2017年05月07日 08:23 弁護士ドットコム
一言で「弁護士」と言っても、専門とする分野は様々だ。現在、医療事故を専門に扱っている石黒麻利子弁護士は、子供の頃に母親が脳動脈瘤破裂で急逝したことをきっかけに脳科学者となったという。その後、弱い立場の人を守りたいと弁護士を志した、医学博士の資格をもつ弁護士だ。
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石黒弁護士が司法試験の勉強をしていた頃、義父が医療事故に遭い、家族で介護を続ける中で、医療事故が本人のみならず家族の生活も崩壊させることを身をもって知ったそうだ。医療事故の専門弁護士となったのは、自身の経験を被害者救済に役立てたいとの思いからだったという。その石黒弁護士に、医療事故専門弁護士の仕事や、医療事故の実情について話を聞いた。(ライター・高橋ユキ)
――基本的なところからで恐縮ですが、医療事故と医療過誤はどう違うのでしょうか
「医療事故という大きな枠の中に『過失のないもの』があります。
例えば、耳の下あたりにできる耳下腺癌の治療の際、顔面神経が走っているので、なるべくそれを傷つけないようにして摘出するんですが、ガンが大きく広がっていて、摘出するためには神経を傷つけてしまうというような状態の時。それはもう仕方がないですよね、もちろん傷つけずに取りたいけれども、でも大きく広がっていたら傷つけざるを得ない。
ですが結果として、がんを取り除くと、顔面神経麻痺という後遺症が出てきてしまうわけです。これは治療の性質上、やむを得ない合併症ですよね。それをやれば必ずそうなるとか、そうなってもやむを得ない場合があって、でもそれがミスではないものの予想外に大きな結果になってしまったとき、『医療事故』という言い方をします。
それからもう一つは『過失があるもの』。これがいわゆる『医療過誤』で、『医療ミス』とも呼ばれます。
合併症や過失がない場合と、過失がある場合を両方含むのが『医療事故』で、この中で、過失がある場合のみ『医療過誤』『医療ミス』といいます」
――依頼者からの相談を日々お受けになっているなかで、『これは医療事故ではないな』というものはありますか
「感触として、相談を受けているうちの9割は医療事故ですらなく、残りの1割の中のごく一部が『医療過誤』という感じですね。それほど、医療過誤はめったにないです」
――ではなぜ、相談に来られる方は「医療事故・医療過誤だ!」と思ってしまっているのでしょうか
「ほとんどがコミュニケーション不足の問題です。医師や看護師の説明が悪いため、患者さんが『医療事故、医療ミスだ』と思ってしまうことが非常に多いんです。
医師のなかには、患者や家族から頼まれないと説明しない人もいます。術後、予想外の展開になっているのに、医師が説明をしない。あるいは、先生から説明をすれば良いのに、患者から聞かなければいけないなど配慮がない場合があります。その結果、不信感が生じてしまうのです。
また、もうひとつは、医師が『大丈夫ですよ』と、言ってしまうこと。医療モノのドラマを見るとそういったシーンがありますが、あれはアウトなんです。
患者さんが危篤状態、助からないことは医者からみたら分かるわけです。ところが、患者や家族をかわいそうに思い、優しい気持ちからなんですが『大丈夫ですよ』とか、死ぬと家族が思わないような言い方をしてしまったりするんです。『回復するんじゃないか』と誤解を与えるような言い方ですね。
特に、安心させるのは危険です。医師の言った『大丈夫』の意味は、『とりあえず蘇生した』という程度であったのに、患者さんや家族は『助かる』と誤解してしまっていたら、亡くなった時に『医療事故だ』と思われてしまいます。
本当は医療事故ではないのに、患者さんが『医療事故だ』と誤解してしまう背景には、医師の説明不足により、患者が『予想外のことが起きた』と考えている場合が多くあります。説明の重要性に対する認識が不足していたり、安心させる言葉をかけるのが良いと誤解しているドクターがものすごく多いんです。そこは医療従事者が、きちんと理解しなければいけないところだと思っています」
