってくるようなリアルなギターの音と、生の声を収めることができた。もうひとつ加えると、僕もこの日がカメラを回すのがほぼ初めてで。実は渡さんがこの日使ったギターは2003年に急逝した音楽仲間の坂庭省吾さんのギター“Martin D-45 1972製”で。いつも使っているギターではなく、この日始めて手にしたもの。お互い初ものを手にしていて、僕が試し撮りなら、渡さんは試し弾きをしていたところもあった。それで妙にお互いの波長があったのかもしれない(笑)」


 そして、この日のトークではなぜか“死”にまつわることや、過去を振り返ったりしている。まるでその後の自身の運命を暗示しているかのように。こういう話もまずしなかったという。逆を言えば、この日はそれほど自身をさらけ出していたといっていいのかもしれない。それゆえ12年という時間を置いてこの作品は生まれたことを代島監督は明かす。「実は亡くなった直後、記録としてまとめたんです。でも、渡さんをよく知る方々に見せると、あまりに渡さんのありのままの姿すぎて辛くて直視できないと。それでいったんお蔵入りというか。自分の中だけに留めることにしました。でも、12年経って、ようやくみなさん少し心の整理がついたというか。少し向き合うことができるようになって、今回、このように形にすることができました。今後は劇場公開もさることながら、例えば渡さんがまわったライブハウスをめぐる上映ツアーのようのことができないかと思っています」


 偶然が重なって記録された高田渡、最後の単独ライブ。誰もが優しさに包まれ、幸せな気分になり、心がほっと休まる時間がここには流れる。これこそが高田渡という人物の人間性を表しているのかもしれない。


 亡くなってもなお、新たなファンが生まれ、多くの人に愛されてやまない高田渡。その最後の夜に酔いしれてほしい。(水上賢治)