――実際に『医療事故』であるケースを受けた場合の仕事の流れを教えてください。
「相手方に過失があるかどうか調査しないと分からないケースの場合、カルテを見ないことには状況を判断できませんので、裁判所に対する証拠保全の申し立てや病院に対するカルテ開示請求を行い、カルテを入手します。
医療事故の場合、病院が持っているデータは裁判で唯一の証拠なんです。改ざんされない状態で、すべての資料を入手すること。これがもっとも重要ですので、証拠保全が原則です。
仮にご本人が開示請求し、病院側が一部しか資料を出してこなかったとしても、資料が足りないことは、知識がなければ分からないですよね、何があるはずで、何がなければいけないか。この事件において、診療記録の中で一番大事な情報は何か。その判断が重要となります。それこそが一般の弁護士でなく、医療専門の弁護士にこそできる判断だと思います。
入手したら、次は専門医に調査をお願いして鑑定意見書を書いてもらいます。脳外科案件であれば、脳外科の協力医の先生に、この点について鑑定してくださいとお願いをします。術中動画やカルテ、MRI画像など入手できた資料はすべてお渡し、専門家の目で見てミスがあったかどうか、ご意見を伺う。同業者から見てこれはミスだよね、というときに、はじめて示談交渉が始まります。すべての診療記録の入手とそれに基づいた専門医による調査が肝なんです」
――石黒先生は示談で解決することを目標とされていると伺いましたが、その理由を教えてください
「賠償金額には『裁判所基準』というものがあります。賠償額の算定基準が日本ではきちんと定められているんです。示談をまとめるときも、やはりこの基準額になれば示談するという指針にもなっています。ですから極端な請求というのもないし、請求されても落とし所は決まっています。
そして裁判になっても、特殊な事案を除いて結果は同じなんです。示談での賠償金額に満足せず、もっと増えるだろうと思って裁判をしても、賠償金額は変わらない。
さらに、裁判費用でお金がかかりますので、結果的に受け取れる金額は少なくなってしまうのです。裁判費用は、裁判所に払う費用、弁護士への着手金や成功報酬、裁判を戦う上で鑑定意見書作成料とか、お金がかかってしまうので、賠償金が目減りしてしまうのです。
『裁判をやれば、賠償金額は増える』という幻想を持った人がいるんですが、実際は増えません。患者さんやご遺族にとっては、裁判をやらずに示談でまとめた方が金銭的には一番、得をします。昔は裁判までと考えていましたが、経験を重ねていく中で、示談でまとめる方針をとるようになりました。
ただひとつだけ例外があります。事故で植物状態になってしまった場合は、示談よりも裁判をしたほうが良いですね。植物状態になった場合、家屋の改造費、介護用車両への買い替え、生涯にわたる介護費用など、お金がかかりますが、裁判した方が賠償額は多くなります」
――もし自分の家族が医療事故に遭ってしまった場合、患者さんやその家族が病院と戦わなければならなくなったとき、一番心がけるべきことは、何でしょうか
「いい病院、いい医者を見つけるには勉強して知識を身につけて、医者任せにしないことです。同じようなことが弁護士にも当てはまります。医学知識のない弁護士には医療事件は頼まない。自分がある程度勉強しておけば、この弁護士に任せて良いか、自ずと判断できるようになります」
【プロフィール】高橋ユキ(ライター):1974年生まれ。プログラマーを経て、ライターに。中でも裁判傍聴が専門。2005年から傍聴仲間と「霞っ子クラブ」を結成(現在は解散)。主な著書に「霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記」(霞っ子クラブ著/新潮社)、「木嶋佳苗 危険な愛の奥義」(高橋ユキ/徳間書店)など。好きな食べ物は氷。
(弁護士ドットコムニュース)
【取材協力弁護士】
石黒 麻利子(いしぐろ・まりこ)弁護士
平成4年、医学博士号取得。平成19年12月弁護士登録。医療事故、交通事故、薬事法関連法務、医療法務を専門に活躍している
事務所名:堀法律事務所
事務所URL:http://www.iryoukago-bengo.jp/